永遠の卵

ウテナメモ

DUEL:02「誰がために薔薇は微笑む」<少女革命ウテナ>

 

 

それ、なんてゆう本? 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:02 「誰がために薔薇は微笑む」

放送日:1997年4月9日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ・演出:金子伸吾
作画監督:長濱博史

これ、えんえんと書き続けないと永遠に終わらないだろうなと思ってるのでがんばって書きます。まあでも永遠なんてどうせ幻だし...(ネタバレ)。

 

 

☞ 生徒会(トランプ)

  • 生徒会メンバーは、手紙に従って集い、手紙の指示通りに行動してきた。
  • 世界の果て」が送る手紙は、いつも一方的。(従うかどうかは自由)
  • 薔薇の刻印で決闘広場の扉が開き、手紙にかいてあるとおり、幻の城は出現した。
  • 世界の果て」いわく、決闘に勝ち、薔薇の花嫁とエンゲージする者がやがて城にたどり着き、世界を革命する力を手にする

脚本が榎戸さんのときは、当たり前だけど(えらいひとだから)ペラペラペラペラ大事なことをしゃべるので気がぬけません。

それはいいとして、このシステム、すごく宗教(とりわけキリスト教)を思わせますよね。黙示録とか告解エレベーターとかルシファーとかキリスト教関連が多いアニメなので、だれか詳しいひとめっちゃ解説してほしい。

 

 

ウテナが男装をする理由

第2話で興味深いのは、ふたりが寮でお茶をするシーン。ウテナが決闘広場についてアンシーに尋ねるのですが、どうにも要領を得ない答え。「知らないのになんでそんなことをしているわけ?」と不思議がるウテナに、アンシーは逆に「なぜいつも男装しているのか」尋ねます。それに対するウテナの返答が、

なんとなく、まあ、好きだから...

なのです。

ウテナがなぜ男装しているかといったら、第1話でも、というかプロローグで何度も言われていることですが、王子さまに憧れているからです。1話冒頭で男子生徒になぜ学ランを着ているのかと尋ねられた時も、彼女ははっきりと「王子さまだよ」と答えています。なのになぜここではぼやかす。そしてアンシーはウテナの答えに対し、

私も同じです。

と返す。このふたりの噛み合ってないようで噛み合ってる会話がとても好きです。

いっけん、アンシーは上手いことはぐらかしてるようにも見えますし、事実そうなのかもしれません。でも、要するにふたりとも"よくわかってない"んです。この世界の掟もなにも知らないのに、ただなんとなく、"王子さま"をしてみたり、"薔薇の花嫁"をしてみたり、している。ウテナだって、「じゃあなぜ王子さまに憧れてるの?」と訊かれたらうまく答えられない。"よくわかってない"のがわかってるからこそ、ふたりはぼやかすし、はぐらかす。ただそれが結局"事実"になってしまっているのがおもしろい。

ところでウテナの荷物が多すぎなところカワイイ。

(3/12追記: これ、ウテナの荷物が多いんじゃなくてアンシーの片付けがやばいのか。)

 

 

☞ チュチュ!(おさる)

チュチュは、ピアスとネクタイを身につけたおさる。アンシーの友だち。アンシーはたくさんペットを飼っていますが、チュチュは友だちです。

巷では本音の読めないアンシーの内面を表すのでは?という噂も聞いたことがありますが、必ずしもそうではないとわたしは思います。監督はたしかコメンタリーかなんかでチュチュについて尋ねられた時、「アニメってそういうことやるもんだから、やる」みたいなことを言っていたような...?(ソース不明)まあ監督の言うことなんてどうでもいいんですけど。

ただ、重要な動きをしてる時もあるっていうのもこれまた事実なので、指差しマークです。基本なにか食べているか、眠っている。

 

ここでまた決闘についてルールが説明されてるので、メモ。

  • 薔薇の刻印は、生徒会メンバー全員持っている。
  • その指輪(薔薇の刻印)を持っている者には、決闘する資格がある

チュチュは眠ってます。興味がないんです。

 

 

☞ 踏みつけにされるチュチュ。

「必ずしもそうではない」とか言っておきながら次の章でチュチュのことを書くのは自分でも破廉恥だとわかってはいるのですが。チュチュの行動がアンシーの内面を表すとすると、より楽しめる場面が2話にはあるんです。庭には二羽鶏がいるんです。西園寺がアンシーを殴った流れでウテナに決闘を申し込む場面です。文章であらわすとますます西園寺が最低。*1

このシーンでわたしが注目してほしいなと思うのは、やっぱりチュチュが踏みつけにされている点。西園寺とウテナは薔薇の花嫁のことで言い合っているのに、当の本人(アンシー)はまったく会話に加わっていません。ふたりの会話の中で、アンシーの意志は踏みつけにされている。

そしてウテナは、前回西園寺と決闘したのはあくまでも若葉のため(=友だちのため)だけど、薔薇の花嫁を奪い合う闘いは"無意味"だからしたくないと主張します。これちょっと傷つく。ウテナのこういった言動は、悪気がないだけに、知らず知らずのうちに他人を傷つける。

 

それはさておき、決闘をお断りしようとするウテナに、さらなる世界の掟。

  • 生徒会の規則に逆らう者はこの学園にいられなくなる。

とのこと。暗に退学を迫られたウテナの様子を、上目遣いで窺うアンシーにも指差しマークしてください。 

そして退学になってしまっては物語が終わってしまうので(これ冗談ではなくって、本当にそういうことだと思う)、ウテナは申し込みをしぶしぶ受けることになります。とどめのようにぐりぐりされるチュチュ。「わざと負けるさ」というウテナに、アンシーは「お好きなように」と返すのですが、チュチュは石ころ蹴飛ばしてすねる

ちなみにアンシーと西園寺は、

してたのか。交換日記。

 

 

☞ 影絵少女

わざと負けちゃう難しさ、果たしてあなたはご存知かしら?

権力をつかみたいという欲望に人は抗えないものなのでしょうか。ウテナでさえも。

 

 

☞ さかさまのお城(決闘広場)

やはりというかなんというか、ウテナは"命よりも薔薇をかばう"のです。つまり、負けたくない。口では「興味ない」のなんのと言っていてもです。

そして薔薇マーク。ピンチになるとお城からディオスが降ってきて、ウテナに覆いかぶさる。するとウテナはぴょんと力を発揮して、なんなく勝利します。どうやらこれが、ディオスの力、世界を革命する力なんだそうです。なるほど〜

 

BGMは「肉体の中の古生代」。

 

 

☞ LA BANDE

次回は!みんなだいすき七実さまが登場するよ。

ところでこのLA BANDEは終盤まで特に意味ないのでわたしのまとめ的な感じのコーナーです。

本編では触れなかったのですが、ラストシーンの微笑むアンシー。これはなぜなんでしょう。チュチュは喜んでいるので、アンシーも喜んでいるのでしょうか。なにに?ウテナが勝利したことに。つまり、西園寺に乱暴されるの、やっぱり彼女は嫌だったのだと思います。当たり前ではありますが。

アンシーは感情を消した冷酷な人形(=ゆえに酷い扱いを受けても傷つかない)として語られることが多いし、彼女の自我の解放こそがこのアニメの重要なテーマであることはもちろんなのですが、解放してないからって感情がないわけではないと思います。

そもそも"チュチュの行動"="アンシーの内面"だと捉えれば、ふだんアンシー以外の人には懐かないチュチュがウテナには懐いたっていうのはやっぱり意味のあることだとおもうし... アンシーは花ではないし、やっぱり血の通った人間だから、優しくしてくれるひとのほうが好きにきまってるじゃん。ディオスとウテナを重ねている部分もあるだろうし。花だって乱暴にあつかったらだめですけれども。

 

さらばじゃ〜

 

 

*1:気づいていると思うけどちゃんとアニメを見返しながら書いているので話の流れに沿ったブログになっています。えっへん