永遠の卵

少女革命ウテナのはなしがしたい。

DUEL:38「世界の果て」<少女革命ウテナ>

 

まさかほんとうにここまでくるとはね。

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:38「世界の果て」

放送日:1997年12月17日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ・演出:金子伸吾
作画監督林明美

 

いざ!革命という名の決闘〜〜でありながら、すべての種明かしの回。

(メモ:暁生がベラベラ喋りまくっていてウザイ)

 

☞懺悔

はじめに触れておきたかったのは、もちろんアンシー自殺未遂事件のその後について。ふたりは柵の向こう側(?)というめっちゃ危険な場所で、ついにお互いの罪について告白をします。たぶん、ふたりともここで初めて本音をぶつけあう。ていったら凄まじく月並みな言い方ですが、でもまさにそんな感じなんです。ぶん投げ合うというよりは、曝け出すって感じだけれども。

ただ、物理的自殺については未遂で済んだけれど、これってお互い精神的にはめちゃくちゃ自殺してるよね。だって本来、告白とか懺悔って受け止める人がいないとダメなのに、私も私も!ってお互いの罪に重なり合っていったら、それはもうどんどん傷つくしかなくない? 

ふたりが柵(門)の向こう側にいるのって、ひとつはお互いの心の柵の向こう側(同じ場所)にいる=わかりあってる、って意味も見いだせるけれど、ふたりとももう戻れない場所にいるのだって意味にもとれます。それはよくも悪くも。傷つけすぎたし、傷つきすぎたし、もう戻れないのだから、じゃあす進むしかない。みたいな。だから、ウテナは再び薔薇の刻印をその指にはめました。というわけなのです。

 

ちなみに、アンシーの告白。

わたしは薔薇の花嫁だから、心のない人形だから、体はどんなに苛まれても心なんて痛くならないと思っていたのに。

わたしの苦しみは、薔薇の花嫁としての当然の罰です。でも、ウテナさままで苦しめて... 

あなたはただ巻き込まれただけなのに。
わたしはそれを知っていたのに。
あなたの無邪気さを利用してた。
あなたの優しさに、わたしはつけこんでいた。

わたしは卑怯なんです。ずるい女なんです。ずっとあなたを裏切っていました。

心のない人形は自分のことを心のない人形だとは思いませんから、自分を心のない人形だと思いこもうとした時点でそれは、アンシーの心を傷つけるすべてのものに対する防御反応に他ならなかったはず。

自分が傷つかないために自分の苦しみは割り切って、ウテナの苦しみも知っていたけど(しかも自分のせい!)、知らないふりをしていました。しかしそれそのものが自分の苦しみとして跳ね返ってきてはじめて、アンシーは自分の苦しみを苦しみとして認識する。。。なんだコレは。。辛い。。。

 

一方ウテナの懺悔。

ぼくは君の痛みに気づかなかった。
君の苦しみに気づかなかった。
それなのに、ぼくはずっと君を守る王子さま気取りでいたんだ。
ほんとは、君を守ってやっているつもりで、いい気になっていたんだ。

そして、君と暁生さんとのことを知った時には...、ぼくは、君に裏切られたとさえ思った。

君が、こんなに苦しんでいたのに。
なんでも助け合おうってぼくは言ったくせに。
卑怯なのはぼくだ。ずるいのはぼくだ。
裏切ってたのは、僕のほうだ。

"知らんぷりをしてた"、つまり鈍感を装うことで防御・攻撃を繰り返していたアンシーに対して、ウテナはマジでなんにも知りませんでしたというマジの鈍感。無邪気ゆえにさらにアンシーを苦しめていることに気づけず、そのくせ自分の痛みには敏感で。。っていう、べつにウテナを責めてるのではなく、アンシーに比べるとかなり共感しやすい罪だとおもう。ていうか誰しもこんな感じぢゃん実際。

ただアンシーがその"無邪気さ"につけこんで利用してたっていうのもまた事実なので、それを認め合ってしまえばなんというか破れ鍋に綴じ蓋?意外とイケるんでない?十年後のお茶会。。という気分にならないわけではないけど、でもやっぱ綴じちゃダメなわけで、っていうかもう戻れないから、ふたりはこのギタギタ苦しみの世界を革命するしかない。

じゃあそんなふたりを苦しめている世界ってのは何者かっていう本題です。次。

 

☞理事長室(プラネタリウム

です。じつは、ウテナが決死の思いで向かった決闘広場は、じつはいつもの理事長室でしかありません。どういうことか。

映し出す幻

素晴らしいプラネタリウムだろう。
永遠のものや、奇跡の力が存在していてほしいという青臭い願望を持つ者に、この装置はおとぎ話の幻を見せてくれるんだ。

だが、この部屋よりも高いところなんてないんだ。
この部屋こそが鳳学園、そして世界の頂点さ。

シンプルに言ってしまえば、決闘広場やお城や永遠、もっと言うとこの鳳学園そのものは、理事長室にあるプラネタリウムが映し出していた幻だったというわけです。

要するにウテナや生徒会メンバーたちは、その幻想に魅せられ、その幻想を掴むために、幻想の決闘広場で、幻想の闘いを繰り広げていました。なぜそんなわけのわからんことになっているのか。

 

 

空に浮かぶ

少女革命ウテナ』の登場人物たちは、現実に生きるわたしたちのほとんどがそうであるように、みんな何かを求めて生きているように思います。それは友情、恋の成就、家族への愛情、自分のなりたい理想像、エトセトラ。脳みそがほしい、勇気がほしい、心がほしい。大雑把にまとめちゃうとつまり、みんな幸福がほしい。でもなんか幸福ってよくわかんない。だって目に見えないし触れないしゴールもないし。

そんな幸福にわかりやすい形を与えてくれるのが、このプラネタリウムというわけ。そしてその"形"は、"空に浮かぶ城"となって彼女たちの前にあらわれる。端的に言ってしまえば、"空に浮かぶ城"が意味するのは男女の結婚。暁生が"おとぎ話の幻"というように、城は、たとえばシンデレラ城。王子さまとお姫さまは"永遠"に幸せに暮らしましたとさ。おしまい。そしてそれは"男と女"という限定された組み合わせにしか許されず、ウテナや樹璃先輩は、いわばそこから外れた人間たちです。とりわけ樹璃先輩には色濃くその特徴がでている。そしてだからこそ、より強く"幸福"に焦がれてしまう。

結婚すれば幸せになれます。よりよい男を捕まえる・よりよい女を花嫁とする、その手段として提示されるのが"決闘"。彼女たちは決闘を繰り返します。魔女を倒して、なんとか魔法使いに会いに行こうとする。魔法使いは、脳みそを、勇気を、心をつくってくれる。あの城にいけば、永遠の幸福が手に入る。

世界の果て

でも、魔法使いはただの詐欺師のおっさんでしかないのと同じように、暁生もただのおっさん。プラネタリウムが見せる幻は、なんだかんだでやっぱり幻。

しかも彼女たちが信じた"永遠の幸福"の裏側にはいつも、"永遠の苦しみ"が潜んでいる。そのことを直視せずにいられるのは、この鳳学園という柩の中にいる者たちの特権です。でもウテナや生徒会メンバーたちは知ってしまいました。幸福の裏側を知ってしまったら、幻が幻であるということに気がついてしまったら、そこが世界の果てなのです。そしてそれが、大人になるということなのかもしれない。

 

脳みそに見立てた針山と、勇気の出る薬、布で作られた心。それで喜んでいられるうちはいい。与えられた形と自分の幸福が一致するなら、それ以上の幸せはないからです。憧れの王子さまと、ドレスと、プロポーズ。ウテナはそれとは違う、それよりもっと大切な幸福を、決闘の中で知ってしまった。でもその幸福に与えられる"形"はまだありません。

 

お城の中でふたりが幸せに暮らして、
そして、姫宮はどうなるの?

 

 

ウテナの選択肢

このブログでは、最初の頃からずーっと"男なるもの"か、"女なるもの"か、ウテナはその中間にいて、でもずっとどちらかを選ばせられ続けてる、みたいなことを言ってるじゃないですか。で、どっち選んだとか忘れたとかあーだこーだわたしも言ってたんですが、そろそろ、まじでどっちか選んでもらわなくちゃなりません。だって次、最終回!

アンシーと暁生

ていうのは冗談ですけど、この"決闘広場"で常にウテナはふたつのサンプルと対峙していて、それがアンシーと暁生です。友情をとるか?恋愛をとるか?みたいな意味でのアンシー(友情)と暁生(恋愛)ではなくって。だってそれはもうどっちかっていうと完全にアンシーの方に傾いているし。

話を戻して、まあそのまんま、"大人の男"として生きる道を暁生が示していて、"大人の女"、"魔女"としてのそれはアンシーが体現します。でもそんなんどっちを選ぶってどっちも悲劇ぢゃん。ちなみに暁生を選ぶのなら、ウテナは"遊び"じゃなく、暁生を殺さなければならない。それが権力を手に入れるということ。。まじ世界の果てな。。。

 

大人と子供

どっちも選ばない手立てとして、ウテナは、(たぶん)子供を選ぶこともできる。その成れの果てがおそらく遠い昔にいたあの幽霊、根室教授です。ウテナはふたたび柩の中にこもって、"世界"から隔離された場所で"永遠の幸福"を、いつか"王子さま"か"お姫さま"になれるんだと信じて生きていくことができる。エジソンはえらいひと。そんなの常識。

 

お姫さまと王子さま

それでもなお、ウテナはアンシーを解放するといいます。つまり、

ぼくが王子さまになるってことだろ!

です。世界の果ては、世界の果てですから、もう王子も姫もないのだというのに。アンシーが魔女なら、暁生は王子さまではありません。世界の果ては、すべての墓場。

ウテナの宣言と同時に、王子さまの墓場は壊れ、プラネタリウムは暴れて、"空に浮かぶ城"、つまり画一的な"幸福の形"は崩壊をはじめます。

女の子が王子さまになって、魔女を救う。「ぼくが王子さまになる」という言葉は、"世界の果て"における"世界"を揺るがし、破壊するほどの凄まじい威力をもっているのだ。そしてそれはもちろん、革命のはじまりといえるでしょう。

 

 LA BANDE

薔薇の花嫁、最後の役割

それでも、ウテナは女の子です。だから、彼女は世界を革命できない。女の子が剣を振り回すものじゃない。そういうことにしておかねばなりません。だってそうじゃないと、世界は崩壊しちゃうからです。

ウテナの胸から剣が抜かれると、たちまち彼女の衣装はドレスへと変化する。剣が男性性の象徴だとするのなら、おもしろい。ウテナがアンシーによって剣で貫かれるのはなぜか。王子さまへの憧れによって作り上げた、理想の自己像に殺される現実のウテナさまです。

だって偽王子さまじゃ本当のお姫さまになれないわ。

その時、奇跡の力で本当の王子さまに。。!

「どうせアニメでしょ?それって」

馬あね。

 

 

 

DUEL:37「世界を革命する者」<少女革命ウテナ>

 

でも、これでさよならですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:37「世界を革命する者」

放送日:1997年12月10日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ:風山十五
演出:桜美かつし 作画監督:たけうちのぶゆき

 

今回から最終話まで、脚本を担当するのは榎戸洋司氏。

本37話では、とにかく示唆的で、含みをもたせたような言葉の応酬がこれでもかというくらい繰り返されます。これまで、そういった所謂"影"の部分、"意味深さ"みたいなものは、専らアンシーや暁生が担当するところだったのですが、今回からはそこにウテナも加わります。というより、彼女をその会話の中心とする場面が多くなる。

前回、うっかり夜の扉を開いてしまったばっかりに、ウテナの心には大きな変化が訪れます。ここに至るまで腹が立つほど真っ直ぐで、"純粋"だった彼女はどこへやら、ウテナは今回のエピソードで、嘘をつくし、言いよどむし、はぐらかすし......。そうして、彼女は初めて自分の犯してきた罪に気がつきます

"大人になる"のって、もちろん年齢的な話ではなく、知識を増やすことでもなく、恋をすることでも、セックスをすることでもない、そして否応無しに何かを失うこととも違っていて、つまり、罪を自覚するってことなのかもしれません。今まで自分が無意識に、"純粋"に、どんなことを言い、どんなことをしてきたのか。そのことに気がついてしまうということもまた、ひとつの"世界の果て"だと思います。それじゃあ、"世界を革命する"とは、"少女革命"とは、一体なんなのでしょうか。

 

世界革命前夜。

今回のDUEL:37って要は、アンシーに対する信頼や友情を見失ったウテナが、どのような心情の変化を経て、"世界を革命する"決意をするのかという話ですよね。たぶん。

重要なのは、"なぜ"ではないというところ。

"なぜ"ウテナが世界を革命する決意をするのか、という明確な理由(また、上述してた彼女自身の"罪"がなんだったのか)については、次回DUEL:38でさらっと(?)言及されています。今回のわけわからない会話たちから、この"なぜ"を探し出そうとするとたちまち混乱してしまうので、自分自身に言い聞かせるため、書きました。

今回はあくまで、ウテナの心の動きを追っています(ほとんどの場合)。ちょっとまとめるとこんな感じの流れ⬇️⬇️

 

➀怒り、失望、落胆 etc.
➁気づき、迷い
⬇︎
➂ちょっと元気
⬇︎
➃希望
⬇︎
➄?!
⬇︎
➅決意

 

こうやってみるとウテナめちゃくちゃチョロいかよって感じだけど、まあフツーにチョロいね。さすが"世界を革命する者"に選ばれるだけ、ある。 暁生さんは正しかった。

では。以下からこの心の動きを細かく見てゆきたいと思います。

 

その指輪をはずす時(➀)

前回、暁生とアンシーの関係について知ってしまったウテナは、ついにその指から薔薇の刻印をはずしてしまいます。

この指輪というのは、ウテナにとっては彼女を導く運命(=アンシーを救うこと)そのものでもあるし、過去の王子さま、つまりは美しい思い出の象徴や、理想としての自己像でもある。

そして、わたしたち観客やアンシー、暁生("世界の果て")にとっても、この指輪は大きな意味を持ちます。ウテナ以外の他者にとって、それは"ウテナの気高さ"の象徴。彼女が指輪をはめているうちは、ウテナは『少女革命ウテナ』の主人公・天上ウテナでありつづける。彼女は、世界を革命する"ための"少女です。

そんな重要アイテム・薔薇の刻印を、ウテナが自らの意思ではずすということは、美しい思い出を捨て、アンシーを救うため王子さまになると誓った自分を捨て、まあまとめると、"気高さ"を捨てる。ということにものすごく近い。では、なぜウテナはそうするに至ったのか。

それは、ウテナアンシーに対して怒り(≒憎しみ)の感情を持った。というのがひとつ。

この時点で、アンシーは、自分の好きな男(=暁生)とセックスしていて、しかもそれを自分には内緒にしていて、しかもしかも、アンシーのことを守るってウテナは思ってたわけですよね。ウテナは過去のことを忘れてても、ずっとアンシーのために闘ってきたし、友だちだと思っていたわけです。なのに、こんな仕打ちってあるかよ!です。こいつずっと裏切ってやがった!です。

 

ただ、そこでウテナがアンシーに直接怒りの感情をぶつけないのは、やはりウテナが"大人"になりかけている証のような気がします。もうこんな煩わしい気高さなんて、捨てる準備はできていたっていうか、そこでアンシーに怒っても、虚しいだけだし。アンシーのためにとかいって、守るとかいっちゃって、友だちだなんだって、そういう薄ら寒さにも気がついてしまっている

 

と同時に、ウテナはこんなことで、これまでずっと友だちだと思っていたアンシーを憎く思う自分自身に失望しているのでは、という風にも私は感じます。それが彼女が指輪をはずすもうひとつの理由。

 

要するに、ウテナこれまでの自分の気高さを自覚したのだと思います。真っ直ぐに怒りを表明し、悪を悪と断罪し、決闘して、勝って、大事な人を"純粋"に大事だといえるということが、そういう自分が、いかに気高いかということに気がついてしまった。そして、"自らの気高さを自覚する"ということは、おそらく、"気高さを失う"ことと同義だとは思いませんか

 

ふたりの喧嘩。

とはいえ、やっぱりムカつくものはムカつくし。ウテナは、親友(?)にセックスの場面(しかも兄と)を見られても飄々としているアンシーに腹が立つので、ちょっとした復讐を企てるのです。それが、暁生・アンシー・ウテナの3人での朝食の場面。

もし、時間がとれるなら...
今日の放課後でも時間がとれるなら...
ぼくと、付き合ってもらえませんか。

DUEL:30DUEL:35では、アンシーを置いて暁生とふたりきりになることに躊躇いをみせていたウテナですが、今回に限ってはそれを"わざと"やるわけです。だからわざわざアンシーのいる席で、暁生を"デート"に誘う。アンシーが暁生のことを、恋愛的な意味で好きなのであれば、また、ウテナに対してアンシーが少しでも好意を持っているのであれば(友情でも、恋愛でも)、このウテナの明確な悪意に対して少しは心が動くだろう、ということです。しかし、アンシーの方が一枚上手です。伊達に長いこと薔薇の花嫁やってません。

ごめんなさい。
これはあなたので、わたしのじゃなかったわね。

この台詞は、表面的にはパンを取り上げたチュチュに対する謝罪ですが、実際はウテナへの挑発とも解釈できます。いや、私はあんたと違って純粋に暁生のことが好きとか別にそーゆーんじゃないんで。どーぞどーぞ、ご自由に。

アンシーは、この段階でウテナが何に傷つき、腹を立てているか、わかっているのですよね。もちろん暁生もそうですが。

 

話は少し逸れますが、暁生とアンシーの違いについて少し。

暁生は、ウテナには最終的に気高さという指輪を再びはめて、薔薇の門をくぐってほしい(not世界を革命してほしい)わけです。莫迦莫迦しいですが、暁生は彼女の"本当の気高さ"とやらを試しているのですね。『"薔薇の花嫁への憎しみ"をどう乗り越えるか』という試練をウテナに与えているわけです。*1

 

一方、アンシーはというと、表面上は暁生とまったく同じ立場です。彼女は"世界"により役割を与えられ、"世界の果て"の手助けをしているわけですから。ただ、"本当に"そう思っているかっていうと、ちょっと疑わしい。このあとも、彼女は明らかにウテナへの挑発を続けます。アンシーは、ウテナが本気で怒って世界を革命しなくても(=自薔薇の花嫁である自分を救ってくれなくても)、それでいいと思っている。だってこれは全部出来レースで、ウテナが薔薇の門をくぐったが最後、どうなるかなんてことはアンシーが一番よく知っているからです。

 

前述したとおり、本エピソードでは、ウテナが世界を革命しようと決意するまでの心情を追っています。しかし、アンシーの視点からいえば、如何にしてウテナを思い留まらせることができるか、どうすれば赤い靴を脱がすことができるか(DUEL:30を参照)一生懸命(には見えないけれど)説得を試みる回ともいえるのです。

 

生徒会(空漕ぎ自転車)

今頃、彼女のもとにも手紙が届いてるだろう。
俺たちとは、違う手紙が。

冬芽と西園寺のもとには"別れの手紙"。ウテナのもとにはまた"別の手紙"。"世界を革命する者"に決まったウテナに届いた手紙は、学ラン・指輪とともにベッドの上に放置されています。そしてウテナはシャワーを浴び、"お洒落"をして暁生とのデートに向かう。何を捨て、何を求めるのか。とてもわかりやすく描かれている。そして、冬芽のこの台詞です。

だが、彼女は革命には興味がないだろう。

冬芽は、ウテナがアンシーとの友情よりも、暁生という"恋人"を選ぶと踏んでいるわけですね。ウテナは主要人物の中で唯一"世界の果て"の正体を知らないわけですから、どちらに転んでも暁生のもとにたどり着くということに気づいていないのです(ウテナはおそらくこの時点では、世界を革命するため薔薇の門をくぐる=暁生ではなく、"過去の"王子さまに会うことだと思っているからです)。

お前と自転車に乗るのは久しぶりだな。

どうでもEけど良い台詞っぽいから拾ってみました。

王子さまになれず、大人になるしかない少年たちの感傷です。幼い頃に戻ったみたいに自転車をこいでも、実際のところはもう二度と前へはすすまず、 景色も変わることはありません。ただ大事なのは、そのことを知っても気づかないようにすることだけ。そして友情。似ているふたり。(参照:DUEL:09

ああ。どれくらいぶりだろう。

 

プラネタリウム(車)(➁)

指輪のことを暁生に尋ねられたウテナは、こんな風に答えます。

あの指輪、ぼくには似合わないかなって思って。 

この台詞から、ウテナが親友を嫉ましく思うことの醜さをよく自覚していることがわかります。気高さの象徴であるあの指輪は、もう気高くない自分には似合わない。ということです。

その服は、とてもよく似合っているよ。
よかったら、その服に似合う指輪を、ぼくが贈ろうか。

ウテナの、"女の子らしい"赤いセーターを褒める暁生。 この言葉に彼女は反発するのか。それとも受け入れるのか。つまり暁生が提示する選択肢というのは、

(あ)"王子さま"という理想像を追い求めること(=世界を革命する)

もしくは、

(い)暁生の"お姫様"になること(=世界を革命しない)

のふたつというわけです。"男なるもの"になるか、"女なるもの"になるか、という男女二元論的なテーマについてはDUEL:01の頃からお話しているし、冬芽や西園寺も、ウテナがこのどちらかを選ぶであろうことを前提に話をしている。しかしウテナの口から出たのは、

姫宮、もう寝ちゃったかな。

という言葉であって、(あ)・(い)どちらにも属しません。ウテナが考えるのは、自分のことではなく、アンシーのことです。男とセックスをしても、ビッチや悪女と呼ばれようとも、ウテナの本質は変わらないのだ。

暁生は、ウテナがもはや自分に"恋"をしていないということに気がつきます。このデートは、もともとアンシーへのあてつけのためだったのだということを確信する。

そして、もう"憧れの王子さま"ではなくなった暁生の"種明かし"です。

 本当のことを言おうか。
実は星なんか、全然興味ないんだ。

この台詞からは、"神"のような存在だった"世界の果て"もまた、"世界"によって操られ、縛られている存在であるということが窺い知れます。が、まあ別に同情はしない。共感はするけれど。

それでもって、ウテナがこのへんから"全部仕組まれていた"ってことに気づき始めたのなら、面白いなあと思います。全部出来レースかもってことに気がついた上で、アンシーを救うか・救わないかで迷っているのだとしたら。

だとしたら、アンシーのウテナに対する言動はこれから更に重要になる。ウテナは、アンシーがリスクを背負ってまで救う価値のある人間なのかっていう判断をつけなきゃいけないから。ただ、ウテナがそこまでアンシーに対してシビアになれるかっていうとそれもNOなので、アンシーはウテナを説得するのにめちゃくちゃ苦労する羽目になりますね。

 

ふたりのベッドルーム。(➁)

「おかえりなさい、ウテナさま」

「なんだ。起きてたのか。怒ってる?」

「何をですか?」

「そう言うと思った。......ちょっと、意地悪だったかな」

 エモい。*2

色々な事情はさておき、"ウテナは、ちょっとアンシーを怒らせてみたい"わけです。アンシーと暁生がふたりきりでいる間、ウテナは何も知らずに"お留守番"をしていました。そういった屈辱、悲しみ、寂しさを、アンシーにも自分と同じように感じてほしかった。否、感じているだろうと思っていたのですよね。これまでは。アンシーは友達もいなくて、ひとりで、ずっと寂しいだろうと。でも、実は逆だったのでは。仲間はずれは自分だったのでは。ウテナは、"そうじゃない"と思いたい。だから尋ねます。「怒ってる?」。

けれど、こんなことで感情を露わにするアンシーではありません。例によって彼女は上手に答えをはぐらかします。面白いのは、ウテナがそのことを想定していた(のか単なる負け惜しみか......)ことを示す「そう言うと思った。」。ウテナがした"意地悪"ってのは二重に意味があって、ひとつはアンシーへのあてつけとして暁生をデートに誘ったこと。もうひとつは、ウテナがいつもはしない"反撃"をアンシーに食らわしたってこと。

早い話がウテナはアンシーとちゃちゃっと喧嘩でもなんでもして(相手が若葉とかなら、すぐそーなる)、"わかりあいたい"のに、アンシーはその挑発にはぜったい乗らない。アンシーからするとそれをやっちゃったらウテナが自分を「本当の友達」だかなんだかいって"世界を革命"しちゃうぞっていうのがあるからです。*3だからアンシーは言います。

ウテナさま。私たち、今の関係がずっと続くといいですよね。

 

「女の子らしいって......どういうことなのかな」

「女の子は...女の子は結局みんな、薔薇の花嫁みたいなものですから」

従順で、素直で、いつも笑顔でおしとやかで。そういう幻想。そういう女性像に、ウテナは近づいていっている。それはそれで悲しいことですが。アンシーとしては、それでいいと思っているのかもしれません。"魔女"になるリスクを冒してまで、"王子さま"になる必要などないというものです。それなら薔薇の花嫁の方がぜんぜんまし。

「あの城にいけば、王子さまに会えますよ」

「君と出会ってから、ずいぶん色々なことがあったね。......ほんと、色々あった」

手(注目)。

取り戻せるかもしれない気高さ。それが餌。でもウテナ的にはもうそこじゃない。アンシーを捨てるか、信じるか。それが問題。わかりあわないふたり。

 

積み上がった死体たち。

彼女は、世界を革命する者になりたかったんじゃない。
だが、今の彼女の心はあなたにある。王子さまより、現実の男であるあなたを選んだ。

"別れの手紙"を送っときながら平気で会ってお話をする王子さまモドキズの場面。すっげー茶番。上記は冬芽の台詞ですが、生徒会の場面での言葉をさらに詳しく説明した感じになっています。

たしかにウテナは、"世界を革命する者"になりたかったわけじゃないですよね。それはたぶん今までも、これからもそうだと思う。だってこのひとたちのいう、"世界を革命する力"というのは即ち"権力"です。"世界を革命する力"によって何かを得たいのではなくそもそもその力を手にいれることが夢であり、"目的"である。そういう観点から言って仕舞えば、そりゃあウテナ"革命に興味がない人間"でしょう。 

でも、その力をあくまで"手段"と捉える人間だっているわけです。それが樹璃先輩だし、幹だし、これからのウテナなのです。

 

選ぶのは、彼女だ。
そしてまだ、選んでいない。

きりっ。

 

 

大人は冗談に遊ぶ。(➂)

結局、私たちは誰も君に勝てなかった。

それもそのはず。全部きまってることだからね。

このバンドミントンの場面でのテーマは、"冗談"。けっこう真面目なお話をしていたり、しんみりと、でも爽やかな空気感でなぜか"名シーン感"満点なのですが、その実誰もが"核心"には触れません。アンシーを助けるためにがんばれよ!とか、アンシーなんてほっといて自分の道をすすめよ!とか、アドバイスらしいアドバイスはほとんどありません。ウテナだってもちろん、これまでのように本音で話したりなんてしません。ここでの樹璃と幹、そしてウテナは終始、

自分の気持ちは、どうして自由にならないのかな。

です。 

「ぼく、最近天上先輩のことがすごく気になるんです」

......「私にも、君の写真をくれないか」

ここなんて、冗談中の冗談、こんなにも冗談という言葉はが似合う冗談がこれまでありましたか? 

大人は冗談を言います。辛い気持ちも、迷いも悩みも隠す、というか流すために、冗談を言う。別にそのことになんの意味もないのですが。そうすることしかできないって知っているからです。自分の気持ちは、どうしても自由にならないから。

バカじゃないの?!
まだ騙されてることに気がつかないの?

だって、気がついたところで、どうしようもありません。世界という大きな流れの中では、主人公ですら発言権はない。一介の悪役にすぎない女の子が、この"名シーン"に水を差したことは意義のあることだったでしょうが、それすら乾いたスポンジが水を吸うように、大人たちの冗談によって吸収されるのです。七実さまは、生徒会執行部の制服を脱いで、"鳳学園の女子生徒"を身にまとう。彼女の"無責任さ"と"賢さ"っていうのは、捉えようによっては"革命"だったかもしれませんが、彼女は結局のところ鳳学園に留まることになる。まさにその"無責任さ"と"賢さ"が原因で。

流されるまま生きるのか、拒否して"消える"のか、どちらにしても"負け"なら、どうすればいいのでしょう。

 

ところで、この場面の最後、実はすべてウテナの幻想で、最初からそこには誰も存在しませんでした。風になっているのがすごくよくないですか? いやぜんぜんそういう意味じゃないのだろうけど。ウテナの見たかった世界。ウテナしか見ることのできない世界。

君が見ている世界。
君が存在している世界。
わずかな視界の中で同じ道を彷徨い続けるだけの出口のない迷宮の世界。
本当に君が見るべきものはそこにはない。

世界の殻を破壊せよ。世界を革命するために。ウテナは今、迷宮から出ようとしています。(参照: DUEL:32

 

影絵少女 

ちなみにオーディションで合格するのは一人きりって、ご存知かしら?

"第37919回 世界を革命する者 オーディション"に合格するのはひとりだけ。(参照: DUEL:11出来レースでもコネでも枕でも、とにかく決まったものは決まってしまったのです。茶番だろうと時代遅れのハッピーエンドだろうとかまわない。とにかく『少女革命ウテナ』はもうすぐ最終回なのだから。

 

舐めた?

 

 

悪女たちの殺し合い。(➃)

昔、イタリアのボルジュア家が使っていた、猛毒の名前です。

...いかがですか?そのクッキー、わたしが焼いたんです。

アンシーのわかりにくすぎる怒りの表明と、

 偶然だね。その紅茶も毒入りなんだ。

アンシーの醜さを自らのそれで相殺するウテナさま。これでふたりは対等です。だって毒入り"かもしれない"ものを互いに飲み食いすることを、信頼と呼ばずになんと呼ぶ。ふたりは魔女で、薔薇の花嫁で、悪女で、サークルクラッシャーで、ヤリマンクソビッチ、でも、"世界を革命する者"です。

 

そして世界中の醜さと憎しみと汚さと期待とを一身に背負った悪女たちにも、未来はあります。アニメが最終回を迎えても、10年経っても20年経っても未来はあり続ける。いつまでもこんな学園なんかのために存在し続けるわけにはいかないのです。

ウテナが"将来"の話をするのは、過去の"美しい思い出"という呪いから逃れようとしていることの証ではないでしょうか。根室教授や暁生のように、ウテナはならないし、なれないでしょう。

 

馬宮の姿が本当とは違っているのに、気がつこうともしない根室教授。彼はもはや時子たちを愛しているのではなく、やり場のない自分の気持ちを赤の他人に投影しているだけです。

そして"花嫁"が目の前で苦しんでいるのにもかかわらず、

だかお前を苦しめているのは俺じゃない......世界だ。

などといって自らの作り上げた悲劇に酔いしれる暁生。どんな悪女だって、どうしてそんな残酷な大人になれるというのだろう。"美しい思い出"は、美しい。それは自分でそう決めているからです。幻想は、永遠です。本当のところをみようとしなれければいい。

荒れた庭や、親鳥の戻らない巣箱。壊れたペンダント。進まない自転車。鳴り止まない電話。それら全部を、みようとしなければいい。なんども同じ音楽を繰り返すレコード。なんども同じ場面を繰り返すアニメーション。

それでも最後は、握り合った手のカットに行きつくのです。どうしても。

だってウテナ自分で夜の扉を開けたんです。見なかったことには、できません。なかったことにもできないのです。

 

 

決死のスーサイド。(➄)

そんなこんなでウテナとアンシーのまったくわかりにくい喧嘩は、ウテナ勝利で幕を閉じました。かと思いきや、アンシーは決死の思いで最後の抵抗に出るのです。しかしそれは図らずも、ウテナの"世界を革命する"ほとんど唯一の理由になってしまうのですが。。。

 

 

バカなのよ。(➅)

知らなかったのか?
ぼくはバカなんだよ。

ウテナはふたたび指輪をはめました。

彼女が薔薇の門をくぐろうとするのは、決闘で勝利し続けたからではないし、オーディションに合格したからでも、"世界の果て"からの手紙に従ったからでもありません。 ただただ彼女は、

 

きっと、10年後にも、一緒に笑ってお茶を飲もう。約束だ。

 

ええ。きっと。

 

たぶん、友情のために。です。

 

 

 

LA BANDE

ついに次回は最後の決闘です。
卒論もう提出して半年たつのにまだ卒論書いてる気分でしたが本当に最後の決闘。革命という名の決闘です。

 

でも、ウテナさまはまだご存知ないんです。この世の本当のことを。
この世界の本当の恐ろしさを!

 

字数:9357字(!)

 

 

*1:ただウテナは、"薔薇の花嫁への憎しみ"、というよりは、"姫宮アンシーへの怒り"を感じているわけで、そこに気がつかないところが所詮"世界の果て"ですよねえ。。

*2:この場面の言葉たちをひとつずつについて感想を述べるというのは、ちょっと無粋かもしれない。でもエモいなんて一言でこの場面を済ますことができるのなら、そもそもこんなブログは立ち上げてないし、何ヶ月も続けるはずがないのです

*3:ここまで長っ

DUEL:36「そして夜の扉が開く」<少女革命ウテナ>

 

立っていると危ないぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:36「そして夜の扉が開く」

放送日:1997年12月3日

脚本:月村了衛 絵コンテ:錦織博高橋亨
演出:高橋亨 作画監督:田中孝弘

 

そして夜の扉は開きます。夜の扉。チュチュのほる穴の中。地下のミミズ。深入りしてはならないもの。でも戦わなきゃならないもの。

 

女の子。

私には今、彼女が女の子に見える。

ウテナの姿をみた樹璃先輩の台詞です。DUEL:33 をみたあとなら、ほとんどの人がそう感じてるかもしれない。幹がいうように、ウテナは女性です。物語がはじまった時からずっと、彼女は女の子。でも、そういう意味じゃないんです。ウテナはもう男装の麗人じゃなくって、気高きウテナさまじゃなくって、ひとりの男の手に堕ちた、単なる、女。あなたは誰?そういうことですよね。DUEL:33をみたほとんどのひとが衝撃を受けるのは、主人公だと思っていた、何にも勝るヒーローだと思っていた男という名前の少女が、ただの愚かなクソビッチだったから。ハッピーエンドのお伽話だと思っていたアニメが、ドロドロの愛憎劇だったから。なんだろう、このささくれた嫌な空気は?BGMと演出のせいですね。クソビッチ上等。ドロドロ上等。男とセックスしようが、その模様が夕方6時からお茶の間で流されようが、ウテナウテナです。夜の扉なんて開けゴマ。

 

盗んだバイクで走り出す。

いやなのは支配されることだ。

西園寺が反抗することは、ただしい。この支配からの卒業。なのに、彼はバイクを運転することがきない。冬芽が世界の果てに従うのもまた、ただしい。でも彼は盗んだバイクで走り出す。

冬芽がはじめて自分でものを考えるようになったってのは、まあ、よいことだとおもう。でももう手遅れかもしれません。彼はもうじき大人になります。王子さまじゃなくて、ただの人間の大人になる。この支配から逃れても、その先にあるのはたぶん、さらなる支配。車を運転しても、お城で暮らしても、彼はただの人間です。

俺たちは棺の中から這い上がるのだ。
世界の果てによって用意された棺の中から。

でも、立っていると危ないんです。それが大人になるということなの。命を失っても立ち上がるか、それとも棺の中で安全に過ごすか。

お願い。この棺を開けないで。

かつてそう願った女の子は、いったいどんな選択をするのでしょうか。

 

 

 ふたりのベッドルーム。

ねえ、チュチュ。
姫宮がこうしてお兄さんに会いにいっている間、君はいつもひとりでお留守番していたのかい?

これは、前に2ちゃんねるかどっかで面白い解釈をみたのでメモ。 チュチュ=アンシーの心・本心だと捉えるなら、彼女が兄とセックスしている間、彼女の心はいつもひとりでお留守番。なのである。そして置いてけぼりにされたアンシーの心を汲み取るウテナのやさしき心。しかし彼女もまたその心を置き去りに、偽の王子さまに連れられていくのです。

 

夜の決闘広場(猿芝居)

ふたりっきりで暗いところとか行っちゃダメだってば。ほだされやすいんだからねほんと。

俺は君の王子さまにはなれないだろうか。
俺の王女は君しかいない。

おりてくるお城と、空にかかるオーロラ。ロマンティックな台詞とかるいBGM。この場面は、世の中ではとんだ猿芝居と悪名高いアレです。 そう。プロポーズです。ぼくと一緒に暮らしましょう。あのお城の中で永遠に。いつまでもいつまでも幸せに暮らしましょう。立っていると危ないですから。

後述する生徒会でも述べられるように、この冬芽からのプロポーズは、明確に最後の逃げ道です。ウテナが何万もの剣に串刺しにされないための。現実と照らし合わせていえば、"売れ残り"(ほんといやな言葉ですね)の"愚かな女"にならないための*1。訂正、ほんとは最後の最後にもうひとつだけあるんですが、ウテナが自らの意志で逃げ道を選択できるとすれば、ココだったってことなんだろうね。しかし、それもまた罠です(劇場版を参照)。

にしてもこの場面の冬芽の台詞、どんなに真剣に聞こうとしても耳がすべるっていうかぜんぜん頭に入ってこないな。ただこれ本気でいってるのですよね。だから余計質悪いっていうか、ついに冬芽がダボハゼから人間へと降格してきたことの顕れかなとか思いつつも、ウテナの返事、「わかった」って。わかっちゃうのかよ。さすがクソビッチ。ヲタサーの姫。サークルクラッシャー。日本三大悪女。ほんとウテナだいすき(皮肉ではなくて)。これで決闘勝っちゃうんだからね。

 

 

生徒会(銃)

 俺はもう一度闘う。
そして、勝たねばならない。
彼女を救うには、やはりそれしかない。

"世界の果て"を疑うには、もう遅すぎた。冬芽は、"世界の果て"に従うという形でしか、ウテナの棺をそっと閉めてやることでしか、彼女を救うことができません。彼女がほんとうは外に出たいと願ったとしても、彼は、"ウテナのために"忠告します。立っていると危ないぞ。でも、なんの権利があって彼にそんなことがいえるというのだろう。"してあげたい"と"してほしい"の混同。なぜ冬芽は負けるのか。それはこのへん(DUEL:04DUEL:05)をよんでね。

 

 

影絵少女

おまえ、王子さまなら、馬でもいいのか...

 馬あね。ダボハゼでも鯉でも恋でもタイヤでも。骨だけの魚よりマシですし。しかし、パンだと思った拳銃は、すぐ横に。(参照:DUEL:19

 

愚かだとおもいます。"王子さま"と名のつくものなら、どんなものでも。馬だろうが人間だろうがステキステキ。でもこれって誰のことなんだと思います?ウテナ?アンシー?七実さま?専業主婦志望で婚活パーティに参加する未婚女性(31)?否、これは冬芽からみた、もしくは暁生からみた"女"なんだろうとおもいます。だって、こういう揶揄されるようなキャラクターって出てこないですよね。ウテナは思い出の王子さまに気味悪いくらい固執してるし、七実さまはお兄様一筋、アンシーも最初こそあれだけど、もうそんな感じしないし。世の理を表すような影絵少女だけれども、どんどんボロがでてきます。だって彼女たちは影絵で、アニメで、カオナシで、ただの大衆の代弁者だからです。

 

 

まぼろしのお城(決闘広場)

寓意・寓話・寓エスト」。 

守ってあげたい。

天上。俺がお前を守ってやる。

王子さまからの最後のプロポーズと、

君は必ずぼくが守ってみせるから。

魔女になりゆく英雄の、最後のプライド。

 これはどちらも本気で本音で言ってるんだとおもう。でもウテナは、もうかりそめの王子さまに興味はない。盗んだバイクの刺激より、新車を持った男がいい。守られる喜びより、守ってあげる喜びがほしい。新車を持った男を選ぶことと、誰かを守ってあげたいと願うことは、矛盾します。でも、王子さまでありお姫さま。少年であり、少女。忘れてしまったけど、覚えてる。その矛盾こそがウテナさま。冬芽はウテナに勝てません。

アンシーは、まだウテナをすきです。すきだし、憎んでるし、試しています。"これでもわたしを守るだなんて言える?"。というように。誰かを守ったその先に、何が待ち受けているかも知らないくせに。

 

目撃者の証言⓶

これで君は世界を革命する者となった。
だが、世界の果てにも、薔薇の花嫁にも、心を許してはならない。

それが俺に言える最後の言葉だ。

ウテナは、王子と姫のセンチメンタルな猿芝居を、彼のプロポーズと、それにまつわる世界のルールをついに拒絶しました。 彼女は、暁生の助手席に座った翌日にはもう、盗んだバイクで走り出しているのです。そういう人間です。危ないといわれても大好きなともだちとブランコ二人乗り(しかも立ち漕ぎのほう)しちゃうんです。それが本当に気高き者の証。暁生が求める"穴"です。だけど彼はそれを忘れてしまったから、ウテナからそれをなんとしても奪い取ろうとします。でも奪い取っても穴の空いた心じゃ、すり抜けていってしまうだけだけれど。

さよなら、先輩。

 

ふたりのベッドシーン。

そうして、夜の扉は開きます。

ウテナは幼い頃、この棺を開けないでほしいと願いました。しかし14歳になった彼女は、その願いに応えようとした冬芽を拒絶します。だから棺は開く。それはいたって簡単なことでした。たぶんそれは、時間が過ぎていくことや、思い出を忘れてしまうことぐらい簡単に。子供が大人になるのと同じくらい、簡単に。

ウテナは暁生とアンシーの秘密をついに知ってしまいました。アンシーの"裏切り"に、ウテナはどう応えるのだろうか。かりそめの王子さまは、倒した。残すは"本物の王子さま"だけ。

 

 

LA BANDE

ねえ姫宮。
やっぱりぼくは、どうしても君を許すことができないよ。

VS

ウテナさま。
ご存知でしたか。わたしがずっと、あなたを軽蔑してたってことを。

 

*1:にしても、男とセックスすりゃクソビッチ、一生しなけりゃ売れ残りって。なんだそれ

DUEL:35「冬のころ芽ばえた愛」<少女革命ウテナ>

 

これはキャラメルじゃないんだってば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:35「冬のころ芽ばえた愛」

放送日:1997年11月26日

脚本:月村了衛 絵コンテ:松本淳
演出:伊達勇登 作画監督相澤昌弘

 

タイトルうまいこと言ってみました感。あと冬芽の鯉のはなし。海にいるはずのなかった恋の話です。うまいこと言ってるようで言ってない感。

 

 

 

ひなげしの花。

項羽に愛された虞美人。男のために自ら死を選んだ女。

ひなげしの花言葉ってなんですか?というか、数多くある中から、暁生さんが選んだのはどの花言葉なんですか? 第35話の全体をみるに、"恋の予感"。これはこれでしっくりくる?でも、それだと暁生さんの話の文脈に沿ってないような気もする。となるとやっぱ"慰め"の方かな。彼の"恋の予感"と、叶わぬ恋への"慰め"。

それから、今回のエピソードのみではなく、『少女革命ウテナ』全体を象徴するものとして"忘却"なんてのはどうだろう。夢と理想を忘れて"世界の果て"に向かう女の子と、忘れ去られる自己犠牲たち。そんなものものに対する"いたわり"。そして"妄想"。とかね。

 

強いことは、なにもないということ。

どっか(たぶんDUEL:03)に書いたんですが、冬芽がこの物語において何を意味するってそれはやっぱり軽薄さ。幻。暁生さんが映し出す。冬芽さまって超うすっぺらいよね。自覚があるんだかないんだかわからないけれど、まあ、あるんだから、"悲劇"がだいすきだし、甘々な虚無に浸るのもだいすきなんでしょう。そのきもちは、めっちゃわかるけどね。幸せって手に入れるの大変じゃないですか。だから偽物の不幸をその代替品にするっていうの?穴だけぽっかり空いてるよりはましですからね。そして自分以外の誰かに空いた穴を、その誰かのために埋めてやりたいと願った時、彼ははじめて"弱さ"を手にいれる。

フェミニストを自称しても本気で人を愛したことなどなく、人は利用するものとしか思っていない。それが貴様の強さだった。だが、その剣で彼女に勝てるのか?

 

生徒会(記者会見)

西園寺はこのことにはじめから気づいてたのでしょうか。とんだピエロです。でも彼はやっぱ冬芽のこと好きなんでしょうね。だってぬるいもん。事実、冬芽の虚無は、イコール"強さ"です。樹璃や幹のような"想い"がないからこそ、彼は冷酷で、手段を選ばず、厚顔無恥で、ダボハゼで。。。。 そしてだから王子さまにもっとも近い存在なんです。同じ髪型、同じ服装、台詞のほとんどない、"王子さま役"。

俺もあの人のようになりたいんだ。
あの人のような、力が欲しい。

どこまでも薄っぺらいことしか言えないこの男の強さは、けっきょくただのハリボテでしかない。強さは弱さと表裏一体です。光と闇が背中合わせのように。でも彼の強さは、ただの強さです。

あの子は今も棺の中にいる。いや、彼女だけじゃない。
俺たちも棺の中にいるんだ。

冬芽はウテナへの想いを自覚して弱さを手に入れましたが、それは世界を革命する鍵にはなりません。だってウテナは冬芽を必要としないから。彼が気づくべきは、誰かの穴を埋めてやる幸福ではなく、同じ穴を持った友だち。誰かの棺を開けてやる必要はないというものです。それは最大の自己犠牲で、同時に最大の傲慢。

 

影絵少女

しーっ。
コイですよ。

海に鯉はいないし、この世界に恋なんてない。

 

 

LA BANDE

決闘より恐ろしいものを、あなたはご存知ですか。

 

DUEL:34「薔薇の刻印」<少女革命ウテナ>

 

ごめんなさい。目、閉じちゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:34「薔薇の刻印」

放送日:1997年11月19日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ:佐藤順一
演出:桜美かつし 作画監督:門上洋子・長谷川眞也

 

本エピソードは、相反するふたつの物語によって構成されます。それは、影絵少女たちが演じる『薔薇物語』と、ウテナの夢の中の王子、ディオスが語る『薔薇の物語』。どちらも"真実"といえばそうなのですが、前者が寓話というか、より一般的なお話に帰納された物語であるとするならば、後者はもっと個人的なお話、つまりウテナとアンシーとディオスの話。

そして、そのふたつの物語によって何が明らかになるかといえば、

  1. 暁生の悲劇
  2. ウテナのみた"永遠"・"王子さま"の正体

です。また、今回新たに生まれる謎が、

  1. アンシーの信じる王子さまの正体

前々から、ウテナだけではなくアンシーにも"王子さま"がいるということはほのめかされていましたが、今回で初めて、それは彼女を救う唯一のものであると明かされました。そしてそれが誰であるのか、何であるのかということは、わかるようで、わかりません。

ゴタゴタ前置きが長いので、しゅるっと本編に入りたいと思います。それでは。レッツラまぜまぜ!(プリキュアみた)

 

『薔薇物語』

不思議だよな。新しい星を発見すると、発見した自分のものになったような気がする。でも星は星だ。誰のものでもない。誰のものでもないんだ...

暁生の語りから始まります。これもいわば『薔薇物語』の演出のひとつとも言えるでしょうか。暁生さんはこういう喩え話、寓話が大好きです。どっかのアニメーション監督みたいだね。という冗談はさておき、真面目に理解しようとすれば、この語りにおける"星"とは、そのまま暁生さんのことです。"王子さま"という概念のことでもある。光り輝く星は美しいけれど、いつも誰かに所有され、美しさを保ち続けなければならない苦しみを持つ。そしてアンシーがこのセンチメンタルな戯言に対し超テキトーに返答すると、

まだ俺を苦しめるのか?

などと意味深なことを言ってのけるあたり、ここで新しい星を発見し、本人の意思にかかわらず星を所有して苦しめる加害者は、アンシーということになります。被害者は、自分。そんな"星"に憧れるウテナ。彼女がなろうとしているのは、果たして本当にそんなものなのでしょうか。

 

 

写真

ウテナの肩に手をかけようとする暁生をそれとなく制止し、ふたりの間に割って入るアンシー。上記の語りと、影絵少女たちの演劇を踏まえれば、彼女が独占したいのは暁生であり、王子さまである兄。でも。

 

いまだ語られざる、それは『薔薇物語』。

人生はすべて芝居みたいなもの。
ただ役者と観客の2種類の人間がいるだけ。

アンシーのニコニコ笑顔が不気味。役者は彼ら。観客はわたしたち。ここでは、暁生たちは観客役の役者です。そして肝心な『薔薇物語』の内容を簡単にご説明すると、これは、「まだ世界中の女の子がお姫さまだった頃のお話」。世界はまだ完全な闇には包まれていませんでした。

なぜなら、薔薇の王子さまがいたから。

薔薇の王子さまは、怪物と戦いお姫さまを守ったり、お姫さまにクリスマスの予定がなければフランス料理の店を予約してくれたりするとってもありがたい存在。そしてその見返りは、お約束のチュー。お姫さまが王子さまに守られることで、世界は光り輝いていました

そんなある日、通りすがりの老婆が王子さまに忠告します。

この世界の光を盗み、大地を闇で覆い尽くそうと企む者がいます。
...魔女です。

"世界の光"とは、永遠のもの。輝くもの。奇跡の力。世界を革命する力。のこと。それらを盗もうとする魔女を倒すため、王子は彼女が暮らす空に浮かぶ城へと向かいます。

しかし、その"魔女"の正体は、老婆に化けた、彼の妹でした。

私だけはあなたのお姫さまにはなれないのよ!
...お姫さまになれない女の子は、魔女になるしかないんだよ!

そして魔女は王子を幽閉し、光(=王子)を封印してしまいました。世界は闇に包まれ、魔女は今もどこかで気高き若者を生贄にするべく、この世界を徘徊しているのです。。

 

この物語のいわんとするところは、説明するのも莫迦莫迦しいのですが、まあありきたりなお話です。クリスマスにひとりでいることが怪物のように恐れられる世界で、英雄だ、光だと讃えられる王子さまは、忙しい。王子さまが讃えられるには、お姫さまであり続ける女の子が必要だ。まだ世界中の女の子がお姫さまだった頃。あの頃はよかった。お互いが満足していた。でも今はそうではありません。女の子なのに、王子さまになろうとする者がいる。お姫さまから脱却しようとする者がいる。なぜなら王子さまは魔女のエゴイズムによって封印され、世界は闇に包まれてしまったから。愚かな魔女によって、みんなが不幸になる......

 

劇中にスポットライト等で示されるように、魔女(妹)=アンシー、王子(兄)=暁生です。そしてくどいほどに繰り返される"魔女"の笑顔。嫉妬に狂ったおそろしい女。暁生を苦しめ続けるアンシー。見えもしない文字が見えてくるよう。ここで『薔薇物語』は完結です。

 

目撃者による証言

ただの小娘じゃないさ。
彼女は幼い頃に、永遠を見せられた女の子だからな。

ウテナのみた"永遠"の正体とは。

 

 

劇団影絵カシラ。

今回初めて実体(?)として登場するA子とB子。そして(たぶん)友達のいないC子。なぜかお風呂に潜るC子。なぜかシャワーをひねるC子。お風呂でシャワーを浴びるA子とB子。よくわかんないので何がどうなってるのか誰か説明おねがい。

 

 

『薔薇の物語』

暁生は、前述の『薔薇物語』を全肯定するのかと思ったら、意外にも公演後に渋い顔(なんだろうか)を見せていましたし、ウテナに対しても「学生らしい芝居」とどこか見下したような感想を漏らしていましたね。学生らしさ、若さを輝くものとして懐かしがりながらも、どこかでそれを嘲笑している。"世界の果て"らしい所作です。現実が『薔薇物語』のように単純ではないことは、暁生にだってわかっている。光は光単体では存在できません。光には闇がともない、そしてその闇は誰のせいでもない、自分そのものであるというのに、彼はその現実を直視したくないためにアンシーを闇"役"にしているのです。その自覚があるからこそ、彼は何を犠牲にしても、世界を革命したがる。何を革命したかったのか、とうの昔に忘れてしまったというのにね。

 

これが暁生の悲劇の正体。自らも加害者であるという現実から目をそらすためにいつまでも被害者気取りで、悲劇のヒーローでいたら、誇りも気高さも忘れてしまった。空っぽになり、ただの利己主義・虚無主義の大人、世界の果てになってしまったのです。彼はその穴を埋めるため、"世界を革命する力"を求めるのにもかかわらず、同時にそれをあざ笑う。だって穴は穴で、もうなんにもないから、彼は永遠に思い出せないままなのだ。

 

 

いまだ語られざる、それは『薔薇の物語』。

ディオスが語る『薔薇の物語』はいたって簡単な話。王子さまシステムの闇。みんなを助けて疲弊した王子さまをかばった妹は、"魔女"に仕立て上げられました。つまり、『薔薇物語』を作ったのは、アンシーを剣で貫く大衆なのですね。こういう悪い女がいるから気をつけなさいよ、という偏見に満ちたデマ。そんなデマが、今もこの世界に蔓延っているのだからおそろしい話です。

そして、アンシーは"愛"のために自らが犠牲になりますが、その"愛"が向く先はもはや存在せず、彼女には永遠の苦しみが残されたのです。偏見によって憎悪の的となった"女なるもの"。それを目撃したのが、ウテナです。幼い頃、棺の中の少女が見たのは、王子さまではありません。素晴らしいもののように語られていた"永遠"(の幸福。王子さまとお姫さまは、いつまでも幸せに暮らしましたとさ、まる。)でもない。永遠は永遠でも、永遠に続く苦痛です。そんな苦痛にさらされたアンシーに同情したウテナは、自らが闇を照らす光になることを決意したのです

しかし、彼女のそういった"光"にも、もちろん闇はありますウテナは、女の子です。女の子は、幼い頃から多くの『薔薇物語』を見て育ちます。愚かな女は、何万本もの剣に体を貫かれることになりますよ。そういう教訓を示す物語を、延々と押し付けられる。王子さまになろうと決意した彼女の見たその光景は、まさに『薔薇物語』そのもの。そして自分は、"愚かな女"にはなるまいと決意する。"愚かな女"と定義される女を見下すようになる。そこで、大衆に混じり彼女に石を投げるか、かわいそうな彼女を別の立場から「救ってやろう」とするか。ウテナは『薔薇の物語』をディオスから聞かされていたのでまだましですが、彼女はこの時点で自分と"愚かな女"を切り離して考えているのです。ある種の逃避行動ともいえます。自分はあんな風にはならない、"男なるもの"になって"女なるもの"を救ってあげよう。悪意なく、そう思うのです。

 

ふたりのベッドルーム。

あなたの寝顔をみてたの。
あなたは、誰?

自分を救うと豪語する少女に、アンシーは何を思ったのでしょう。ディオスは、「その気高さを忘れなければ」アンシーを救えると言いました。しかし、ウテナ「やがては女性になってしまう」とも言います。これではまるで、"女性になってしま"えばアンシーを救えないという意味にもとれます。アンシーは"女なるもの"だから、同じ立場になってしまえばウテナに彼女は救えないということです。女は女を救えない。だってそういうものだから。そんな物語、この世にはないから。それでもアンシーは、ウテナの光を信じたし、愛したのだろうと思う。それと同時に、アンシーは彼女の闇をも見ていました。"女なるもの"の立場にはならないはずの、また、ならないと信じている彼女の闇を、アンシーは憎んだのかもしれません。私の信じた光か、憎んだ闇か。それとも同類か。彼女は一体誰なんだろう。

 

LA BANDE

次回は、あの虚無の悲劇。

 

 

DUEL:33「夜を走る王子」<少女革命ウテナ>

 

言ったことあったっけ。
ぼくが一人っ子だったってこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:33「夜を走る王子」

放送日:1997年11月12日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ:橋本カツヨ
演出:高橋亨 作画監督:長谷川眞也・長濱博史

 

取り返しつかないっつーの?

 

第3部の総集編。とはいえ、今回のエピソードの核は暁生編の振り返りではなさそう。どこか怪しげな雰囲気と、巧妙な演出。実は物語は前回DUEL:32のLA BANDEから始まっています。これはウテナのお話なんです。

 

世界の果て。振り返り。

とはいっても、わたしはやっぱり過去に生きる人間なので、この第3部を振り返らないことには第4部・黙示録編へすすむことはできません。第1部・第2部とちがい、第3部で行われた決闘には名前がつけられていない(よね?情報求ム)ため、勝手にまとめます。

 

西園寺、忠誠を誓う。

DUEL:25

西園寺が暁生カーに乗って見せられた"世界の果て"。それは、支配と欲望と権力の世界。つまるところ、"薄汚いオトナの世界"ってやつ。彼は、最初こそその世界に染まることを拒否します。おれは社畜になんかならないぞ。権力で人を思うがままにしようだなんて、それじゃああの少女に"永遠"を見せることができないぞ。というように。

しかし、少女に"永遠"を見せたのは他でもない、その薄汚い世界の王子さまだったのです(正確には、だった"らしい"のです)。彼はそんな薄汚い"オトナ"にこそ憧れの念を抱き、彼のつくったその幻に忠誠を誓うのです。

 

グランドチャンピオンものまねキングに挑戦できるかな〜

 

幹の成長。梢の停滞。

<DUEL:26

幹のみたもの。それは、自分の好きなひとを自分の好きなようにできる。いわば夢の世界。"オトナ"の世界に不信感を抱くという点について西園寺と変わりありませんが、西園寺はその下劣な姿をした"現実"に身を委ねたのに対し、幹はそこにもまた"夢"を見たのです。ここよりもっと進めば、壁をこわせる。いろんなものが手に入る。でもそこにあったのは、さらにさらに大きな壁でした。でもそれを知ることは、ある種の成長であったともいえるのかもしれません。

梢のみたもの。これが一番"世界の果て"らしい絶望です。彼女の周りには、"汚い"ものしかありません。梢は西園寺と違ってそれが"汚い"とわかっているのにもかかわらず、その"汚い"人間たちのモノになることでしか、自分を傷つけることでしか、自分の価値をはかれません。彼女はオトナになったように見えますが、本当はずっと自身の巣箱に停滞し、"ほんとうのじぶん"をみてくれる親鳥を待ち続けているのかも。

 

あの先生、ミョウバンってあだ名ついてるんだよ。
なんでミョウバンなのかよくわからんけど、その前は茶碗ってあだ名だったみたい。その前は...なんだっけ。

なんだっけ?

  

枝織の負け。

DUEL:28

枝織が見ていた"世界の果て"は、樹璃よりはやく、一秒でも先にあの"お城"に飛び込むこと。できれば"樹璃の"王子さまといっしょに。そしてその夢はもうすぐつかめるはずでした。あと一歩でお城にたどり着けるはずだった。でも彼女の"毒"は、その時を待ってましたとばかりに一瞬のうちに枝織を殺してしまう。夢は夢。負けは負け。月並みな言い方だけど、枝織は枝織自身に負けたんです。彼女の敵ははなから樹璃じゃないし。

 

ビニール袋に入れないと、ニオイうつっちゃうんだよね。

 

奪われる樹璃。

DUEL:29

殺してやりたいほど憎んできたものに生かされること。永遠にヒーローにはなれないと自覚すること。樹璃は樹璃であることを奪われる

 

あれってさ、よく本に書いてある通りにやるじゃん?
で、その通りにやってんのに、どう考えても味がちがーう!ってことあるよね。
あれってなんなんだろう。

 

 

七実を形づくるもの。

冬芽という神さまは、七実自身を形づくる大きな要素のひとつでした。というより、すべてでした。彼は七実のすべてで、七実という実体を当然のように構築し続けてきたのにもかかわらず、彼はただの無。目には見えないし、触れることもできない。七実にとってだけ、それは長いこと"有"でした。"有"であるということだけがわかっている"無"なだけに、彼女はそれを疑うことすらしなかった。というワケで、七実を形づくるものが"無"だったので、七実の存在も"無"。。なわけなくて、神さまを信じていた七実の気持ちは絶対的に"有"だから、だいじょうぶ。七実を形づくったのは、誰かをまっすぐ愛した自分のきもち。まちがってもハリボテのダボハゼ兄ではない。

 

あれっ。

逆転だ。

 

 

 車とハイウェイ、世界の果て。

やっぱり本題は、ウテナの果ての話ですよね。これまでの登場人物たちがみなそうだったように、ウテナもまた"世界の果て"に辿りついてしまったのです。

 

天上ウテナの果て

別に、男と初めてセックスをすることがひとりの子供・少女を"女"にするだとか、そして"女"になってしまうことが即ち"世界の果て"につながるのだとか、そういう話がしたいんじゃあありません。とか言ってみたかったんですが、まあ残念だけど(?)そういう話なんだと思いますね。もちろん、事実そうなんだってことじゃなくって、暁生がそう思ってるってことです。ウテナとセックスをするということはつまり、ウテナを"女なるもの"にすること(ウテナの"男"の部分を奪いとること)であり、彼女を"女なるもの"にしてしまえば、彼はウテナを永遠に自らの支配下におけると信じきっているということです。

そしてウテナの、"女なるもの"と"男なるもの"の中間をさまよう、もしくは両方になろうとする(=どちらにもなろうとしない)というこの世界では特殊ともいえる性質をも奪うことで、彼は予定調和の中に彼女を閉じ込め、永遠を手に入れようとする。彼女がここまで決闘を続けてこれたのは、その特異性があってこそだったというのに。

 

ともかく、ウテナは今"世界の果て"にいます。彼女がそこにいるということは、過去の美しい思い出や気高さ、王子さまの姿を忘れてしまったということを意味します。そしてその意味をアンシーは知っていますが、ウテナを快くそこに送り出しました。というか、知っていたからこそ、彼女に"用事"を言いつけたのです。

それで、じゃあウテナが世界の果てへ辿りついてしまったからには、4部からはどう物語が動いてゆくのでしょうか。ウテナは奪われた"美しい思い出"を取り戻すことができるのか。そもそもほんとうに"奪われた"のか(たかだか男とのセックスくらいで?)、奪われたんなら、どうだっていうんだろう。そのことは、人間の本質を変えてしまうのだろうか。そして、"世界の果て"は、ほんとうに"世界の果て"なのか。そういうところに指差しマークをして見てゆきたいと思います。

 

永遠って、なんですか。 

 

  1. ダイヤモンド
  2. 美しい思い出
  3. 桃の缶詰め

止マレ

止マレ 

 

今夜は綺麗な星空だ。

ほんものの星は、見たくなかったんです。

そして、ウテナを"世界の果て"へと送り出したアンシーのお話も少し。

今回、本物の夜空の下で暁生とドライブするウテナとは対照的に、アンシーはプラネタリウムが見せる偽物の星空の下で彼と電話をします。彼女はみずから嘘の夜空を見たがり、幻のもとに逃げ込もうとする。それは彼女の生きる術でした。

でも、ウテナの見ている星と彼女の見ているそれにはどんな違いがある?実は"星"そのものにはさほど大きな違いはなく、あるとすれば、"ふたり"が見たいもの。が違う。アンシーは偽物を見たがるが、ウテナは本物を見たがる。星は、ふたりが見たいものを見せる。アルバイトとして。

君がその目で何をみようと、それは君の世界のことでしかない。

ふたりは出口のない迷宮から抜け出せるんだろうか。

 

 

LA BANDE

これが、すべての始まりなんだ。あの日、あの出会い。封印された光。これは王子さまにもらったもの。そして、僕は僕になったんだ。悲しみの王子。これを見ると思い出すんだ。僕は気高さを忘れちゃいけないんだって。

あなたは、誰なんですか?

 

 

DUEL:32「踊る彼女たちの恋」<少女革命ウテナ>

 

今何時だと思ってんのよ。
名前くらい言いなさいよ。バカ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:32「踊る彼女たちの恋」

放送日:1997年11月5日

脚本:比賀昇 絵コンテ:松本淳・金子伸吾
演出:金子伸吾 作画監督相澤昌弘

 

DUEL:31から引き続き、七実さまの果て後編です。自分の居場所とルーツ、存在意義について悩み抜いた彼女の導かれたその果てとは。

 

彼女たちの誇り。

冬芽が温室でイチャコラしていた相手は七実の側近、茎子さんでした。これは完全なるあてつけですね。冬芽は七実が盗み聞きしているのもわかった上で、茎子さんに七実が実の妹ではないことを打ち明けます。冬芽は七実にやさしく接していたという思い出を、

あんなのお芝居さ。

と一蹴し、さらに追い討ちをかけるように、

...俺が相手にするはずないだろ。
あんなありきたりでつまらない女。

などと言い放ちます。それを聞いて喜ぶ茎子。まあもともと七実さまと茎子さんの間に友情なんてあってないようなもんですが、それにしてもこれはまさに"呪い"です。一人の男を二人の女が奪いあっているように見えて、その実裏で糸を引くのは男の"嘘"。一人の王子さまに選ばれ、愛されるということがこの世界でどれだけの価値を持つことなのかということを、王子さまは誰よりもよくわかっているのです。だからこうしてわずかな誇りを気まぐれに差し出してやる。そしてバカな銀蠅たちと嘲笑う。友情や、真実の愛なんてないのだというハリボテの虚無主義をひけらかしたくてたまらないのだ。

あんたとあたしのどこが違うっていうの?

冬芽との関係ついて七実に追及された茎子はそう問いかけます。王子さまの携帯電話は鳴り止まず、ついに七実は"絶望"を口にします。彼女は王子さまの妹であるという誇りを失ったのです。

同じになっちゃったんだ。わたし。
お兄さまに群がる銀蠅みたいなあの女たちと。
もう、わたしとお兄さまをつなぐものは何もないのよ。
何も。

蛇口を壊したのは誰でしょうか。溢れ出る涙は誰のため?。誇りを奪ったのは誰なんだろう。殺虫剤を撒くのはいつだって同類の虫。でも、

お部屋の臭い消しですよ。それ。

 

他人のリンゴで生き永らえる。

生きる屍となったフィナンシェ・香苗さん。

 

怖すぎる。こいつ。

ふたりだけの時間を、楽しませてあげてください。

暁生と香苗さんを呼びに立ったウテナを止めるアンシーが、ノコギリを手にしたまま放った台詞。ウテナは超純粋に受け取りますが、暁生とアンシーの関係性を知っている七実は、アンシーに対する嫌悪を強めます。 

 

ふたりのベッドルーム。 

暁生とアンシーを、"おぞましい兄妹"と言い切る七実さま。

あいつらと一緒にしないで。

七実は自分の兄にいったい何を見ているのだろう。自分たち"兄妹"の関係性に、どんな幻を見ているのでしょうか。

 

 

車とハイウェイ、世界の果て。

だから最後に知りたいの。
本当のお兄さまのことを。

七実のみる"世界の果て"は、"本当のお兄さま"の姿です。それを知ることで、自分自身の"普通"を取り戻せる。自分の存在を肯定できる。彼女は愛してやまない"本当のお兄さま"に手を伸ばす。そしてそれこそ殺虫剤。

本当に君が見るべきものはそこにはない。

暁生がまたわけわからんこと言ってますが、つまりアンシーと暁生との関係性が"おぞましいもの"に見えるのは、七実が狭い視野でしか物事を見ていない・自分のみたいようにしか物事を見ていないからだと。いつまでもその迷宮で"幻想"を抱いていないで、"本当のお兄さま"を見なさい。自分や兄の欲望、つまりは汚い部分に向き合い、"兄妹愛"などという綺麗ごとは存在しないということに気づきなさい。ということです。(意訳)

 

影絵少女

うさんくさ〜い
そんなのトリックに決まってるわ。

妹が兄を慕うこと。兄妹愛。そんなのは胡散臭い。何か裏があるに決まってる。それはたとえば性欲であったり、自分の"誇り"のためであったり。七実は王子さまに愛されたいから、選ばれたいから自分に媚びているだけ。本当にただ純粋に自分を愛してるだなんて、そんなわけない。

そんなのペテンよインチキよ。

行き場を失った念力。疑うのは実に簡単なことで、信じるのは難しい。それがたとえすぐ目の前に差し出されていたとしても。

 

永遠を運ぶゴンドラ(決闘広場)

 お兄さまはわたしがわたしであることの一部だった。

天然同胞宮殿遠近法の書」。

 

桐生七実の果て。

本当のお兄さまを探したその先のお話。彼女が導かれた世界の果て。そこには、

何もなかったのよ。

七実の愛したかっこよくてやさしい兄。でもそれはハリボテで、幻で、出口のない迷宮の中で見ていたただのダボハゼ。それを光り輝く何かだと勘違いしていたというだけのこと。彼女は光を見ていました。

でも、何もなかった。

 

その想いの結末。

前回ウテナ・王子さまの関係性と、七実・冬芽の関係性は似通っているというお話をしました。それを踏まえると、

あんたは信じていればいいわ!
その想いの結末を!

という七実の言葉が大きな大きな意味を持つことになります。七実が冬芽に抱く"想い"は、今回で終焉を迎えました。でもまだウテナは信じています。自分の"王子さま"への想いの結末が、ハッピーエンドであることを。

 

大人のベッドシーン。

でも、血のつながらない兄妹だと思われてた方が、ロマンティックですよね。

七実は、名乗りもせず電話を寄越すガールフレンドたちや、茎子さんとはまったく違います。七実は冬芽に王子さまを求めない唯一の存在になりえた。でも愚かなダボハゼは、彼女の愛を超能力のように存在しないものと決めつけ、インチキだとこき下ろし、あげくに平気でポイ捨てします。それがこの世の真理だとでもいうように。でも七実が冬芽を慕う気持ちって、ほんとうに珍しいものだとおもいます。冬芽はこんなことを言ってますが、自分が作り上げた嘘なんかより、目の前の現実のほうがよっぽどロマンティックだとはおもいませんか?

 

LA BANDE

この薔薇を、今夜お兄さまに届けてくれませんか?

次回。天上ウテナの果て。