DUEL:11「優雅に冷酷・その花を摘む者」<少女革命ウテナ>
6秒、12?
☞ DUEL:11「優雅に冷酷・その花を摘む者」
放送日:1997年6月11日
脚本:上村一宏 絵コンテ:錦織博、金子伸吾
演出:金子伸吾 作画監督:相澤昌弘
脚本は上村一宏さんという方なのですが、この重要な回にいきなりよくわからん人が放り込まれるというのもよくわからんので、幾原監督の変名ではという見方もあるみたいですね。絵コンテはあのウサギさんリンゴの錦織さん。生徒会シーンに指差しマークです。
そして、今回はこの11話のタイトルにもなっている、「その花を摘む者」とはいったい誰なのかということに焦点をあてて語りたいとおもいます(最初にテーマ決めないとダラダラはなしつづけちゃうから決めました)。
☞ ひとりぼっちの姫君
第11話は、ついに生徒会長・桐生冬芽との決闘が行われる回となります。ただ、タイトルからしても、ウテナがこの決闘に敗れることになるというのは想像に難くないですよね。
さて、この"ひとりぼっちの姫君"とはいったい誰のことを指すのでしょうか。お弁当を食べながら談笑するウテナ・アンシー・若葉をオペラグラスで観察(というのも嫌な言い方ですが)する冬芽の台詞です。
幹には、"楽しそうな天上先輩と姫宮さん"にしか見えませんが、冬芽には、目で見て触れることのできる"ひとりぼっちの姫君"に見えているんだとか。
それって、幻のことですか?
冬芽は、自分のことを王子さまだと思っているんですよね。これは醜い自惚れです。幹は王子さまではないから、女の子は誰もがひとりぼっちの姫君だなんて幻は見えません。どちらかというと、談笑する女の子たちをひとりぼっちの姫君にしてしまうのは、いつだって王子さまなのです。それでは、「その花を摘む者」とは冬芽のことを指すのでしょうか?うーん。
☞ 生徒会(風船)
七実は負けるために闘ったんだ。桐生冬芽の筋書き通りにね。
樹璃せんぱいがこんな鋭いことを言っています。まあ、そのとおりでしょう。そして冬芽のこの言葉も。
人の思いの深さというものは、時として思っている本人の足を引っ張ることがある。その思いが強ければ強いほどね。
この言葉こそが、冬芽の本質を表します。
これまでの決闘、西園寺からはじまって幹・樹璃・七実たちデュエリスト4人は全員、強い思いを持って闘いました。友情、永遠、輝くもの、奇跡の力の否定、兄への崇拝、などなど。
そしてウテナは、それらの"強すぎる思い"を無邪気な残酷さによってみごと打ち壊してきた。この冬芽の言葉に則れば、ウテナは大して強い思いもなかったので勝ち続けているともとれるでしょう。そして今回、自らに酔いしれるこの軽薄な"王子さま"が勝利する理由も、この言葉によって説明がつく。彼は決闘になんの意味も見出さない。ただ、"世界の果て"からの手紙に従っているだけなのです。
そして、ウテナは今回あるアンシーの言葉によって、その"強すぎる思い"を持つに至ります。
しかし自分で言っておいてなんですが、ウテナは本当にその"強すぎる思い"とやらを打ち壊してきたのでしょうか。だってそれは、かつて自分を救ってくれた王子さまを追い求める彼女自身の否定にもなってしまう。だとすれば、「その花を摘む者」とは、ある意味ウテナ自身のことでもあるのでしょう。
そしてさっき指差しマークしておいた生徒会室の演出は、風船でした。特に意味はないというか、メタファーではないと思うのだけどどうだろう。意味を見出すとすれば、この風船はこれまでのデュエリストたちの"思い"ですかね。最後に風船が割れる音(なのかこれは)がする。
☞ ウテナの思い
さきほども述べたように、これまで特に強い思いもなく(あるとすればセンチメンタルな王子さまへの思いってやつ)闘ってきちゃったウテナさまですが、この回ではこれまでのデュエリストたちと同じような"強い思い"が芽生えることになります。
それは言わずもがなですが、アンシーに対する思い。アンシーを"ふつうの女の子にしてあげたい"という思いです。
若葉と友達になれたらいいな.....ともらすアンシーに対し、ウテナはある種の喜びを感じたことでしょう。やっと本音を打ち明けてくれた、やっと"アンシーのために"するべきことがみつかった。決闘を"してもいい"理由がみつかった。
そうだ。僕が姫宮を守らなければ。
この流れ、どこかで見たことある...。
僕なら姫宮をふつうの女の子に戻すこともできるんだ。
他の奴に渡すわけにはいかない。
たとえ、ぼくの王子さまであろうと。
☞ さかさまのお城(決闘広場)
「封印呪縛」。
天上ウテナの葛藤
ウテナが冬芽に敗れる理由について、彼女が強い思いを持ちすぎたからだ、と言いましたが、それもまたひとつの要因に過ぎません。第5話での幹の傲慢さを思い出してください。今回のウテナはまったく同じ道を辿っています。
しかし、それだけならよかった。冬芽だって傲慢で軽薄なただのデュエリストに過ぎません。ウテナが傲慢だというのなら、冬芽とはいい勝負、いや全然、冬芽の方が上でしょう。でも、だからこそ彼女は負けました。ウテナは"王子さま"になりきれなかった。
彼女の中にはいつだって、"王子さまになってお姫さまを守りたい"自分と、"お姫さまになって王子さまに身を委ねたい"自分がいました。この矛盾した思いがいけないということではありません。逆にこれこそが、ウテナのたったひとつの武器ですらあったはず。
しかし今回、彼女はついに"どちらか"選ぶことを迫られてしまいます。ウテナは、やはり"傲慢な王子さま"にはなりきれなかった。また、そんな彼女が"か弱きお姫さま"になれるはずはありませんでした。
薔薇の花嫁とはいかなるものか
冬芽がウテナに決闘を申し込む際、温室にてこんな門答がありましたね。
君の考えをはっきり言ってやれ!
君は薔薇の花嫁として扱われるのが嫌だろう?
冬芽がアンシーを薔薇の花嫁扱い(="か弱きお姫さま"として扱うこと、または人間ではないもののように扱うこと)していることに対し、ウテナは怒りを感じます。そしてこの言葉に対するアンシーの返答が此方。
はい。私は薔薇の花嫁扱いされるのが嫌です。
話を決闘広場に戻しましょう。いろいろすっ飛ばしまして、ウテナは冬芽との決闘に敗れることとなります。しかし、諦めきれないウテナ。
姫宮には、僕が必要なんだ!
「彼女は僕を信じてるんだ」という、滑稽すぎる幻想。冬芽はアンシーに問いかけます。
君は、薔薇の花嫁でいられて幸せだな。
そして"薔薇の花嫁"は答えます。
私は、薔薇の花嫁でいられて幸せです。
冬芽のいうように、薔薇の花嫁は主の望みに答えるだけ。そういう"掟"だから。それはウテナにも、冬芽に対してもそう。彼女のその冷酷さは、"王子さま"の虚無的な願望を、さっそく叶えてくれました。
本当に友だちがいると思ってる奴は、バカですよ。「おみごと冬芽さま!」
冷酷なアンシー・その花を摘む者
アンシーは、冷酷にも敗者にこう告げます。
ごきげよう。天上さん。
これは、決闘なんて無意味だと思っていたウテナの薔薇を散らすには十分すぎるほどの言葉だったでしょう。
くだらない、何の意味もないと見下していた。アンシーはウテナのその愚かさとその無邪気な花を、薔薇の花嫁という冷たい心によっていとも簡単に摘んでしまったのです。姫宮アンシー......なんと恐ろしい......
でも、本当にそうなのかな。
もう37919回目だよ。
いつまで続けなきゃいけないの?これ。
ドクターストップが出るまでだな
つべこべ言わず息子よ、頭の上にこのリンゴを乗せて立つのだ。
はい父ちゃん!
というわけで、「その花を摘む者」姫宮アンシーとはいったい何者なのでしょう。アンシーはこのウテナと出会うまでに、どれほどの決闘を見届けてきて、どれほどの"お別れ"を告げたのでしょう。そもそもいったいアンシーって何歳なんだろう。"子ども"なの?"大人"なの?"か弱きお姫さま"なの?
厳密にいえば、彼女は"子ども"だし、"大人"だし、そして"か弱きお姫さま"ではないとわたしは考えます。じゃあ何かってだから"薔薇の花嫁"だって言ってるじゃん。
薔薇の花嫁というのは、何を指すのか。そんなの簡単。姫宮アンシーのことです。姫宮アンシーはまだたったの14歳であるのと同時に、これまで生きてきた"女性"の何億個もの"一生"を体現する存在です。決闘、エンゲージ。決闘、エンゲージ。決闘、エンゲージ。でもそんなの飽き飽きしちゃうから、きいてみた。いつまで続けなきゃいけないの?
わしに考えさせるんじゃない!
論理的なことは男に押し付けるのがいいってママも言ってた。でも、"論理的な"はずの王子さまですら知らないという真実。なぜこんなことを繰り返すのか。でもいいじゃん。ただ立っているだけでいい。ハイハイ首肯いてりゃいんだからさ。王子さまだってえらそうぶってりゃいいんじゃん。たまにそれらしく"王子さま"も辛いぜとか言ってりゃさ。そうそう、だから"王子さま"と"お姫さま"で番ってりゃいいのよね。み〜んなそうしてきたんだから、それが一番安心で安全で幸せだから。それがこの世界の"掟"だから。それが"ふつう"だから。
そして今日も決闘、エンゲージ。決闘、エンゲージ。決闘、エンゲージ。まだたった14歳、柩の中の少女の花を摘んだのは、そんな予定調和でしたとさ。
とっても楽しかった。
わたしも、あんなお料理作ってみたい。
☞ LA BANDE
私は薔薇の花嫁。
私はこれで普通なんです。
(6秒54ですよ)