永遠の卵

少女革命ウテナのはなしがしたい。

DUEL:20「若葉繁れる」<少女革命ウテナ>

 

そういうあんただって、先輩の縦笛なめてたでしょ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:20「若葉繁れる」

放送日:1997年8月13日

脚本:月村了衛 絵コンテ:橋本カツヨ
演出:桜美かつし 作画監督:たけうちのぶゆき

 

 

羊のマグカップ。カッパのポット。

五百円の彫刻刀。

今回のお話では、"日常風景"というものが多く描かれます。それはほとんど若葉の下校時の風景なのですが。路肩に停まるトラック、カフェ、井戸端会議をする女性たち、出前のオートバイ。などなど。それとタイトルにもなっている五百円玉。お金って今まで出てきたことありましたっけ。

とにかく、この『少女革命ウテナ』というアニメでは、原則として"鳳学園"という閉ざされた世界が描かれ、それは『ウテナ』では日常風景でありながらも、わたしたち観客にとっては完全なるファンタジー、非日常でした。しかし、20話で描かれるのはわたしたちにとっても見慣れた風景たち。その風景たちの中を若葉は歩き、学校から西園寺の待つ自室へと帰ります。これだけでわたしたちは若葉という人間に感情移入し、より深く彼女の物語に共感することができるのかもしれません。

そして、この日常風景たちの意味するところはもうひとつ。これらは、若葉が『ウテナ』という物語において置かれた立場、もしくは若葉という人間の性質そのものを暗示しているようにも思えます。"主人公"であるウテナ、"ヒロイン"であるアンシー。何かと目立つ存在の生徒会メンバー。彼女は、彼らとは違って"特別な人間"ではありません。若葉は、剣をたずさえ決闘に参加するウテナたちとは程遠い存在であり、つまりは平凡。平凡な日常風景になんの違和感もなく馴染んでしまう、その他大勢のうちのひとり。しかも若葉は、それを自覚をもしているのです。

 

葉っぱの髪飾り。

しかし、そんな彼女にも"特別な人間"として輝くことのできるチャンスが巡ってくるのです。葉っぱの髪飾りは、西園寺がくれた若葉への"特別"の証でした。自分には手の届かないはずだった"特別な人間"に愛される、またその人に尽くすことによって、彼女はそれを手にします。そしてその幸福と危うさを知っているからこそ、彼女は息を切らして部屋へ帰るのでした。

にしても、西園寺にはけっこうヒドイことされてるのによくやるわ。。とも思うのですけれど。でもやっぱり若葉の気持ちもわかってしまう。劣等感と虚無感でいっぱいの中、突然"輝き"が差し出されてそれに縋ってしまうきもち。本当はそれがただのヒモダボハゼだったとしてもね。

 

理事長室(プラネタリウム

ただいえることは、 多くの人にとって特別な時間は、そう長くは続かない。

そうでしょうね。でも、そうなのかな。西園寺が若葉の家でヒモやってるっていうのは彼女のいうように誰にも"秘密"なわけです。ってことは、彼女が輝く原因っていうのは、ウテナがそうであるように誰にもわからない。でも彼女が生き生きしてるというのは確かなわけですよね。気持ちの問題、って言葉は嫌いだけど、なにか若葉にも自分の中で誇れるものができれば、こんなダボハゼに頼らなくても輝きが続く時が来るのじゃないかと思います。というか、願います。

僕はただ、若葉がずっと幸せでいてくれれば、それでいいんだ。

 

⇨⇨⇨⇨⇨面会室(篠原若葉)

葉。

ハンガーの制服。

ハンガーにかかる生徒会の制服は、神("世界の果て")より与えられた西園寺の"特別"の証です。突如若葉の部屋にあらわれた御影にそそのかされ、西園寺はその"特別"を再び身にまとう代償として、髪飾りを彼に渡してしまいます。代償、といってもそんな大げさなものでもなくて、彼にとってそれは"あんなもの"で、若葉の部屋は"こんなところ"で。。オマエまじ恩知らずかよ。

とにかく、黒薔薇会は"特別になりたい""輝きたい"という若葉の願いと西園寺への憧れを利用し、薔薇の花嫁殺害を狙います。ただ、この若葉の恋心や劣等感って、そこまで深い"闇"と呼べるほどのものでもないのですよね。どちらかというと"美しいもの"として消費されがちなものともいえる(特に前者に関しては)。だから、その気持ちを"闇"へと変化させるアイテムとして、御影はあの髪飾りを必要としたということです。

 

500円の和牛ステーキ。

なのにあの女は...あの女は!

若葉が西園寺の剣を抜くのは、アンシーへの憎しみのためです。まあ本来それが筋なんですけどね。

アンシーは、何も関係がなかったわけではありません。最初から彼女は西園寺に想われていたし、若葉はそれを妬ましく思っていたでしょう。でも、一緒にお昼ごはんを食べながら楽しく過ごしてた時間(DUEL:11)もまた嘘ではない。アンシーだって、若葉に心を許していました。それなのに、策略のために争わされる"女なるもの"たち。"王子さま"と同じくらい、もしくはそれ以上に、損な役回りです。だって、英雄にすらなれないんだもん。

 

号外!

 あれ、狐の嫁入りだ。

生贄にされるとわかっていながらも嫁入りした狐の流す涙。

お約束、しきたり、掟。男に尽くす女。そういう様式美。そんなものに振り回されて殺されるくらいなら、

行かなきゃいいじゃん。

なんです。 

 

地下の教室(決闘広場)

幻燈蝶蛾十六世紀」。

 

若葉とウテナ

だめだよ。闘えないよ。

今回の決闘では、相手が親友である若葉だったということでウテナはひどく動揺します。普段の流れであれば、薔薇の花嫁を殺しにかかるデュエリストたちを、ウテナ薔薇の花嫁の剣(ディオスの剣)によって打ち負かします。

つまりこの黒薔薇編で行われる決闘というのは、生徒会編よりも返り討ちの要素が強い。そしてその流れに則ってウテナが若葉を散らすなら、この物語は悲劇以上の意味合いを持ちません。絶対に届かないものへの憧れと憎しみは、昇華されずに心の中を彷徨い続けます。これまでとこれからの黒薔薇のデュエリストたちが、みなそうであるように。でも、今回に限り、そうではありません。なぜならウテナは若葉の親友だからです。そして彼女が、心から若葉の幸せを願うからです。

 

火葬。

ウテナは、薔薇の花嫁の剣を抜くことはしませんし、若葉と闘うということもしませんでした。若葉の持つ剣は、西園寺の剣です。彼女はいわば、自分の闇の原因ともいえる男の剣で、なんの罪もないアンシーを殺そうとしています。ウテナは本来であれば、薔薇の花嫁の剣で応戦しなければなりません。でもそれは間違っています。アンシーの敵は若葉じゃないし、若葉の敵もまたアンシーではないからです。

だからウテナは西園寺の剣を若葉の手から奪い取ります。そしてウテナの手によって彼女の心の闇を散らしてあげるのです。そんな闇は捨ててしまった方が楽だから。若葉がこの決闘の中で漏らす恨みごとの対象には、もちろんウテナも含まれています。でもふたりの手はぜったいに離れることはないのだから、その友情はぜったいに嘘じゃないのです。

若葉の涙は、いつも明るくて元気な彼女の"狐の嫁入り"かもしれない。そして、あの髪飾りは火葬され、二度と誰の手にも渡ることはありません。お嫁になんか行かなくてもいいじゃん。"特別"になんかならなくても、隣にはウテナがいてくれるからです。*1

 

LA BANDE

ただいま。

おかえり。

 

 

*1:そういう意味では若葉って実はすごく"特別"で、わたしにとっては羨ましいことこの上ない。