永遠の卵

少女革命ウテナのおはなしだよ。しんちゃんのはなしもする。

25/26. 『伝説を呼ぶブリブリ 3分ポッキリ大進撃』(2005)<映画クレヨンしんちゃん>

 

Love Letter from Canada. For you.

 

 

▼ 『伝説を呼ぶブリブリ 3分ポッキリ大進撃』(2005)

残念ながら、26作品中25位に選ばれてしまった作品です*1。劇場版13作め。
脚本・監督ともにムトウユージ氏。前作の水島努監督から変更となって、15作めまで同氏が監督をつとめます。

▶︎ 基本情報※じぶん用のメモです※

人物:野原一家型
良役:ミライマン/アドバイサー
悪役:怪獣たち(にせしんのすけマン)/モンスター
物語:偶発型
舞台:春日部・野原家/パラレルワールド

▶︎ あらすじ

野原家に突如現れた変身ヒーロー「ミライマン」は、「3分以内に怪獣を倒さないと、その怪獣が現実世界に現れてしまう」と言い、みさえを強制的に3分後の世界に連れて行ってしまう。

引用:映画クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ ブリブリ3分ポッキリ大進撃 (2005) - シネマトゥデイ

あらすじ簡単か!と思うけど、ほんとにシンプルな話です。ぐうぜん野原家に入り込んだミライマンによって正義のヒーローとなった野原一家が、パラレルワールド的な場所で怪獣を倒す物語。
本作を前回のブログでお話しした「三つ巴設定」の例にあてはめると、

(A)悪のグループ = 世界を滅亡に追い込む怪獣たち、
(B)正義のグループ =ミライマン、
(C)野原一家
ということになります。 そしてこのうち二つの要素が、わたしがこの映画をつまらないと思った大きな要因といえる。気がする。

▼ 自我のないキャラクターたち

というのも、(A)悪のグループは、大ボスとして登場する"にせしんのすけマン"を除いてほぼ知性を持たない怪獣群です。(A)がそういったタイプであるのはたとえば『オラの引越し物語 サボテン大襲撃』(2015)なんかがそう。この作品が、知性を持たないサボテンを未知のモンスターとして魅力的に扱ったのに対し、本作ではただ特徴のない怪獣が繰り返し出現するばかり。倒すのもけっこうカンタン。
怪獣の外見は『ウルトラマン』などを引用して工夫されていたように感じますが、彼らは徐々に強くなっている(らしい)のにその「強さ」とやらがあまり見た目に反映されていないところが不満です。わたしが怪獣映画や特撮関係に明るくなく申し訳ないのですが......詳しい人にはわかるのかな。

そして(B)のミライマンについて。彼もまた野原一家をサポートするキャラクターとしては力不足と言わざるをえません。
ミライマンはなんか最初はポヤ〜ていう光の玉みたいなヤツなんですが、何かに憑依すると物体との接触が可能になるそうです。そんな彼が憑依したのがしんちゃんのオモチャ・シリマルダシ*2。なんですが、ただのオモチャに憑依してしまったことで表情や動きなんかがほとんど表にでてこない。それこそシリマルダシってただの怪獣だから、"アクション仮面"や"カンタムロボ"と違って本来のキャラクター性もない(だから憑依させやすかったともとれますが)。ただ何かを説明するガイド役なら、ナレーションや天の声みたいなのと変わらないのでわ.....?

ところで「自らが動けないので他のキャラクターに憑依し、主人公に指示を送る」(B)キャラといえば、『雲黒斎の野望』(1995)のリング・スノーストームが思い浮かびますが、彼女の場合憑依したのは(はからずも)シロでした。関係ないけどメモ的に触れておきました。

▶︎ 繰り返されるバトルシーン

この映画の公開時間は88分。約90分と考えて、30分ずつに分解すると真ん中の30分はほぼすべて怪獣と戦っていて、ちなみに後半の30分もほぼすべて怪獣と戦っています。起承転結にあてはめると最初の30分が起・真ん中の30分が承・最後の30分が転・結となって(あらすじシンプルなのでわかりやすい)、バランス的にはいいようにも思えますがとにかくほぼすべて怪獣と戦っています。
作品内で登場する怪獣は17体*3。後半に登場するゴロドロ・にせしんのすけマンとの戦い以外、本当に(本当です)似たような戦いが続きます。何度も戦いを繰り返すうち、たしかに野原ひろしマンは強くなっていくし、みさえちゃんの想像力に満ちた変身姿には多少のおもしろ味もあるとはいえますが、あるとはいえますとしかいえません。掛け軸の向こう側がパラレルワールドの入り口ですが、ほとんどの場合彼らは同じような場所で戦っていて、野原家とパラレルワールドの往復でしかないというのも、あんまりよくないのかも。

▼ "正義"のみかた

ところで、この映画のテーマは「正義とは何か」です。
この設定もたいへんわかりやすく、冒頭の夢のなかでアクション仮面とともに戦ったしんちゃんは、

オラ、正義に目覚めたけど、まだまだ正義のことがよくわからないゾ。
アクション仮面、正義って何?

と問います。アクション仮面はその問いかけに、

しんのすけくん、その答えは、自分で出すものだ。

とお返事。
さてしんちゃんは、どんな"正義"を自らの中に見つけたのか。 

▶︎ プリケツ

それはさておき、本作では「繰り返される日常」に疲れ切った野原一家(主にみさえちゃんとひろしですが)の描写が印象的です。この冒頭のみさえちゃんルーティンはすごくいい。5歳と0歳の育児ってたいへんだよね。倒れる自転車の演出もぐっど。
たいていの劇場版の場合、「繰り返される日常」は彼女たちにとっては原則「愛すべきもの」であって、上述のような状態が描かれることはほとんどありません。いつも彼らは「完璧な円」であって、そこに生じた「欠け」を取り戻すため、奔走するのです。たとえば他作では、『嵐を呼ぶ!栄光のヤキニクロード』(2003)あたりが顕著。

退屈な日常に疲弊したみさえちゃんとひろしは、ミライマンの渋々の提案にも他作にはない乗り気で応じます。ヒーローに変身することで、二人は自らの隠れた願望を叶えてゆくことになる。美女や美男になって、大勢の異性に持て囃されたい。多くの人に自分のかっこいいところを見せつけてやりたい。テレビに映って有名になりたい。"正義のヒーロー"は、麻薬的に彼らを蝕んでゆきます。
彼らは名前こそ"正義のヒーロー"でありますが、その実、他者からの視線だけを意識した、"ワガママ"で臆病な怪獣そのものなのです。

▶︎ 色即是空

"正義のヒーロー"に溺れたみさえちゃん&ひろしは、ついに家事・育児・仕事を放棄。掛け軸の前で怪獣を待つだけの生活に没入してゆきます。しんちゃんは妹のひまわりを放って置けず、両親にかわって面倒をみる。このへんは『嵐を呼ぶ モーレツ!大人帝国の逆襲』(2001)を彷彿とさせる展開。
そんな中、戦うたびに強くなっていく怪獣を、夫婦は持て余すようになっていきます。これまで彼らは自らの欲求を満足させるため、ゲーム感覚的に怪獣と戦ってきたわけですが、敵が強くなればそれすら叶わなくなる。自分たちの命だって脅かされます。そうすると彼らは途端に役割から逃げ出してしまう。

強い人は、弱い人を助けてあげるものだから!

そんなふたりを奮い立たせるかのように、しんちゃんは掛け軸の向こう側へ。
しんちゃんの姿に心打たれたみさえちゃんとひろしは思い直し、ふたたびヒーローとして戦う決意を固めます。しかしふたりはミライマンの「さすがヒーロー!」という称賛を打ち消すのです。

違う!俺たちは世界を守るヒーローなんかじゃない!
子どもたちに未来を生かしてやりたいと思っている父ちゃんだ!

 この言葉が、まさに本作のテーマ。きびしい毎日に疲弊して、現実から逃避するかのように"正義のヒーロー"に没頭していったみさえちゃんとひろし。一方、弱きもののため、困っているものために真実立ち上がるしんちゃん。正義とは、日常の繰り返しや人々の地道な営み、あるいは目の前にいる他者への慈悲。そういったものの延長線上にしか存在しえません。夢と理想をつめこんだ"変身ごっこ"などではとうていありえない。

というわけで、なんやのかんやでラストの怪獣、"にせしんのすけマン"を倒し、彼らは「完璧な円」を取り戻します。劇場版において野原一家に生じる「欠け」は、他作では「他発的」なものが多いですが、本作では自発的なものだったのですね。なんだかこうやって書くととっても良い映画な気がしてきました。否、良い映画です。おもしろくはないけど。

強い人は、弱い人をお助けするもんだけど、強い人も弱い人もなく、お助けできれば、した方がいいと思って......

 野原しんのすけは仏教。

▼ つまり

物語は単純といってしまえば言い方は悪いけれど、ごくシンプルでメッセージ性はたいへん伝わりやすい作品でありました。ムダな部分を削りに削って大事な部分まで削ってしまったのでは......と思わなくもないですが、怪獣がすきだったり、野原一家ファンで彼らの活躍が見たいよという方にはおすすめの作品です。

 

*1:前回もこの書き出しだけど、わたしに酷評されたからといって別に残念ではない。

*2:最っ高のネーミングだよね。

*3:クリラ、ラドンおんせん、ギュー・ドン、ラビビーン関根、ババンバ・バン、ファ・イヤーン、怪獣・波田陽区、カマデ、キリキリマイ、2960、ピースくん、カトリーヌ三世、タナ・シ、サバシオ、ポチタマタロミケ、ゴロドロ、にせしんのすけマン