永遠の卵

少女革命ウテナのはなしがしたい。

DUEL:36「そして夜の扉が開く」<少女革命ウテナ>

 

立っていると危ないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:36「そして夜の扉が開く」

放送日:1997年12月3日

脚本:月村了衛 絵コンテ:錦織博高橋亨
演出:高橋亨 作画監督:田中孝弘

 

そして夜の扉は開きます。夜の扉。チュチュのほる穴の中。地下のミミズ。深入りしてはならないもの。でも戦わなきゃならないもの。

 

女の子。

私には今、彼女が女の子に見える。

ウテナの姿をみた樹璃先輩の台詞です。DUEL:33 をみたあとなら、ほとんどの人がそう感じてるかもしれない。幹がいうように、ウテナは女性です。物語がはじまった時からずっと、彼女は女の子。でも、そういう意味じゃないんです。ウテナはもう男装の麗人じゃなくって、気高きウテナさまじゃなくって、ひとりの男の手に堕ちた、単なる、女。あなたは誰?そういうことですよね。DUEL:33をみたほとんどのひとが衝撃を受けるのは、主人公だと思っていた、何にも勝るヒーローだと思っていた男という名前の少女が、ただの愚かなクソビッチだったから。ハッピーエンドのお伽話だと思っていたアニメが、ドロドロの愛憎劇だったから。なんだろう、このささくれた嫌な空気は?BGMと演出のせいですね。クソビッチ上等。ドロドロ上等。男とセックスしようが、その模様が夕方6時からお茶の間で流されようが、ウテナウテナです。夜の扉なんて開けゴマ。

 

盗んだバイクで走り出す。

いやなのは支配されることだ。

西園寺が反抗することは、ただしい。この支配からの卒業。なのに、彼はバイクを運転することがきない。冬芽が世界の果てに従うのもまた、ただしい。でも彼は盗んだバイクで走り出す。

冬芽がはじめて自分でものを考えるようになったってのは、まあ、よいことだとおもう。でももう手遅れかもしれません。彼はもうじき大人になります。王子さまじゃなくて、ただの人間の大人になる。この支配から逃れても、その先にあるのはたぶん、さらなる支配。車を運転しても、お城で暮らしても、彼はただの人間です。

俺たちは棺の中から這い上がるのだ。
世界の果てによって用意された棺の中から。

でも、立っていると危ないんです。それが大人になるということなの。命を失っても立ち上がるか、それとも棺の中で安全に過ごすか。

お願い。この棺を開けないで。

かつてそう願った女の子は、いったいどんな選択をするのでしょうか。

 

 

 ふたりのベッドルーム。

ねえ、チュチュ。
姫宮がこうしてお兄さんに会いにいっている間、君はいつもひとりでお留守番していたのかい?

これは、前に2ちゃんねるかどっかで面白い解釈をみたのでメモ。 チュチュ=アンシーの心・本心だと捉えるなら、彼女が兄とセックスしている間、彼女の心はいつもひとりでお留守番。なのである。そして置いてけぼりにされたアンシーの心を汲み取るウテナのやさしき心。しかし彼女もまたその心を置き去りに、偽の王子さまに連れられていくのです。

 

夜の決闘広場(猿芝居)

ふたりっきりで暗いところとか行っちゃダメだってば。ほだされやすいんだからねほんと。

俺は君の王子さまにはなれないだろうか。
俺の王女は君しかいない。

おりてくるお城と、空にかかるオーロラ。ロマンティックな台詞とかるいBGM。この場面は、世の中ではとんだ猿芝居と悪名高いアレです。 そう。プロポーズです。ぼくと一緒に暮らしましょう。あのお城の中で永遠に。いつまでもいつまでも幸せに暮らしましょう。立っていると危ないですから。

後述する生徒会でも述べられるように、この冬芽からのプロポーズは、明確に最後の逃げ道です。ウテナが何万もの剣に串刺しにされないための。現実と照らし合わせていえば、"売れ残り"(ほんといやな言葉ですね)の"愚かな女"にならないための*1。訂正、ほんとは最後の最後にもうひとつだけあるんですが、ウテナが自らの意志で逃げ道を選択できるとすれば、ココだったってことなんだろうね。しかし、それもまた罠です(劇場版を参照)。

にしてもこの場面の冬芽の台詞、どんなに真剣に聞こうとしても耳がすべるっていうかぜんぜん頭に入ってこないな。ただこれ本気でいってるのですよね。だから余計質悪いっていうか、ついに冬芽がダボハゼから人間へと降格してきたことの顕れかなとか思いつつも、ウテナの返事、「わかった」って。わかっちゃうのかよ。さすがクソビッチ。ヲタサーの姫。サークルクラッシャー。日本三大悪女。ほんとウテナだいすき(皮肉ではなくて)。これで決闘勝っちゃうんだからね。

 

 

生徒会(銃)

 俺はもう一度闘う。
そして、勝たねばならない。
彼女を救うには、やはりそれしかない。

"世界の果て"を疑うには、もう遅すぎた。冬芽は、"世界の果て"に従うという形でしか、ウテナの棺をそっと閉めてやることでしか、彼女を救うことができません。彼女がほんとうは外に出たいと願ったとしても、彼は、"ウテナのために"忠告します。立っていると危ないぞ。でも、なんの権利があって彼にそんなことがいえるというのだろう。"してあげたい"と"してほしい"の混同。なぜ冬芽は負けるのか。それはこのへん(DUEL:04DUEL:05)をよんでね。

 

 

影絵少女

おまえ、王子さまなら、馬でもいいのか...

 馬あね。ダボハゼでも鯉でも恋でもタイヤでも。骨だけの魚よりマシですし。しかし、パンだと思った拳銃は、すぐ横に。(参照:DUEL:19

 

愚かだとおもいます。"王子さま"と名のつくものなら、どんなものでも。馬だろうが人間だろうがステキステキ。でもこれって誰のことなんだと思います?ウテナ?アンシー?七実さま?専業主婦志望で婚活パーティに参加する未婚女性(31)?否、これは冬芽からみた、もしくは暁生からみた"女"なんだろうとおもいます。だって、こういう揶揄されるようなキャラクターって出てこないですよね。ウテナは思い出の王子さまに気味悪いくらい固執してるし、七実さまはお兄様一筋、アンシーも最初こそあれだけど、もうそんな感じしないし。世の理を表すような影絵少女だけれども、どんどんボロがでてきます。だって彼女たちは影絵で、アニメで、カオナシで、ただの大衆の代弁者だからです。

 

 

まぼろしのお城(決闘広場)

寓意・寓話・寓エスト」。 

守ってあげたい。

天上。俺がお前を守ってやる。

王子さまからの最後のプロポーズと、

君は必ずぼくが守ってみせるから。

魔女になりゆく英雄の、最後のプライド。

 これはどちらも本気で本音で言ってるんだとおもう。でもウテナは、もうかりそめの王子さまに興味はない。盗んだバイクの刺激より、新車を持った男がいい。守られる喜びより、守ってあげる喜びがほしい。新車を持った男を選ぶことと、誰かを守ってあげたいと願うことは、矛盾します。でも、王子さまでありお姫さま。少年であり、少女。忘れてしまったけど、覚えてる。その矛盾こそがウテナさま。冬芽はウテナに勝てません。

アンシーは、まだウテナをすきです。すきだし、憎んでるし、試しています。"これでもわたしを守るだなんて言える?"。というように。誰かを守ったその先に、何が待ち受けているかも知らないくせに。

 

目撃者の証言⓶

これで君は世界を革命する者となった。
だが、世界の果てにも、薔薇の花嫁にも、心を許してはならない。

それが俺に言える最後の言葉だ。

ウテナは、王子と姫のセンチメンタルな猿芝居を、彼のプロポーズと、それにまつわる世界のルールをついに拒絶しました。 彼女は、暁生の助手席に座った翌日にはもう、盗んだバイクで走り出しているのです。そういう人間です。危ないといわれても大好きなともだちとブランコ二人乗り(しかも立ち漕ぎのほう)しちゃうんです。それが本当に気高き者の証。暁生が求める"穴"です。だけど彼はそれを忘れてしまったから、ウテナからそれをなんとしても奪い取ろうとします。でも奪い取っても穴の空いた心じゃ、すり抜けていってしまうだけだけれど。

さよなら、先輩。

 

ふたりのベッドシーン。

そうして、夜の扉は開きます。

ウテナは幼い頃、この棺を開けないでほしいと願いました。しかし14歳になった彼女は、その願いに応えようとした冬芽を拒絶します。だから棺は開く。それはいたって簡単なことでした。たぶんそれは、時間が過ぎていくことや、思い出を忘れてしまうことぐらい簡単に。子供が大人になるのと同じくらい、簡単に。

ウテナは暁生とアンシーの秘密をついに知ってしまいました。アンシーの"裏切り"に、ウテナはどう応えるのだろうか。かりそめの王子さまは、倒した。残すは"本物の王子さま"だけ。

 

 

LA BANDE

ねえ姫宮。
やっぱりぼくは、どうしても君を許すことができないよ。

VS

ウテナさま。
ご存知でしたか。わたしがずっと、あなたを軽蔑してたってことを。

 

*1:にしても、男とセックスすりゃクソビッチ、一生しなけりゃ売れ残りって。なんだそれ

DUEL:35「冬のころ芽ばえた愛」<少女革命ウテナ>

 

これはキャラメルじゃないんだってば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:35「冬のころ芽ばえた愛」

放送日:1997年11月26日

脚本:月村了衛 絵コンテ:松本淳
演出:伊達勇登 作画監督相澤昌弘

 

タイトルうまいこと言ってみました感。あと冬芽の鯉のはなし。海にいるはずのなかった恋の話です。うまいこと言ってるようで言ってない感。

 

 

 

ひなげしの花。

項羽に愛された虞美人。男のために自ら死を選んだ女。

ひなげしの花言葉ってなんですか?というか、数多くある中から、暁生さんが選んだのはどの花言葉なんですか? 第35話の全体をみるに、"恋の予感"。これはこれでしっくりくる?でも、それだと暁生さんの話の文脈に沿ってないような気もする。となるとやっぱ"慰め"の方かな。彼の"恋の予感"と、叶わぬ恋への"慰め"。

それから、今回のエピソードのみではなく、『少女革命ウテナ』全体を象徴するものとして"忘却"なんてのはどうだろう。夢と理想を忘れて"世界の果て"に向かう女の子と、忘れ去られる自己犠牲たち。そんなものものに対する"いたわり"。そして"妄想"。とかね。

 

強いことは、なにもないということ。

どっか(たぶんDUEL:03)に書いたんですが、冬芽がこの物語において何を意味するってそれはやっぱり軽薄さ。幻。暁生さんが映し出す。冬芽さまって超うすっぺらいよね。自覚があるんだかないんだかわからないけれど、まあ、あるんだから、"悲劇"がだいすきだし、甘々な虚無に浸るのもだいすきなんでしょう。そのきもちは、めっちゃわかるけどね。幸せって手に入れるの大変じゃないですか。だから偽物の不幸をその代替品にするっていうの?穴だけぽっかり空いてるよりはましですからね。そして自分以外の誰かに空いた穴を、その誰かのために埋めてやりたいと願った時、彼ははじめて"弱さ"を手にいれる。

フェミニストを自称しても本気で人を愛したことなどなく、人は利用するものとしか思っていない。それが貴様の強さだった。だが、その剣で彼女に勝てるのか?

 

生徒会(記者会見)

西園寺はこのことにはじめから気づいてたのでしょうか。とんだピエロです。でも彼はやっぱ冬芽のこと好きなんでしょうね。だってぬるいもん。事実、冬芽の虚無は、イコール"強さ"です。樹璃や幹のような"想い"がないからこそ、彼は冷酷で、手段を選ばず、厚顔無恥で、ダボハゼで。。。。 そしてだから王子さまにもっとも近い存在なんです。同じ髪型、同じ服装、台詞のほとんどない、"王子さま役"。

俺もあの人のようになりたいんだ。
あの人のような、力が欲しい。

どこまでも薄っぺらいことしか言えないこの男の強さは、けっきょくただのハリボテでしかない。強さは弱さと表裏一体です。光と闇が背中合わせのように。でも彼の強さは、ただの強さです。

あの子は今も棺の中にいる。いや、彼女だけじゃない。
俺たちも棺の中にいるんだ。

冬芽はウテナへの想いを自覚して弱さを手に入れましたが、それは世界を革命する鍵にはなりません。だってウテナは冬芽を必要としないから。彼が気づくべきは、誰かの穴を埋めてやる幸福ではなく、同じ穴を持った友だち。誰かの棺を開けてやる必要はないというものです。それは最大の自己犠牲で、同時に最大の傲慢。

 

影絵少女

しーっ。
コイですよ。

海に鯉はいないし、この世界に恋なんてない。

 

 

LA BANDE

決闘より恐ろしいものを、あなたはご存知ですか。

 

DUEL:34「薔薇の刻印」<少女革命ウテナ>

 

ごめんなさい。目、閉じちゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:34「薔薇の刻印」

放送日:1997年11月19日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ:佐藤順一
演出:桜美かつし 作画監督:門上洋子・長谷川眞也

 

本エピソードは、相反するふたつの物語によって構成されます。それは、影絵少女たちが演じる『薔薇物語』と、ウテナの夢の中の王子、ディオスが語る『薔薇の物語』。どちらも"真実"といえばそうなのですが、前者が寓話というか、より一般的なお話に帰納された物語であるとするならば、後者はもっと個人的なお話、つまりウテナとアンシーとディオスの話。

そして、そのふたつの物語によって何が明らかになるかといえば、

  1. 暁生の悲劇
  2. ウテナのみた"永遠"・"王子さま"の正体

です。また、今回新たに生まれる謎が、

  1. アンシーの信じる王子さまの正体

前々から、ウテナだけではなくアンシーにも"王子さま"がいるということはほのめかされていましたが、今回で初めて、それは彼女を救う唯一のものであると明かされました。そしてそれが誰であるのか、何であるのかということは、わかるようで、わかりません。

ゴタゴタ前置きが長いので、しゅるっと本編に入りたいと思います。それでは。レッツラまぜまぜ!(プリキュアみた)

 

『薔薇物語』

不思議だよな。新しい星を発見すると、発見した自分のものになったような気がする。でも星は星だ。誰のものでもない。誰のものでもないんだ...

暁生の語りから始まります。これもいわば『薔薇物語』の演出のひとつとも言えるでしょうか。暁生さんはこういう喩え話、寓話が大好きです。どっかのアニメーション監督みたいだね。という冗談はさておき、真面目に理解しようとすれば、この語りにおける"星"とは、そのまま暁生さんのことです。"王子さま"という概念のことでもある。光り輝く星は美しいけれど、いつも誰かに所有され、美しさを保ち続けなければならない苦しみを持つ。そしてアンシーがこのセンチメンタルな戯言に対し超テキトーに返答すると、

まだ俺を苦しめるのか?

などと意味深なことを言ってのけるあたり、ここで新しい星を発見し、本人の意思にかかわらず星を所有して苦しめる加害者は、アンシーということになります。被害者は、自分。そんな"星"に憧れるウテナ。彼女がなろうとしているのは、果たして本当にそんなものなのでしょうか。

 

 

写真

ウテナの肩に手をかけようとする暁生をそれとなく制止し、ふたりの間に割って入るアンシー。上記の語りと、影絵少女たちの演劇を踏まえれば、彼女が独占したいのは暁生であり、王子さまである兄。でも。

 

いまだ語られざる、それは『薔薇物語』。

人生はすべて芝居みたいなもの。
ただ役者と観客の2種類の人間がいるだけ。

アンシーのニコニコ笑顔が不気味。役者は彼ら。観客はわたしたち。ここでは、暁生たちは観客役の役者です。そして肝心な『薔薇物語』の内容を簡単にご説明すると、これは、「まだ世界中の女の子がお姫さまだった頃のお話」。世界はまだ完全な闇には包まれていませんでした。

なぜなら、薔薇の王子さまがいたから。

薔薇の王子さまは、怪物と戦いお姫さまを守ったり、お姫さまにクリスマスの予定がなければフランス料理の店を予約してくれたりするとってもありがたい存在。そしてその見返りは、お約束のチュー。お姫さまが王子さまに守られることで、世界は光り輝いていました

そんなある日、通りすがりの老婆が王子さまに忠告します。

この世界の光を盗み、大地を闇で覆い尽くそうと企む者がいます。
...魔女です。

"世界の光"とは、永遠のもの。輝くもの。奇跡の力。世界を革命する力。のこと。それらを盗もうとする魔女を倒すため、王子は彼女が暮らす空に浮かぶ城へと向かいます。

しかし、その"魔女"の正体は、老婆に化けた、彼の妹でした。

私だけはあなたのお姫さまにはなれないのよ!
...お姫さまになれない女の子は、魔女になるしかないんだよ!

そして魔女は王子を幽閉し、光(=王子)を封印してしまいました。世界は闇に包まれ、魔女は今もどこかで気高き若者を生贄にするべく、この世界を徘徊しているのです。。

 

この物語のいわんとするところは、説明するのも莫迦莫迦しいのですが、まあありきたりなお話です。クリスマスにひとりでいることが怪物のように恐れられる世界で、英雄だ、光だと讃えられる王子さまは、忙しい。王子さまが讃えられるには、お姫さまであり続ける女の子が必要だ。まだ世界中の女の子がお姫さまだった頃。あの頃はよかった。お互いが満足していた。でも今はそうではありません。女の子なのに、王子さまになろうとする者がいる。お姫さまから脱却しようとする者がいる。なぜなら王子さまは魔女のエゴイズムによって封印され、世界は闇に包まれてしまったから。愚かな魔女によって、みんなが不幸になる......

 

劇中にスポットライト等で示されるように、魔女(妹)=アンシー、王子(兄)=暁生です。そしてくどいほどに繰り返される"魔女"の笑顔。嫉妬に狂ったおそろしい女。暁生を苦しめ続けるアンシー。見えもしない文字が見えてくるよう。ここで『薔薇物語』は完結です。

 

目撃者による証言

ただの小娘じゃないさ。
彼女は幼い頃に、永遠を見せられた女の子だからな。

ウテナのみた"永遠"の正体とは。

 

 

劇団影絵カシラ。

今回初めて実体(?)として登場するA子とB子。そして(たぶん)友達のいないC子。なぜかお風呂に潜るC子。なぜかシャワーをひねるC子。お風呂でシャワーを浴びるA子とB子。よくわかんないので何がどうなってるのか誰か説明おねがい。

 

 

『薔薇の物語』

暁生は、前述の『薔薇物語』を全肯定するのかと思ったら、意外にも公演後に渋い顔(なんだろうか)を見せていましたし、ウテナに対しても「学生らしい芝居」とどこか見下したような感想を漏らしていましたね。学生らしさ、若さを輝くものとして懐かしがりながらも、どこかでそれを嘲笑している。"世界の果て"らしい所作です。現実が『薔薇物語』のように単純ではないことは、暁生にだってわかっている。光は光単体では存在できません。光には闇がともない、そしてその闇は誰のせいでもない、自分そのものであるというのに、彼はその現実を直視したくないためにアンシーを闇"役"にしているのです。その自覚があるからこそ、彼は何を犠牲にしても、世界を革命したがる。何を革命したかったのか、とうの昔に忘れてしまったというのにね。

 

これが暁生の悲劇の正体。自らも加害者であるという現実から目をそらすためにいつまでも被害者気取りで、悲劇のヒーローでいたら、誇りも気高さも忘れてしまった。空っぽになり、ただの利己主義・虚無主義の大人、世界の果てになってしまったのです。彼はその穴を埋めるため、"世界を革命する力"を求めるのにもかかわらず、同時にそれをあざ笑う。だって穴は穴で、もうなんにもないから、彼は永遠に思い出せないままなのだ。

 

 

いまだ語られざる、それは『薔薇の物語』。

ディオスが語る『薔薇の物語』はいたって簡単な話。王子さまシステムの闇。みんなを助けて疲弊した王子さまをかばった妹は、"魔女"に仕立て上げられました。つまり、『薔薇物語』を作ったのは、アンシーを剣で貫く大衆なのですね。こういう悪い女がいるから気をつけなさいよ、という偏見に満ちたデマ。そんなデマが、今もこの世界に蔓延っているのだからおそろしい話です。

そして、アンシーは"愛"のために自らが犠牲になりますが、その"愛"が向く先はもはや存在せず、彼女には永遠の苦しみが残されたのです。偏見によって憎悪の的となった"女なるもの"。それを目撃したのが、ウテナです。幼い頃、棺の中の少女が見たのは、王子さまではありません。素晴らしいもののように語られていた"永遠"(の幸福。王子さまとお姫さまは、いつまでも幸せに暮らしましたとさ、まる。)でもない。永遠は永遠でも、永遠に続く苦痛です。そんな苦痛にさらされたアンシーに同情したウテナは、自らが闇を照らす光になることを決意したのです

しかし、彼女のそういった"光"にも、もちろん闇はありますウテナは、女の子です。女の子は、幼い頃から多くの『薔薇物語』を見て育ちます。愚かな女は、何万本もの剣に体を貫かれることになりますよ。そういう教訓を示す物語を、延々と押し付けられる。王子さまになろうと決意した彼女の見たその光景は、まさに『薔薇物語』そのもの。そして自分は、"愚かな女"にはなるまいと決意する。"愚かな女"と定義される女を見下すようになる。そこで、大衆に混じり彼女に石を投げるか、かわいそうな彼女を別の立場から「救ってやろう」とするか。ウテナは『薔薇の物語』をディオスから聞かされていたのでまだましですが、彼女はこの時点で自分と"愚かな女"を切り離して考えているのです。ある種の逃避行動ともいえます。自分はあんな風にはならない、"男なるもの"になって"女なるもの"を救ってあげよう。悪意なく、そう思うのです。

 

ふたりのベッドルーム。

あなたの寝顔をみてたの。
あなたは、誰?

自分を救うと豪語する少女に、アンシーは何を思ったのでしょう。ディオスは、「その気高さを忘れなければ」アンシーを救えると言いました。しかし、ウテナ「やがては女性になってしまう」とも言います。これではまるで、"女性になってしま"えばアンシーを救えないという意味にもとれます。アンシーは"女なるもの"だから、同じ立場になってしまえばウテナに彼女は救えないということです。女は女を救えない。だってそういうものだから。そんな物語、この世にはないから。それでもアンシーは、ウテナの光を信じたし、愛したのだろうと思う。それと同時に、アンシーは彼女の闇をも見ていました。"女なるもの"の立場にはならないはずの、また、ならないと信じている彼女の闇を、アンシーは憎んだのかもしれません。私の信じた光か、憎んだ闇か。それとも同類か。彼女は一体誰なんだろう。

 

LA BANDE

次回は、あの虚無の悲劇。

 

 

DUEL:33「夜を走る王子」<少女革命ウテナ>

 

言ったことあったっけ。
ぼくが一人っ子だったってこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:33「夜を走る王子」

放送日:1997年11月12日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ:橋本カツヨ
演出:高橋亨 作画監督:長谷川眞也・長濱博史

 

取り返しつかないっつーの?

 

第3部の総集編。とはいえ、今回のエピソードの核は暁生編の振り返りではなさそう。どこか怪しげな雰囲気と、巧妙な演出。実は物語は前回DUEL:32のLA BANDEから始まっています。これはウテナのお話なんです。

 

世界の果て。振り返り。

とはいっても、わたしはやっぱり過去に生きる人間なので、この第3部を振り返らないことには第4部・黙示録編へすすむことはできません。第1部・第2部とちがい、第3部で行われた決闘には名前がつけられていない(よね?情報求ム)ため、勝手にまとめます。

 

西園寺、忠誠を誓う。

DUEL:25

西園寺が暁生カーに乗って見せられた"世界の果て"。それは、支配と欲望と権力の世界。つまるところ、"薄汚いオトナの世界"ってやつ。彼は、最初こそその世界に染まることを拒否します。おれは社畜になんかならないぞ。権力で人を思うがままにしようだなんて、それじゃああの少女に"永遠"を見せることができないぞ。というように。

しかし、少女に"永遠"を見せたのは他でもない、その薄汚い世界の王子さまだったのです(正確には、だった"らしい"のです)。彼はそんな薄汚い"オトナ"にこそ憧れの念を抱き、彼のつくったその幻に忠誠を誓うのです。

 

グランドチャンピオンものまねキングに挑戦できるかな〜

 

幹の成長。梢の停滞。

<DUEL:26

幹のみたもの。それは、自分の好きなひとを自分の好きなようにできる。いわば夢の世界。"オトナ"の世界に不信感を抱くという点について西園寺と変わりありませんが、西園寺はその下劣な姿をした"現実"に身を委ねたのに対し、幹はそこにもまた"夢"を見たのです。ここよりもっと進めば、壁をこわせる。いろんなものが手に入る。でもそこにあったのは、さらにさらに大きな壁でした。でもそれを知ることは、ある種の成長であったともいえるのかもしれません。

梢のみたもの。これが一番"世界の果て"らしい絶望です。彼女の周りには、"汚い"ものしかありません。梢は西園寺と違ってそれが"汚い"とわかっているのにもかかわらず、その"汚い"人間たちのモノになることでしか、自分を傷つけることでしか、自分の価値をはかれません。彼女はオトナになったように見えますが、本当はずっと自身の巣箱に停滞し、"ほんとうのじぶん"をみてくれる親鳥を待ち続けているのかも。

 

あの先生、ミョウバンってあだ名ついてるんだよ。
なんでミョウバンなのかよくわからんけど、その前は茶碗ってあだ名だったみたい。その前は...なんだっけ。

なんだっけ?

  

枝織の負け。

DUEL:28

枝織が見ていた"世界の果て"は、樹璃よりはやく、一秒でも先にあの"お城"に飛び込むこと。できれば"樹璃の"王子さまといっしょに。そしてその夢はもうすぐつかめるはずでした。あと一歩でお城にたどり着けるはずだった。でも彼女の"毒"は、その時を待ってましたとばかりに一瞬のうちに枝織を殺してしまう。夢は夢。負けは負け。月並みな言い方だけど、枝織は枝織自身に負けたんです。彼女の敵ははなから樹璃じゃないし。

 

ビニール袋に入れないと、ニオイうつっちゃうんだよね。

 

奪われる樹璃。

DUEL:29

殺してやりたいほど憎んできたものに生かされること。永遠にヒーローにはなれないと自覚すること。樹璃は樹璃であることを奪われる

 

あれってさ、よく本に書いてある通りにやるじゃん?
で、その通りにやってんのに、どう考えても味がちがーう!ってことあるよね。
あれってなんなんだろう。

 

 

七実を形づくるもの。

冬芽という神さまは、七実自身を形づくる大きな要素のひとつでした。というより、すべてでした。彼は七実のすべてで、七実という実体を当然のように構築し続けてきたのにもかかわらず、彼はただの無。目には見えないし、触れることもできない。七実にとってだけ、それは長いこと"有"でした。"有"であるということだけがわかっている"無"なだけに、彼女はそれを疑うことすらしなかった。というワケで、七実を形づくるものが"無"だったので、七実の存在も"無"。。なわけなくて、神さまを信じていた七実の気持ちは絶対的に"有"だから、だいじょうぶ。七実を形づくったのは、誰かをまっすぐ愛した自分のきもち。まちがってもハリボテのダボハゼ兄ではない。

 

あれっ。

逆転だ。

 

 

 車とハイウェイ、世界の果て。

やっぱり本題は、ウテナの果ての話ですよね。これまでの登場人物たちがみなそうだったように、ウテナもまた"世界の果て"に辿りついてしまったのです。

 

天上ウテナの果て

別に、男と初めてセックスをすることがひとりの子供・少女を"女"にするだとか、そして"女"になってしまうことが即ち"世界の果て"につながるのだとか、そういう話がしたいんじゃあありません。とか言ってみたかったんですが、まあ残念だけど(?)そういう話なんだと思いますね。もちろん、事実そうなんだってことじゃなくって、暁生がそう思ってるってことです。ウテナとセックスをするということはつまり、ウテナを"女なるもの"にすること(ウテナの"男"の部分を奪いとること)であり、彼女を"女なるもの"にしてしまえば、彼はウテナを永遠に自らの支配下におけると信じきっているということです。

そしてウテナの、"女なるもの"と"男なるもの"の中間をさまよう、もしくは両方になろうとする(=どちらにもなろうとしない)というこの世界では特殊ともいえる性質をも奪うことで、彼は予定調和の中に彼女を閉じ込め、永遠を手に入れようとする。彼女がここまで決闘を続けてこれたのは、その特異性があってこそだったというのに。

 

ともかく、ウテナは今"世界の果て"にいます。彼女がそこにいるということは、過去の美しい思い出や気高さ、王子さまの姿を忘れてしまったということを意味します。そしてその意味をアンシーは知っていますが、ウテナを快くそこに送り出しました。というか、知っていたからこそ、彼女に"用事"を言いつけたのです。

それで、じゃあウテナが世界の果てへ辿りついてしまったからには、4部からはどう物語が動いてゆくのでしょうか。ウテナは奪われた"美しい思い出"を取り戻すことができるのか。そもそもほんとうに"奪われた"のか(たかだか男とのセックスくらいで?)、奪われたんなら、どうだっていうんだろう。そのことは、人間の本質を変えてしまうのだろうか。そして、"世界の果て"は、ほんとうに"世界の果て"なのか。そういうところに指差しマークをして見てゆきたいと思います。

 

永遠って、なんですか。 

 

  1. ダイヤモンド
  2. 美しい思い出
  3. 桃の缶詰め

止マレ

止マレ 

 

今夜は綺麗な星空だ。

ほんものの星は、見たくなかったんです。

そして、ウテナを"世界の果て"へと送り出したアンシーのお話も少し。

今回、本物の夜空の下で暁生とドライブするウテナとは対照的に、アンシーはプラネタリウムが見せる偽物の星空の下で彼と電話をします。彼女はみずから嘘の夜空を見たがり、幻のもとに逃げ込もうとする。それは彼女の生きる術でした。

でも、ウテナの見ている星と彼女の見ているそれにはどんな違いがある?実は"星"そのものにはさほど大きな違いはなく、あるとすれば、"ふたり"が見たいもの。が違う。アンシーは偽物を見たがるが、ウテナは本物を見たがる。星は、ふたりが見たいものを見せる。アルバイトとして。

君がその目で何をみようと、それは君の世界のことでしかない。

ふたりは出口のない迷宮から抜け出せるんだろうか。

 

 

LA BANDE

これが、すべての始まりなんだ。あの日、あの出会い。封印された光。これは王子さまにもらったもの。そして、僕は僕になったんだ。悲しみの王子。これを見ると思い出すんだ。僕は気高さを忘れちゃいけないんだって。

あなたは、誰なんですか?

 

 

DUEL:32「踊る彼女たちの恋」<少女革命ウテナ>

 

今何時だと思ってんのよ。
名前くらい言いなさいよ。バカ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:32「踊る彼女たちの恋」

放送日:1997年11月5日

脚本:比賀昇 絵コンテ:松本淳・金子伸吾
演出:金子伸吾 作画監督相澤昌弘

 

DUEL:31から引き続き、七実さまの果て後編です。自分の居場所とルーツ、存在意義について悩み抜いた彼女の導かれたその果てとは。

 

彼女たちの誇り。

冬芽が温室でイチャコラしていた相手は七実の側近、茎子さんでした。これは完全なるあてつけですね。冬芽は七実が盗み聞きしているのもわかった上で、茎子さんに七実が実の妹ではないことを打ち明けます。冬芽は七実にやさしく接していたという思い出を、

あんなのお芝居さ。

と一蹴し、さらに追い討ちをかけるように、

...俺が相手にするはずないだろ。
あんなありきたりでつまらない女。

などと言い放ちます。それを聞いて喜ぶ茎子。まあもともと七実さまと茎子さんの間に友情なんてあってないようなもんですが、それにしてもこれはまさに"呪い"です。一人の男を二人の女が奪いあっているように見えて、その実裏で糸を引くのは男の"嘘"。一人の王子さまに選ばれ、愛されるということがこの世界でどれだけの価値を持つことなのかということを、王子さまは誰よりもよくわかっているのです。だからこうしてわずかな誇りを気まぐれに差し出してやる。そしてバカな銀蠅たちと嘲笑う。友情や、真実の愛なんてないのだというハリボテの虚無主義をひけらかしたくてたまらないのだ。

あんたとあたしのどこが違うっていうの?

冬芽との関係ついて七実に追及された茎子はそう問いかけます。王子さまの携帯電話は鳴り止まず、ついに七実は"絶望"を口にします。彼女は王子さまの妹であるという誇りを失ったのです。

同じになっちゃったんだ。わたし。
お兄さまに群がる銀蠅みたいなあの女たちと。
もう、わたしとお兄さまをつなぐものは何もないのよ。
何も。

蛇口を壊したのは誰でしょうか。溢れ出る涙は誰のため?。誇りを奪ったのは誰なんだろう。殺虫剤を撒くのはいつだって同類の虫。でも、

お部屋の臭い消しですよ。それ。

 

他人のリンゴで生き永らえる。

生きる屍となったフィナンシェ・香苗さん。

 

怖すぎる。こいつ。

ふたりだけの時間を、楽しませてあげてください。

暁生と香苗さんを呼びに立ったウテナを止めるアンシーが、ノコギリを手にしたまま放った台詞。ウテナは超純粋に受け取りますが、暁生とアンシーの関係性を知っている七実は、アンシーに対する嫌悪を強めます。 

 

ふたりのベッドルーム。 

暁生とアンシーを、"おぞましい兄妹"と言い切る七実さま。

あいつらと一緒にしないで。

七実は自分の兄にいったい何を見ているのだろう。自分たち"兄妹"の関係性に、どんな幻を見ているのでしょうか。

 

 

車とハイウェイ、世界の果て。

だから最後に知りたいの。
本当のお兄さまのことを。

七実のみる"世界の果て"は、"本当のお兄さま"の姿です。それを知ることで、自分自身の"普通"を取り戻せる。自分の存在を肯定できる。彼女は愛してやまない"本当のお兄さま"に手を伸ばす。そしてそれこそ殺虫剤。

本当に君が見るべきものはそこにはない。

暁生がまたわけわからんこと言ってますが、つまりアンシーと暁生との関係性が"おぞましいもの"に見えるのは、七実が狭い視野でしか物事を見ていない・自分のみたいようにしか物事を見ていないからだと。いつまでもその迷宮で"幻想"を抱いていないで、"本当のお兄さま"を見なさい。自分や兄の欲望、つまりは汚い部分に向き合い、"兄妹愛"などという綺麗ごとは存在しないということに気づきなさい。ということです。(意訳)

 

影絵少女

うさんくさ〜い
そんなのトリックに決まってるわ。

妹が兄を慕うこと。兄妹愛。そんなのは胡散臭い。何か裏があるに決まってる。それはたとえば性欲であったり、自分の"誇り"のためであったり。七実は王子さまに愛されたいから、選ばれたいから自分に媚びているだけ。本当にただ純粋に自分を愛してるだなんて、そんなわけない。

そんなのペテンよインチキよ。

行き場を失った念力。疑うのは実に簡単なことで、信じるのは難しい。それがたとえすぐ目の前に差し出されていたとしても。

 

永遠を運ぶゴンドラ(決闘広場)

 お兄さまはわたしがわたしであることの一部だった。

天然同胞宮殿遠近法の書」。

 

桐生七実の果て。

本当のお兄さまを探したその先のお話。彼女が導かれた世界の果て。そこには、

何もなかったのよ。

七実の愛したかっこよくてやさしい兄。でもそれはハリボテで、幻で、出口のない迷宮の中で見ていたただのダボハゼ。それを光り輝く何かだと勘違いしていたというだけのこと。彼女は光を見ていました。

でも、何もなかった。

 

その想いの結末。

前回ウテナ・王子さまの関係性と、七実・冬芽の関係性は似通っているというお話をしました。それを踏まえると、

あんたは信じていればいいわ!
その想いの結末を!

という七実の言葉が大きな大きな意味を持つことになります。七実が冬芽に抱く"想い"は、今回で終焉を迎えました。でもまだウテナは信じています。自分の"王子さま"への想いの結末が、ハッピーエンドであることを。

 

大人のベッドシーン。

でも、血のつながらない兄妹だと思われてた方が、ロマンティックですよね。

七実は、名乗りもせず電話を寄越すガールフレンドたちや、茎子さんとはまったく違います。七実は冬芽に王子さまを求めない唯一の存在になりえた。でも愚かなダボハゼは、彼女の愛を超能力のように存在しないものと決めつけ、インチキだとこき下ろし、あげくに平気でポイ捨てします。それがこの世の真理だとでもいうように。でも七実が冬芽を慕う気持ちって、ほんとうに珍しいものだとおもいます。冬芽はこんなことを言ってますが、自分が作り上げた嘘なんかより、目の前の現実のほうがよっぽどロマンティックだとはおもいませんか?

 

LA BANDE

この薔薇を、今夜お兄さまに届けてくれませんか?

次回。天上ウテナの果て。

 

DUEL:31「彼女の悲劇」<少女革命ウテナ>

 

あら負けちゃった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:31「彼女の悲劇」

放送日:1997年10月29日

脚本:比賀昇 絵コンテ:錦織博
演出:岡崎幸男 作画監督林明美

 

七実さま最後の前後編。(わたし的)テーマは、七実七実であるということの意味とその理由。彼女が彼女であるために大切なもの。そしてそれこそが彼女の悲劇。

 

3つの関係。

DUEL:29までに、結果がどうあれいくつかの"関係"に決着がつきました。西園寺とアンシー、幹と梢、樹璃と枝織、等々。そして残すは4つの関係。うちひとつは西園寺と冬芽をつなぐものですが、これは残り3つとは少し性質が異なるので、今回は端っこに寄せておくとしましょう。

さて、3つの類似した関係性とは。ひとつは、DUEL:01から延々と語り継がれてきたあの昔話。"王子さま"とウテナの関係性です。このふたりをつなぐのは、ひとえにウテナからの"王子さま"に対する"憧れ"であるといえるでしょう。それは限りなく恋愛感情に近いものとしても受け取れますが、そこに漂うのはどちらかというとある種の健全さです。つまり、性愛とは少し離れた場所にある。たどり着くのがいかなる場所だとしても。

ふたつめ。暁生とアンシーの関係性です。暁生は、ウテナが憧れを抱く"王子さま"とは正反対に、生身の人間です。このふたりの間にあるものは、完全なる恋愛感情。しかも性愛。欲望の言い訳。ラブコメ風にいえば、LIKEじゃないんだ、LOVEなんだ。

 

このふたつは、いわば本題です。この物語におけるテーマです。そのメインイベントが、この前後編のあとに用意されているというわけです。そしてこの前後編で描かれるものというのが、みっつめ。冬芽と七実の関係性です。つまり、七実さまの物語というのは、その本題がついに語られますよという前兆のようなものでもあるのです。

このふたりの関係性は、結論からいってしまえばひとつめの、ウテナと王子さまパターンにより近いものであったと考えられます。ただ、七実から冬芽への想いというのはずっと、暁生アンシーパターンで描かれてきたように思います。しかし、今回でそれはひっくり返されました。七実が求めていたのはもっとプラトニックなもので、それは一種の労働のようなもので、罰でもあり、ご褒美でもあるのです。七実は、本エピソードの最後でアンシーに対する嫌悪を(より)強めることとなりますが、それがその証なのです。

ところで類似した関係性といいながら大して似てないじゃないかって突っ込まれそうなので3つの共通点について。それは、つまり呪いです。呪縛なのです。ウテナは、王子さまの姿をした幻想と魔女にずっっと縛られてきました。そしてそのご褒美として、成長という名のもとに生身の男を手に入れようとします。ちなみに暁生もまた王子さまに縛られた人間のうちのひとりですが、アンシーを魔女として永遠の地獄に縛りつけるのは、他でもなく彼です。冬芽もまた、七実に呪いをかけます。それは"悲劇"という形をした呪いです。悲劇はうつくしく、見るものの心を動かします。彼はそれをひとりで演じるのでは飽き足らず、実の妹を自らの作り上げた悲劇の中に取り込もうとするのです。理想、依存、美。この3つの支配という名の呪いはすべて、"世界の果て"によってかけられたものでした。果たしてその呪いを解く方法は見つかるのでしょうか。残念ながら、七実は世界に閉じ込められたまま。なぜなら、"世界の果て"が決めたことだから。

 

Tでつながる私とあなた。

本筋とは関係のない話を長々としてしまいました。ここからはちゃんと本エピソードについてお話をしたいと思います。

 

彼女の優越。

わたしはあんたたちとは違う。
わたしとお兄さまは兄妹なんだから。
血がつながってるんだから。

今回の重要アイテム、テレフォン(携帯電話)。冬芽のもとには、ありとあらゆる女の子たちから電話がひっきりなしにかかってきます。七実はそのことに少しの嫉妬を感じつつも、それ以上に優越感を抱いていました。なぜなら電話でつながるガールフレンドたちなんかより、七実と冬芽にはもっと深いつながりがあるからです。それが、血。ふたりは血を分けた兄妹なのです。七実はこれまでそのことを支えとし、強固なアイデンティティを構築してきたといえるでしょう。

 

彼女の崩壊。

しかし、ふたりは実の兄妹ではないという疑惑の浮上によってそれは一気に崩壊。自らもこれまで見下していた、携帯電話でつながるしか能のない"虫"でしかなかったという事実と自覚(DUEL:21「悪い虫」参照)。そしてそれを見計らっていたかのように質の悪い"ジョーダン"で七実を振り回す冬芽。

 

おさる少女。

が復活。なぜか映画の撮影をしているウテナとアンシー。王子さまになりたいアヒルの子。ダボハゼになりたいアヒルの妹。

ならないと思うよ。 

だってほんとはカッコーの兄妹なんだもん。

 

 

彼女の拒絶(後出しじゃんけん)。

七実は、暁生とアンシーの情事をついに目撃してしまいます。大ショックです。びっくりです。ドン引きです。暁生とアンシーについて、

 あんなにかっこいい人がきょうだいだったら誰だってメロメロよ。

などと言っておきながら。

七実の性的なものに対する忌避感というのはDUEL:27「七実の卵」で触れたとおりですが、それにしてもこの拒絶っぷり。迎えにきた冬芽に対しても拒絶。これまでの関係性の崩壊。それが大きな大きなものであり、彼女を混乱させているということは確かなのでしょう。でもこれまでの七実さまの印象から考えるに、ここで彼女は大喜びしていてもいいはずだった。でもそうではありませんでした。七実と冬芽は、暁生とアンシーのように対になった存在ではないのです。七実は冬芽のお姫さまになりたいわけじゃない。彼女は、冬芽を自分の中の一部として捉えていました。かつてウテナが、"王子さま"と対になる"お姫さま"になるのではなく、"王子さま"と自分とを融合させてしまった時のように。そしてそれは呪いとなって、彼女たちを永遠に縛りつけるのでした。

お兄さまはお兄さまよ。
今までのこと、ナシになんてできないわよ。

 

 

LA BANDE

一度好意をもった相手のことはなかなか疑えないものですよ。
まさか自分を騙して利用してるなんてね。

盛大なネタバレ、そしてブーメラン。薔薇の花嫁はそのことに気づいているのでしょうか。

冗談ですよ。

 

 

 

DUEL:30「裸足の少女」<少女革命ウテナ>

 

ばっはは〜い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:30「裸足の少女」

放送日:1997年10月22日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ:風山十五
演出:桜美かつし 作画監督香川久

 

ウテナエピソード。蝋燭の火とともに揺れるウテナの心。消えゆく炎は何を意味するのでしょうか。徐々にですが、ウテナも"世界の果て"へと向かいはじめているということです。

 

靴を脱がない少女。

さて、タイトルにもなっている「裸足の少女」とはいったい誰のことで、なにを指すのか。本エピソードでは、"靴を脱がす"という描写が目立ちます。"脱ぐ"ではなく"脱がす"、または"脱がされる"。それは"神"によって。あるいは"王子さま"によって。このことは、女性が自らの靴を自分自身で選択することと、それをはいて自分の力で歩いてゆく力を奪われることを意味します。少女たちは靴をはき続けてはならない。王子さまはその靴を脱がさなければならない。誰がそんなことを決めたのか。それは神であり、"世界の果て"であり、目の前にいるその男です。ウテナは靴をはき続けようとする女の子でした。"世界の果て"が決めたルールに従わない彼女は、罰を受ける。永遠に踊り狂わらなければならないという罰。教会に赤い靴ははいてゆけない。そして今回、ウテナは選択を迫られるのです。"過去の王子さま"を忘れ、靴を脱ぐのか。それとも罰を受けるのか。それとも、世界を革命するのか。

 

消えゆく炎。

もうひとつ印象に残る演出といえば、やはりこの揺れて消える蝋燭の炎。冒頭では3本の蝋燭に火がついた状態ですが、ウテナが暁生に迫られるたび火は激しく揺れ、徐々にその本数を減らしてゆきます。そしてエピソード終了時には、最後の一本も消え......。この演出が意味するところは、やはり"ウテナの心"。心といってもいろいろな"心"があるわけで、ウテナのどんな心が揺れ、どんな心が消えるのか。まあ別に難解なお話というわけでもありません。ウテナの心は"過去の王子さま""美しい思い出"と、今目の前にいる生身の男、つまり暁生の間で揺れているわけです。炎は、"美しい思い出"そのものとも捉えられますし、それを忘れずに強く抱き続ける彼女の気高き心とも受け取れるでしょう。そしてそれが消えゆくということは。

ウテナは、"靴を脱がされる"ということを選択したのです。それは"世界の果て"への第一歩となります。でも、絶望するのはまだはやい。ウテナは、まだ足を切られたわけではないのだから。

 

蝋燭をもつ少女。

この蝋燭、はじめは真っ黒な背景の中でゆらゆら揺れているのですが、中盤でとあることが明かされます。それは、その蝋燭を持っているのが実はアンシーだったということ。

ばっはは〜い。

アンシーは、暁生にウテナの靴を脱がせるため、彼らをふたりきりにしようとします。それはなぜ?もしやすべてを操っているのは彼女なのでしょうか。ウテナの炎を吹き消すのは、もしかしてアンシーなの?アンシーはやっぱり"怖い女"なの?王子の悲劇も、姫の抑圧も、すべては魔女のせい?

 

影絵少女

と決めつけるのもまだはやい。

その靴を捨てなさい!
それをはいてると死ぬまで踊り続けなきゃなんないのよ!

アンシーはウテナに警告しているのです。さっさと靴を脱いでしまいなさいと促しているのだ。だってそうしなければ、ウテナは罰を受けることになる。死ぬまで踊り続けるくらいなら、どうせいつか足を切られてしまうのなら、靴なんて脱いでしまった方がまし。でもそれは、ウテナにアンシー自身と同じ道を歩ませることになります。そのことが彼女にはまだわかっていないのです。暁生がウテナにキスをした時、残された蝋燭はあと1本。一本の気高き炎はその警告に対し、こう答えます。

そういうあなただって手に持ってるじゃない。
あたしと同じ赤い靴。

そう。アンシーだって自分の靴を持っているのです。持っているだけよ。あたしははいたりしないわ。自ら望んで罰を受けにゆくほど愚かじゃない。

持っているのにはかない阿呆。
はかないのはあんたの人生。

靴を脱ぎ、王子さまに抱かれて歩く人生。それが彼女にとっての幸せであるなら、それがいちばんであることは確かです。自分で選んだことなら、誰かに否定される筋合いもないでしょう。靴をはかないのは、アンシーの人生。でも、その道を選んだ理由が、"罰を受けるから"だとしたら?彼女は永遠の苦痛を、永遠の幸福だと錯覚しているだけだ。アンシーがほんとうに幸福なら、靴なんて捨ててしまえばいい。ウテナに警告する必要もない。でも、彼女は持っているのです。ウテナとおんなじ赤い靴。

 

ふたりのベッドルーム。

わたしを忘れないで。

いますよ。わたしにも、王子さまが。

"美しい思い出"を忘れないでほしいし、"王子さま"の正体を、本当の姿を思い出して欲しい。あなたに靴を脱いでほしくないし、わたしも靴をはいてみたい。残ったひとつの炎はわたしだ。わたしを忘れないで。だからアンシーは、ウテナの心を握ってそこに立っているのです。*1

 

大人のベッドシーン。

君は見る目があるよ。
あれはいい女になる。

王子さまたちにとって、ウテナは自分の信念を揺るがす存在。靴を脱がしてほしがるお姫さまばかりを相手にしなければならない、どんな女性にとっても"王子さま"でなければならないことに疲れたダボハゼたちにとって、ウテナは新鮮に映ったことでしょう。でも、彼らにウテナの何がわかるというのでしょうか。"あたしの大事な赤い靴"と、"ガラスの靴"は根本的に違っている。そのことにすら気がつかないなんて。

あなただけよ。わたくしの王子さまは...

なんと哀れなダボハゼたち。自己憐憫に浸ることしか能がない。踊り狂わされる少女たちより、よっぽど哀れです。"王子さま"役はこれだからつらいよってさ。そのみすぼらしさを隠すために、今日も必死で王子さまを演じているのですね。おさるを捕まえるのも、靴を脱がすのもまた、あんたの人生。

 

 

LA BANDE

フィナンシェのことすっかり忘れてる暁生。
次回、

B型は自己中心的で思い込みが激しい 

あの子のお話です。

 

 

 

*1:ベッドに七実がいるのをみて