永遠の卵

少女革命ウテナのはなしがしたい。

DUEL:33「夜を走る王子」<少女革命ウテナ>

 

言ったことあったっけ。
ぼくが一人っ子だったってこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:33「夜を走る王子」

放送日:1997年11月12日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ:橋本カツヨ
演出:高橋亨 作画監督:長谷川眞也・長濱博史

 

取り返しつかないっつーの?

 

第3部の総集編。とはいえ、今回のエピソードの核は暁生編の振り返りではなさそう。どこか怪しげな雰囲気と、巧妙な演出。実は物語は前回DUEL:32のLA BANDEから始まっています。これはウテナのお話なんです。

 

世界の果て。振り返り。

とはいっても、わたしはやっぱり過去に生きる人間なので、この第3部を振り返らないことには第4部・黙示録編へすすむことはできません。第1部・第2部とちがい、第3部で行われた決闘には名前がつけられていない(よね?情報求ム)ため、勝手にまとめます。

 

西園寺、忠誠を誓う。

DUEL:25

西園寺が暁生カーに乗って見せられた"世界の果て"。それは、支配と欲望と権力の世界。つまるところ、"薄汚いオトナの世界"ってやつ。彼は、最初こそその世界に染まることを拒否します。おれは社畜になんかならないぞ。権力で人を思うがままにしようだなんて、それじゃああの少女に"永遠"を見せることができないぞ。というように。

しかし、少女に"永遠"を見せたのは他でもない、その薄汚い世界の王子さまだったのです(正確には、だった"らしい"のです)。彼はそんな薄汚い"オトナ"にこそ憧れの念を抱き、彼のつくったその幻に忠誠を誓うのです。

 

グランドチャンピオンものまねキングに挑戦できるかな〜

 

幹の成長。梢の停滞。

<DUEL:26

幹のみたもの。それは、自分の好きなひとを自分の好きなようにできる。いわば夢の世界。"オトナ"の世界に不信感を抱くという点について西園寺と変わりありませんが、西園寺はその下劣な姿をした"現実"に身を委ねたのに対し、幹はそこにもまた"夢"を見たのです。ここよりもっと進めば、壁をこわせる。いろんなものが手に入る。でもそこにあったのは、さらにさらに大きな壁でした。でもそれを知ることは、ある種の成長であったともいえるのかもしれません。

梢のみたもの。これが一番"世界の果て"らしい絶望です。彼女の周りには、"汚い"ものしかありません。梢は西園寺と違ってそれが"汚い"とわかっているのにもかかわらず、その"汚い"人間たちのモノになることでしか、自分を傷つけることでしか、自分の価値をはかれません。彼女はオトナになったように見えますが、本当はずっと自身の巣箱に停滞し、"ほんとうのじぶん"をみてくれる親鳥を待ち続けているのかも。

 

あの先生、ミョウバンってあだ名ついてるんだよ。
なんでミョウバンなのかよくわからんけど、その前は茶碗ってあだ名だったみたい。その前は...なんだっけ。

なんだっけ?

  

枝織の負け。

DUEL:28

枝織が見ていた"世界の果て"は、樹璃よりはやく、一秒でも先にあの"お城"に飛び込むこと。できれば"樹璃の"王子さまといっしょに。そしてその夢はもうすぐつかめるはずでした。あと一歩でお城にたどり着けるはずだった。でも彼女の"毒"は、その時を待ってましたとばかりに一瞬のうちに枝織を殺してしまう。夢は夢。負けは負け。月並みな言い方だけど、枝織は枝織自身に負けたんです。彼女の敵ははなから樹璃じゃないし。

 

ビニール袋に入れないと、ニオイうつっちゃうんだよね。

 

奪われる樹璃。

DUEL:29

殺してやりたいほど憎んできたものに生かされること。永遠にヒーローにはなれないと自覚すること。樹璃は樹璃であることを奪われる

 

あれってさ、よく本に書いてある通りにやるじゃん?
で、その通りにやってんのに、どう考えても味がちがーう!ってことあるよね。
あれってなんなんだろう。

 

 

七実を形づくるもの。

冬芽という神さまは、七実自身を形づくる大きな要素のひとつでした。というより、すべてでした。彼は七実のすべてで、七実という実体を当然のように構築し続けてきたのにもかかわらず、彼はただの無。目には見えないし、触れることもできない。七実にとってだけ、それは長いこと"有"でした。"有"であるということだけがわかっている"無"なだけに、彼女はそれを疑うことすらしなかった。というワケで、七実を形づくるものが"無"だったので、七実の存在も"無"。。なわけなくて、神さまを信じていた七実の気持ちは絶対的に"有"だから、だいじょうぶ。七実を形づくったのは、誰かをまっすぐ愛した自分のきもち。まちがってもハリボテのダボハゼ兄ではない。

 

あれっ。

逆転だ。

 

 

 車とハイウェイ、世界の果て。

やっぱり本題は、ウテナの果ての話ですよね。これまでの登場人物たちがみなそうだったように、ウテナもまた"世界の果て"に辿りついてしまったのです。

 

天上ウテナの果て

別に、男と初めてセックスをすることがひとりの子供・少女を"女"にするだとか、そして"女"になってしまうことが即ち"世界の果て"につながるのだとか、そういう話がしたいんじゃあありません。とか言ってみたかったんですが、まあ残念だけど(?)そういう話なんだと思いますね。もちろん、事実そうなんだってことじゃなくって、暁生がそう思ってるってことです。ウテナとセックスをするということはつまり、ウテナを"女なるもの"にすること(ウテナの"男"の部分を奪いとること)であり、彼女を"女なるもの"にしてしまえば、彼はウテナを永遠に自らの支配下におけると信じきっているということです。

そしてウテナの、"女なるもの"と"男なるもの"の中間をさまよう、もしくは両方になろうとする(=どちらにもなろうとしない)というこの世界では特殊ともいえる性質をも奪うことで、彼は予定調和の中に彼女を閉じ込め、永遠を手に入れようとする。彼女がここまで決闘を続けてこれたのは、その特異性があってこそだったというのに。

 

ともかく、ウテナは今"世界の果て"にいます。彼女がそこにいるということは、過去の美しい思い出や気高さ、王子さまの姿を忘れてしまったということを意味します。そしてその意味をアンシーは知っていますが、ウテナを快くそこに送り出しました。というか、知っていたからこそ、彼女に"用事"を言いつけたのです。

それで、じゃあウテナが世界の果てへ辿りついてしまったからには、4部からはどう物語が動いてゆくのでしょうか。ウテナは奪われた"美しい思い出"を取り戻すことができるのか。そもそもほんとうに"奪われた"のか(たかだか男とのセックスくらいで?)、奪われたんなら、どうだっていうんだろう。そのことは、人間の本質を変えてしまうのだろうか。そして、"世界の果て"は、ほんとうに"世界の果て"なのか。そういうところに指差しマークをして見てゆきたいと思います。

 

永遠って、なんですか。 

 

  1. ダイヤモンド
  2. 美しい思い出
  3. 桃の缶詰め

止マレ

止マレ 

 

今夜は綺麗な星空だ。

ほんものの星は、見たくなかったんです。

そして、ウテナを"世界の果て"へと送り出したアンシーのお話も少し。

今回、本物の夜空の下で暁生とドライブするウテナとは対照的に、アンシーはプラネタリウムが見せる偽物の星空の下で彼と電話をします。彼女はみずから嘘の夜空を見たがり、幻のもとに逃げ込もうとする。それは彼女の生きる術でした。

でも、ウテナの見ている星と彼女の見ているそれにはどんな違いがある?実は"星"そのものにはさほど大きな違いはなく、あるとすれば、"ふたり"が見たいもの。が違う。アンシーは偽物を見たがるが、ウテナは本物を見たがる。星は、ふたりが見たいものを見せる。アルバイトとして。

君がその目で何をみようと、それは君の世界のことでしかない。

ふたりは出口のない迷宮から抜け出せるんだろうか。

 

 

LA BANDE

これが、すべての始まりなんだ。あの日、あの出会い。封印された光。これは王子さまにもらったもの。そして、僕は僕になったんだ。悲しみの王子。これを見ると思い出すんだ。僕は気高さを忘れちゃいけないんだって。

あなたは、誰なんですか?

 

 

DUEL:32「踊る彼女たちの恋」<少女革命ウテナ>

 

今何時だと思ってんのよ。
名前くらい言いなさいよ。バカ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:32「踊る彼女たちの恋」

放送日:1997年11月5日

脚本:比賀昇 絵コンテ:松本淳・金子伸吾
演出:金子伸吾 作画監督相澤昌弘

 

DUEL:31から引き続き、七実さまの果て後編です。自分の居場所とルーツ、存在意義について悩み抜いた彼女の導かれたその果てとは。

 

彼女たちの誇り。

冬芽が温室でイチャコラしていた相手は七実の側近、茎子さんでした。これは完全なるあてつけですね。冬芽は七実が盗み聞きしているのもわかった上で、茎子さんに七実が実の妹ではないことを打ち明けます。冬芽は七実にやさしく接していたという思い出を、

あんなのお芝居さ。

と一蹴し、さらに追い討ちをかけるように、

...俺が相手にするはずないだろ。
あんなありきたりでつまらない女。

などと言い放ちます。それを聞いて喜ぶ茎子。まあもともと七実さまと茎子さんの間に友情なんてあってないようなもんですが、それにしてもこれはまさに"呪い"です。一人の男を二人の女が奪いあっているように見えて、その実裏で糸を引くのは男の"嘘"。一人の王子さまに選ばれ、愛されるということがこの世界でどれだけの価値を持つことなのかということを、王子さまは誰よりもよくわかっているのです。だからこうしてわずかな誇りを気まぐれに差し出してやる。そしてバカな銀蠅たちと嘲笑う。友情や、真実の愛なんてないのだというハリボテの虚無主義をひけらかしたくてたまらないのだ。

あんたとあたしのどこが違うっていうの?

冬芽との関係ついて七実に追及された茎子はそう問いかけます。王子さまの携帯電話は鳴り止まず、ついに七実は"絶望"を口にします。彼女は王子さまの妹であるという誇りを失ったのです。

同じになっちゃったんだ。わたし。
お兄さまに群がる銀蠅みたいなあの女たちと。
もう、わたしとお兄さまをつなぐものは何もないのよ。
何も。

蛇口を壊したのは誰でしょうか。溢れ出る涙は誰のため?。誇りを奪ったのは誰なんだろう。殺虫剤を撒くのはいつだって同類の虫。でも、

お部屋の臭い消しですよ。それ。

 

他人のリンゴで生き永らえる。

生きる屍となったフィナンシェ・香苗さん。

 

怖すぎる。こいつ。

ふたりだけの時間を、楽しませてあげてください。

暁生と香苗さんを呼びに立ったウテナを止めるアンシーが、ノコギリを手にしたまま放った台詞。ウテナは超純粋に受け取りますが、暁生とアンシーの関係性を知っている七実は、アンシーに対する嫌悪を強めます。 

 

ふたりのベッドルーム。 

暁生とアンシーを、"おぞましい兄妹"と言い切る七実さま。

あいつらと一緒にしないで。

七実は自分の兄にいったい何を見ているのだろう。自分たち"兄妹"の関係性に、どんな幻を見ているのでしょうか。

 

 

車とハイウェイ、世界の果て。

だから最後に知りたいの。
本当のお兄さまのことを。

七実のみる"世界の果て"は、"本当のお兄さま"の姿です。それを知ることで、自分自身の"普通"を取り戻せる。自分の存在を肯定できる。彼女は愛してやまない"本当のお兄さま"に手を伸ばす。そしてそれこそ殺虫剤。

本当に君が見るべきものはそこにはない。

暁生がまたわけわからんこと言ってますが、つまりアンシーと暁生との関係性が"おぞましいもの"に見えるのは、七実が狭い視野でしか物事を見ていない・自分のみたいようにしか物事を見ていないからだと。いつまでもその迷宮で"幻想"を抱いていないで、"本当のお兄さま"を見なさい。自分や兄の欲望、つまりは汚い部分に向き合い、"兄妹愛"などという綺麗ごとは存在しないということに気づきなさい。ということです。(意訳)

 

影絵少女

うさんくさ〜い
そんなのトリックに決まってるわ。

妹が兄を慕うこと。兄妹愛。そんなのは胡散臭い。何か裏があるに決まってる。それはたとえば性欲であったり、自分の"誇り"のためであったり。七実は王子さまに愛されたいから、選ばれたいから自分に媚びているだけ。本当にただ純粋に自分を愛してるだなんて、そんなわけない。

そんなのペテンよインチキよ。

行き場を失った念力。疑うのは実に簡単なことで、信じるのは難しい。それがたとえすぐ目の前に差し出されていたとしても。

 

永遠を運ぶゴンドラ(決闘広場)

 お兄さまはわたしがわたしであることの一部だった。

天然同胞宮殿遠近法の書」。

 

桐生七実の果て。

本当のお兄さまを探したその先のお話。彼女が導かれた世界の果て。そこには、

何もなかったのよ。

七実の愛したかっこよくてやさしい兄。でもそれはハリボテで、幻で、出口のない迷宮の中で見ていたただのダボハゼ。それを光り輝く何かだと勘違いしていたというだけのこと。彼女は光を見ていました。

でも、何もなかった。

 

その想いの結末。

前回ウテナ・王子さまの関係性と、七実・冬芽の関係性は似通っているというお話をしました。それを踏まえると、

あんたは信じていればいいわ!
その想いの結末を!

という七実の言葉が大きな大きな意味を持つことになります。七実が冬芽に抱く"想い"は、今回で終焉を迎えました。でもまだウテナは信じています。自分の"王子さま"への想いの結末が、ハッピーエンドであることを。

 

大人のベッドシーン。

でも、血のつながらない兄妹だと思われてた方が、ロマンティックですよね。

七実は、名乗りもせず電話を寄越すガールフレンドたちや、茎子さんとはまったく違います。七実は冬芽に王子さまを求めない唯一の存在になりえた。でも愚かなダボハゼは、彼女の愛を超能力のように存在しないものと決めつけ、インチキだとこき下ろし、あげくに平気でポイ捨てします。それがこの世の真理だとでもいうように。でも七実が冬芽を慕う気持ちって、ほんとうに珍しいものだとおもいます。冬芽はこんなことを言ってますが、自分が作り上げた嘘なんかより、目の前の現実のほうがよっぽどロマンティックだとはおもいませんか?

 

LA BANDE

この薔薇を、今夜お兄さまに届けてくれませんか?

次回。天上ウテナの果て。

 

DUEL:31「彼女の悲劇」<少女革命ウテナ>

 

あら負けちゃった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:31「彼女の悲劇」

放送日:1997年10月29日

脚本:比賀昇 絵コンテ:錦織博
演出:岡崎幸男 作画監督林明美

 

七実さま最後の前後編。(わたし的)テーマは、七実七実であるということの意味とその理由。彼女が彼女であるために大切なもの。そしてそれこそが彼女の悲劇。

 

3つの関係。

DUEL:29までに、結果がどうあれいくつかの"関係"に決着がつきました。西園寺とアンシー、幹と梢、樹璃と枝織、等々。そして残すは4つの関係。うちひとつは西園寺と冬芽をつなぐものですが、これは残り3つとは少し性質が異なるので、今回は端っこに寄せておくとしましょう。

さて、3つの類似した関係性とは。ひとつは、DUEL:01から延々と語り継がれてきたあの昔話。"王子さま"とウテナの関係性です。このふたりをつなぐのは、ひとえにウテナからの"王子さま"に対する"憧れ"であるといえるでしょう。それは限りなく恋愛感情に近いものとしても受け取れますが、そこに漂うのはどちらかというとある種の健全さです。つまり、性愛とは少し離れた場所にある。たどり着くのがいかなる場所だとしても。

ふたつめ。暁生とアンシーの関係性です。暁生は、ウテナが憧れを抱く"王子さま"とは正反対に、生身の人間です。このふたりの間にあるものは、完全なる恋愛感情。しかも性愛。欲望の言い訳。ラブコメ風にいえば、LIKEじゃないんだ、LOVEなんだ。

 

このふたつは、いわば本題です。この物語におけるテーマです。そのメインイベントが、この前後編のあとに用意されているというわけです。そしてこの前後編で描かれるものというのが、みっつめ。冬芽と七実の関係性です。つまり、七実さまの物語というのは、その本題がついに語られますよという前兆のようなものでもあるのです。

このふたりの関係性は、結論からいってしまえばひとつめの、ウテナと王子さまパターンにより近いものであったと考えられます。ただ、七実から冬芽への想いというのはずっと、暁生アンシーパターンで描かれてきたように思います。しかし、今回でそれはひっくり返されました。七実が求めていたのはもっとプラトニックなもので、それは一種の労働のようなもので、罰でもあり、ご褒美でもあるのです。七実は、本エピソードの最後でアンシーに対する嫌悪を(より)強めることとなりますが、それがその証なのです。

ところで類似した関係性といいながら大して似てないじゃないかって突っ込まれそうなので3つの共通点について。それは、つまり呪いです。呪縛なのです。ウテナは、王子さまの姿をした幻想と魔女にずっっと縛られてきました。そしてそのご褒美として、成長という名のもとに生身の男を手に入れようとします。ちなみに暁生もまた王子さまに縛られた人間のうちのひとりですが、アンシーを魔女として永遠の地獄に縛りつけるのは、他でもなく彼です。冬芽もまた、七実に呪いをかけます。それは"悲劇"という形をした呪いです。悲劇はうつくしく、見るものの心を動かします。彼はそれをひとりで演じるのでは飽き足らず、実の妹を自らの作り上げた悲劇の中に取り込もうとするのです。理想、依存、美。この3つの支配という名の呪いはすべて、"世界の果て"によってかけられたものでした。果たしてその呪いを解く方法は見つかるのでしょうか。残念ながら、七実は世界に閉じ込められたまま。なぜなら、"世界の果て"が決めたことだから。

 

Tでつながる私とあなた。

本筋とは関係のない話を長々としてしまいました。ここからはちゃんと本エピソードについてお話をしたいと思います。

 

彼女の優越。

わたしはあんたたちとは違う。
わたしとお兄さまは兄妹なんだから。
血がつながってるんだから。

今回の重要アイテム、テレフォン(携帯電話)。冬芽のもとには、ありとあらゆる女の子たちから電話がひっきりなしにかかってきます。七実はそのことに少しの嫉妬を感じつつも、それ以上に優越感を抱いていました。なぜなら電話でつながるガールフレンドたちなんかより、七実と冬芽にはもっと深いつながりがあるからです。それが、血。ふたりは血を分けた兄妹なのです。七実はこれまでそのことを支えとし、強固なアイデンティティを構築してきたといえるでしょう。

 

彼女の崩壊。

しかし、ふたりは実の兄妹ではないという疑惑の浮上によってそれは一気に崩壊。自らもこれまで見下していた、携帯電話でつながるしか能のない"虫"でしかなかったという事実と自覚(DUEL:21「悪い虫」参照)。そしてそれを見計らっていたかのように質の悪い"ジョーダン"で七実を振り回す冬芽。

 

おさる少女。

が復活。なぜか映画の撮影をしているウテナとアンシー。王子さまになりたいアヒルの子。ダボハゼになりたいアヒルの妹。

ならないと思うよ。 

だってほんとはカッコーの兄妹なんだもん。

 

 

彼女の拒絶(後出しじゃんけん)。

七実は、暁生とアンシーの情事をついに目撃してしまいます。大ショックです。びっくりです。ドン引きです。暁生とアンシーについて、

 あんなにかっこいい人がきょうだいだったら誰だってメロメロよ。

などと言っておきながら。

七実の性的なものに対する忌避感というのはDUEL:27「七実の卵」で触れたとおりですが、それにしてもこの拒絶っぷり。迎えにきた冬芽に対しても拒絶。これまでの関係性の崩壊。それが大きな大きなものであり、彼女を混乱させているということは確かなのでしょう。でもこれまでの七実さまの印象から考えるに、ここで彼女は大喜びしていてもいいはずだった。でもそうではありませんでした。七実と冬芽は、暁生とアンシーのように対になった存在ではないのです。七実は冬芽のお姫さまになりたいわけじゃない。彼女は、冬芽を自分の中の一部として捉えていました。かつてウテナが、"王子さま"と対になる"お姫さま"になるのではなく、"王子さま"と自分とを融合させてしまった時のように。そしてそれは呪いとなって、彼女たちを永遠に縛りつけるのでした。

お兄さまはお兄さまよ。
今までのこと、ナシになんてできないわよ。

 

 

LA BANDE

一度好意をもった相手のことはなかなか疑えないものですよ。
まさか自分を騙して利用してるなんてね。

盛大なネタバレ、そしてブーメラン。薔薇の花嫁はそのことに気づいているのでしょうか。

冗談ですよ。

 

 

 

DUEL:30「裸足の少女」<少女革命ウテナ>

 

ばっはは〜い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:30「裸足の少女」

放送日:1997年10月22日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ:風山十五
演出:桜美かつし 作画監督香川久

 

ウテナエピソード。蝋燭の火とともに揺れるウテナの心。消えゆく炎は何を意味するのでしょうか。徐々にですが、ウテナも"世界の果て"へと向かいはじめているということです。

 

靴を脱がない少女。

さて、タイトルにもなっている「裸足の少女」とはいったい誰のことで、なにを指すのか。本エピソードでは、"靴を脱がす"という描写が目立ちます。"脱ぐ"ではなく"脱がす"、または"脱がされる"。それは"神"によって。あるいは"王子さま"によって。このことは、女性が自らの靴を自分自身で選択することと、それをはいて自分の力で歩いてゆく力を奪われることを意味します。少女たちは靴をはき続けてはならない。王子さまはその靴を脱がさなければならない。誰がそんなことを決めたのか。それは神であり、"世界の果て"であり、目の前にいるその男です。ウテナは靴をはき続けようとする女の子でした。"世界の果て"が決めたルールに従わない彼女は、罰を受ける。永遠に踊り狂わらなければならないという罰。教会に赤い靴ははいてゆけない。そして今回、ウテナは選択を迫られるのです。"過去の王子さま"を忘れ、靴を脱ぐのか。それとも罰を受けるのか。それとも、世界を革命するのか。

 

消えゆく炎。

もうひとつ印象に残る演出といえば、やはりこの揺れて消える蝋燭の炎。冒頭では3本の蝋燭に火がついた状態ですが、ウテナが暁生に迫られるたび火は激しく揺れ、徐々にその本数を減らしてゆきます。そしてエピソード終了時には、最後の一本も消え......。この演出が意味するところは、やはり"ウテナの心"。心といってもいろいろな"心"があるわけで、ウテナのどんな心が揺れ、どんな心が消えるのか。まあ別に難解なお話というわけでもありません。ウテナの心は"過去の王子さま""美しい思い出"と、今目の前にいる生身の男、つまり暁生の間で揺れているわけです。炎は、"美しい思い出"そのものとも捉えられますし、それを忘れずに強く抱き続ける彼女の気高き心とも受け取れるでしょう。そしてそれが消えゆくということは。

ウテナは、"靴を脱がされる"ということを選択したのです。それは"世界の果て"への第一歩となります。でも、絶望するのはまだはやい。ウテナは、まだ足を切られたわけではないのだから。

 

蝋燭をもつ少女。

この蝋燭、はじめは真っ黒な背景の中でゆらゆら揺れているのですが、中盤でとあることが明かされます。それは、その蝋燭を持っているのが実はアンシーだったということ。

ばっはは〜い。

アンシーは、暁生にウテナの靴を脱がせるため、彼らをふたりきりにしようとします。それはなぜ?もしやすべてを操っているのは彼女なのでしょうか。ウテナの炎を吹き消すのは、もしかしてアンシーなの?アンシーはやっぱり"怖い女"なの?王子の悲劇も、姫の抑圧も、すべては魔女のせい?

 

影絵少女

と決めつけるのもまだはやい。

その靴を捨てなさい!
それをはいてると死ぬまで踊り続けなきゃなんないのよ!

アンシーはウテナに警告しているのです。さっさと靴を脱いでしまいなさいと促しているのだ。だってそうしなければ、ウテナは罰を受けることになる。死ぬまで踊り続けるくらいなら、どうせいつか足を切られてしまうのなら、靴なんて脱いでしまった方がまし。でもそれは、ウテナにアンシー自身と同じ道を歩ませることになります。そのことが彼女にはまだわかっていないのです。暁生がウテナにキスをした時、残された蝋燭はあと1本。一本の気高き炎はその警告に対し、こう答えます。

そういうあなただって手に持ってるじゃない。
あたしと同じ赤い靴。

そう。アンシーだって自分の靴を持っているのです。持っているだけよ。あたしははいたりしないわ。自ら望んで罰を受けにゆくほど愚かじゃない。

持っているのにはかない阿呆。
はかないのはあんたの人生。

靴を脱ぎ、王子さまに抱かれて歩く人生。それが彼女にとっての幸せであるなら、それがいちばんであることは確かです。自分で選んだことなら、誰かに否定される筋合いもないでしょう。靴をはかないのは、アンシーの人生。でも、その道を選んだ理由が、"罰を受けるから"だとしたら?彼女は永遠の苦痛を、永遠の幸福だと錯覚しているだけだ。アンシーがほんとうに幸福なら、靴なんて捨ててしまえばいい。ウテナに警告する必要もない。でも、彼女は持っているのです。ウテナとおんなじ赤い靴。

 

ふたりのベッドルーム。

わたしを忘れないで。

いますよ。わたしにも、王子さまが。

"美しい思い出"を忘れないでほしいし、"王子さま"の正体を、本当の姿を思い出して欲しい。あなたに靴を脱いでほしくないし、わたしも靴をはいてみたい。残ったひとつの炎はわたしだ。わたしを忘れないで。だからアンシーは、ウテナの心を握ってそこに立っているのです。*1

 

大人のベッドシーン。

君は見る目があるよ。
あれはいい女になる。

王子さまたちにとって、ウテナは自分の信念を揺るがす存在。靴を脱がしてほしがるお姫さまばかりを相手にしなければならない、どんな女性にとっても"王子さま"でなければならないことに疲れたダボハゼたちにとって、ウテナは新鮮に映ったことでしょう。でも、彼らにウテナの何がわかるというのでしょうか。"あたしの大事な赤い靴"と、"ガラスの靴"は根本的に違っている。そのことにすら気がつかないなんて。

あなただけよ。わたくしの王子さまは...

なんと哀れなダボハゼたち。自己憐憫に浸ることしか能がない。踊り狂わされる少女たちより、よっぽど哀れです。"王子さま"役はこれだからつらいよってさ。そのみすぼらしさを隠すために、今日も必死で王子さまを演じているのですね。おさるを捕まえるのも、靴を脱がすのもまた、あんたの人生。

 

 

LA BANDE

フィナンシェのことすっかり忘れてる暁生。
次回、

B型は自己中心的で思い込みが激しい 

あの子のお話です。

 

 

 

*1:ベッドに七実がいるのをみて

DUEL:29「空より淡き瑠璃色の」<少女革命ウテナ>

 

あなたは奇跡の力に、どんな想いを託していたのでしょうか。
そしてその想いは、誰かにあてたものだったのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:29「空より淡き瑠璃色の」

放送日:1997年10月15日

脚本:白井千秋 絵コンテ:橋本カツヨ
演出:岩崎良明 作画監督:たけうちのぶゆき

 

ラスト樹璃エピソードです。今回の脚本は白井千秋さんというお名前になっていますが、もともとはDUEL:17DUEL:21、そして前回のDUEL:28を書いた月村了衛さんが担当されていたそうです。ただ、絵コンテの橋本カツヨさんがその脚本を気に入らず、しかも自分で書き直す時間もなかったために、彼は脚本に沿わずに絵コンテをきった。のだとか。

 

車とハイウェイ、世界の果て。

"世界の果て"とは、それを見る人間によってまったく異なる意味を持つものです。たとえば西園寺のみた世界の果ては、支配に忠実であれば自らもまた支配者になれるという"嘘"。梢がみたそれは、他者の欲望を受け入れ自尊心を捨てる"諦め"。幹は、自分の欲望を正当化させる"エゴイズム"。

樹璃に"世界の果て"を見せることは、むずかしい。彼女は棘を持っている。天敵の虫も死んでしまった。そこで派遣されてきたのが、土谷瑠果です。彼は、この世界でもっとも"うつくしい"物語を彼女に見せる。それは樹璃が嫌った、あのセンチメンタルな"王子さまとお姫さまの物語"です。

このお話はとっても残酷です。この世界を革命する者がウテナとアンシーだけなら、その他の人間たちは彼女たちの物語の、いわば伏線でしかありません。樹璃は世界を革命できない。奇跡の力は手に入らない。

 

有栖川樹璃の果て。

彼女のみた"世界の果て"は、このハイウェイの時点では、単なる諦めでした。枝織を救うために、自らの気高き想いを守るために、樹璃は瑠果に身を売った。彼女の椅子はまだ、枝織の椅子に向いていた。

 

ふたりのベッドルーム

人は時として、自分でも思ってもみないことを言ったり、またしてしまったりすることがあります。

 

君も、そうなのかい?

 

すべては彼女たちの物語の伏線。

 

僕が憎くて憎くてたまらないか。

エスとしか答えようがありません。あまりにも憂鬱なので書いてしまいますが、わたしはこの、樹璃が瑠果に無理やりキスされる場面がほんとうにきらいです。トラウマです。恐怖です。まさに侮辱。これ以上の侮辱はない。樹璃は同性愛者ですが、枝織に無理に迫ったりとか、そういうことはまったくしなかった。たしかに樹璃は、枝織への想いから解放されねばならなかったのかもしれない。でも、だからといって彼女の想いと、その証だったペンダントを踏みにじったらいけない。誰だってそんなことをする資格はない。みなさん薄々気づいているかと存じますが、わたしは瑠果がだいきらい。

 

永遠を運ぶゴンドラ(決闘広場)

わたし万物百不思議」。

 

花嫁。

瑠果が樹璃の剣を抜くカットは、最高に"うつくしい"。彼女が瑠果の"花嫁"になるということがなにを意味するのか。わからないひとには一生わからない。死ぬまでわからないよ。死んでもわからないか。こんなの悲劇でしかないのに、誰もが樹璃には目を向けない。なぜなら彼女はもう"花嫁"だから。

 

王子。

王子は必死で説得をします。憎しみを持てといいます。理不尽に対する怒りを持てと。それこそ理不尽だ。怒りと解放はたしかに似ているし、地続きかもしれません。でもその怒りを引き起こしたのは樹璃自身じゃないでしょう。そして王子と花嫁の力、ディオスの力は、そのセンチメンタルで彼女の想いを破壊します。

 

殺害。

その結果が、これです。これが果たして解放と呼べるのか。なんたる自己満足。しかし王子もまた、"世界の果て"のための駒でしかありません。ただのおさる捕獲ロボットです。花嫁を殺し、自分も死ぬのです。

 

影絵少女

うつくしき死。

ここで、樹璃のみせられた"世界の果て"の正体と、とらわれた"うつくしき物語"の全容が明らかになります。樹璃のほんとうの果ては、無。彼女が彼女であるための誇りは、瑠果と暁生によって奪われました。愛するひとのことを忘れた人間。"王子さまとお姫さま"の物語と、それに纏わる奇跡の力を否定する強さはもうない。王子と姫のどちらかを選ばなければならない虚しさ、その組み合わせしか許されないばかばかしさ。彼女のほんとうの怒りはそちらではなかったか。これを殺人と呼ばずになんと呼べばいいのか。でも、守られるだけのお姫さまにされてしまった樹璃の話はもうおしまい。ヒーローは、王子さまは、自分の命を削っても"お姫さまのために"死んだ瑠果だからです。彼の死は、うつくしく消費されます。死は、死そのものではなく、誰かを感動させるための道具として扱われる。物語のための死。哀れな王子さま。でもその褒美として、"女"が手に入る。だからぜったいに同情はしない。こんなのただの自慰行為でしょ。死んでもやってろ。

 

完成しない三角形。

樹璃は、ついにその想いを向ける先を変えました。そして枝織もまた。あの気高き橙の薔薇を散らしたのは、虫の毒でも、殺虫剤でも、お部屋の匂い消しでもありませんでした。

願わくばその想いが、届きますように。

これは瑠果のお話。ただのセンチメンタル。ただの猿芝居だよ。

 

LA BANDE 

そういえば、君にも好きな人がいるんだっけ。

いっちばん憂鬱な回が終わりました。なんと後味のわるい。次はウテナ回です。だいすき。ワクワク。

 

 

 

DUEL:28「闇に囁く」<少女革命ウテナ>

 

夜がいくら長いといっても、僕たちにはほんのつかの間でしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:28「闇に囁く」

放送日:1997年10月8日

脚本:月村了衛 絵コンテ・演出:高橋亨
作画監督:阿部邦博

 

ずっと言葉にできない想い。
でも、私の心はいつも、囁き続けている。

そして、あなたも。

 

樹璃ラスト前後編の前編。樹璃の恋愛のゆくえ。

 

生徒会(お食事)

土谷瑠果

果。今回のキーパーソンとして、土谷瑠果という人物が登場します。フェンシング部の(元)部長で、病で休学していましたが、今回から復学しました。彼も世界の果てから選ばれたデュエリストです。しかし、これまでのふたりと同様、瑠果もまた決闘はしないといいます。ただそれは大人への反抗心によるものではなさそう。彼の目論見は、この前後編最大の謎で、最大のセンチメンタル。

 

世界の果てがおかんむりだよ。

生徒会メンバーの誰もがウテナを倒せないので、世界の果てはおかんむり。これは、物語が第2部までのように、彼の思うがまま進んでいるわけではないということをあらわしています。ウテナを倒すため、瑠果は派遣されたのでしょうか。なにはともあれ、次回、"世界の果て"はもっとも姑息な方法によって樹璃をそこへ導きます。

 

 

ふたりのベッドルーム。

なんだか胸騒ぎがする。

ウテナの予感はいったい何を意味するのでしょうか。

彼は知っている。すべて、知っているんだ。

ということです。

 

 

車とハイウェイ、世界の果て。

高槻枝織の果て。

あなた、最低ですね。

樹璃への支配欲と劣等感で雁字搦めになっている枝織。気高き薔薇をむしりとって"愛すべきひと"に差し出す虫。そのほかのことはなにも見えない。 彼女は自分の苦しみも願いもなにひとつ自覚できずに、ただただ樹璃を傷つけるだけなのです。自分を見失い、他人に存在意義を求める。"いちばん嫌いなひと"なのにね。

 

影絵少女

タイヤ?

枝織にとって"食べられるタイヤ"は、樹璃だけ。でもそのことに彼女は気づかないし、気づこうともしません。だからダボハゼにひっかかるんです。

 

永遠を運ぶゴンドラ(決闘広場)

天使アンドロギュヌス」。

 

神さまのいうとおり。

君には未知数の力がある。
僕では勝てないかもしれない。

瑠果はこの決闘でウテナに勝てないことはわかっていたのかもしれません。それはおそらく"世界の果て"の思い通りで、枝織のみた"世界の果て"の果て。

君の演技、面白かったよ。
アドリブにしては、上出来だ。

瑠果が枝織に抱く憎しみは、いったいどこからやってくるものなのでしょうか。忘れてはならないのは、彼もまた"世界の果て"の住人であるということ。

 

虫の死。

樹璃を傷つけたところで、なにひとつ手に入らなかった。偶然手に入れた一瞬の優越によって残されたのは、より大きな劣等感と憎しみだけ。虫はみずからの毒によってその身をついに滅ぼしました。(参照:DUEL:17

元をたどれば誰も悪くはないでしょう。ただ虫はその毒をコントロールする術を持たねばなりませんでした。でも"世界の果て"はそんなこと教えてくれなかった。彼の見せる"大人"なんて、結局はそんなものなのです。

 

闇に囁く。

彼らが囁きつづける"闇"とはいったいなんなのか。なにも見えない場所。なにも響かず、なにも届かず、それなのになぜ彼らは囁きつづけるのか。そこに何があるのだろう。きっとたしかに何かがあって、彼らはそれを欲するのでしょうが、でもやっぱりそこは"闇"だから、彼ら自身にだって、何も見えない。

 

 

LA VANDE

好きってこと。それが何を意味するかは、人それぞれ違いますから。

 次回は有栖川樹璃の果て。憂鬱。

 

 

DUEL:27「七実の卵」<少女革命ウテナ>

 

卵はふつう食べるものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:27「七実の卵」

放送日:1997年10月1日

脚本:比賀昇 絵コンテ:錦織博
演出:伊達勇登 作画監督:田中孝弘・中山由美

 

伝説の七実さまギャグエピソード。七実が卵を産むお話です。文字通り、七実が卵を産むお話。完全なるギャグとして七実のクレイジーさを楽しむことのできるお話でもありますが、彼女のキャラクターに関して深く考えるという意味でも楽しい回です。

 

砂場でみつけたわたしの〇〇。

今回は、七実の幼い頃の回想(夢)からはじまります。七実は砂場で"卵"を見つけるのですが、これがたいへん思わせぶりな場面。だって砂場からなんか変なもん出てきたらまず近しい人に見せに行ったりしませんか。特に七実なんて、だいすきなお兄さまに真っ先に報告しそうなのに。しかしそんな彼女は、その「変なもん」をとっさに隠します。この砂場から出てきたものは、ほんとうにただの卵なのか。卵とはいったいなんなのか。。

 

彼女の卵。

今日の3時間めの体育は、女子だけ保健体育に切り替わったそうです。

そういった疑問は、石蕗のこの言葉で思いの外簡単に解明されてしまいます。卵というのはそのまんま(?)、生理(月経ね)、出産などのことと受け取っていいみたいです。 

第2部の黒薔薇編からわりと強調されてきたのですが、とりわけ七実という人物には"性"の話がつきものだなと思います。それは単純に下ネタ、っていうことでもあるし、真面目に"性"の話でもあるのですけど。ウテナ全体のテーマとして"子供から大人へ"っていうのはほぼ一番か二番に挙げられるものだと思うのですが、3部の暁生編からはそれが更に色濃くなっていきます。そしてこの先のDUEL:31.32に向けても、この七実が"卵"をどう位置付けているかってのが重要なんだよね。まあ特に大した意味もないでしょ、って言われちゃったらそこまでなんですけど。。

 

七実さまってば宇宙人。

 てるてる坊主の七実さま〜

このへんの笑いどころについてはもう言及するまでもないと思うのですが、やっぱりコサックダンス石蕗がいちばんおもしろいかな。お気に入りはクルクルミッキーだけど。。。ちなみに、幹に相談するまで七実は「卵を産んじゃうこと=おかしいこと」だと認識しているのですが、どうやら卵を産んじゃう女の子もいる(ちがう)と知ると、逆に知らなかったことを恥だと考えるようになるわけですね。

これはなんていうか生理あるあるで、同級生の女の子たちよりも生理がはやく来ちゃうのも恥ずかしいし、遅すぎるのも不安だし恥ずかしい。生理に限らずこういう話って誰彼かまわずできるものでもないですからね。

 

タマに傷がつくところだ。

で...でかい。

樹璃がいうとそれはまたちょっと違った性の話になってしまうのですが。。まあこれも無関係じゃないです。

悩むことなんてなかったんだわ。
卵なんて誰でも産んでるんだから。

こうやって安心させてくれる人が身近にいたらすこしは違うのかもしれない。でも七実の場合そうともいえないから卵を隠すんだと思うのです。

 

七実の様子がおかしい。

じゃあわたくしが時速300キロで走れっていったら走るのね?
わたくしがマッハ5で飛べっていったら飛ぶのね?
わたくしが海底一万メートルに潜れっていったら潜るのね?

 これ七実さま理不尽だな〜って見るところかもしれないけど、わたし的には超共感できるイライラ。おまえは何もわかってねえのにわかった面してんじゃねえよっていうね。

  • ひょっとしてマタニティーブルーだったりして。
  • まるで卵を産んだときみたいですね。
  • ペットの七実(ニワトリ)
  • ニワトリといっしょにされたら七実だって迷惑だよ。
  • でも、父親は誰なんでしょう。

 意味不明すぎるので箇条書きにしてまとめました。七実の様子というより、このひとたちの会話がおかしい。ふたりのいわゆるズレってやつが反対方向に向かって凸凹なので結果うまく合致しちゃってるみたいな。そもそもそのマタニティーブルーっていう発想がどこから出てくるのかぜんぜんわからん。おかしなアンシーに突っ込むウテナに見せかけて、おまえもそこそこよくわからんよ。

 

彼女の罪。

七実、なぜこうやって日々を楽しく過ごせるかわかるか?
...それはお前が卵を産むような女の子じゃないからだ。
かわいそうなのは、その女の子に裏切られた家族の方だ。

これが冒頭とつながってくるというわけ。体が子供から大人に向かっていくこと、性的なことに興味関心を持つこと、または誰かを性的な対象として見ることに、なぜか罪悪感を感じる、感じなきゃいけない世界のムードってあるとおもうんですが、七実は無自覚でもそのことに敏感なタイプなのだとおもう。そしていちばん身近な、崇拝する存在にこんなことを言われちゃね。そりゃ卵だろうとタマだろうと隠すほかないでしょう。そしてそれゆえに性的なことに関する忌避感みたいのはどんどん高まってゆく。

 

影絵少女

卵じゃなかったようです。

未知に対する興味と恐怖。知ってしまえばなんてことはないものかもしれないけど、でもその恐怖だってほんものだしね。あんまり放置していると一人でに暴走しはじめちゃうのかも。

 

ふたりのベッドルーム。

ウテナさまは生まれ変わりを信じますか。

親から子へと永遠に受け継がれていく心の橋渡し。それは生まれ変わりでもあり、もしくはもうひとりの自分でもある。ゾウは寿命がくると群れを離れて人知れず死んでゆくそうです。

どうしてそんな話をするの?

 

得体のしれないわたしの〇〇。

七実にとって卵とは未知への恐怖でもありながら、大切にすべきじぶんの分身のようなものでもあります。それは時に暴走したり、巨大になりすぎたり。。卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでゆく。七実が殻をやぶったその先にあるものとは。

 

おかえり。

そういや最近見かけないな。

初代チュチュから受け継がれてきた永遠の橋渡し。さよならチュチュ。こんにちはチュチュ。

 

 

LA BANDE

焦げてる。

親という存在が希薄な鳳学園という世界において、この回はちょっと特殊でおもしろいお話でした。次回は樹璃回。憂鬱。