読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

永遠の卵

少女革命ウテナのはなしがしたい。

DUEL:22「根室記念館」<少女革命ウテナ>

 

 ウイーン、ガタン。ピーピー。ガーガー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:22「根室記念館」

放送日:1997年8月27日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ:松本淳
演出:伊達勇登 作画監督:津幡佳明

黒薔薇も最後の一本となってしまったようです。

とつぜん画面に出現する指差しマーク(ポインタ)や砂時計、運ばれる柩などなど不思議な演出が印象的な22話。御影の過去や、根室記念館の謎、"世界の果て"とのかかわりについて触れられる回です。ドキドキ。

 

 

生徒会(踏切)

すまない。よく聞こえなかった。

自分たち以外に薔薇の刻印を持ち決闘を行うものたちの正体を突き止めるため、調べものをする生徒会メンバーたちです。でも電車のが通過する音でなにを喋っているのかよく聞こえなません。あるある。

 

じゃあ、影で動いているのは世界の果てそのものなんでしょうか。

 

 

根室記念館 

⇨電子計算機のような男

号外少女でも示されるとおり、彼は指示通りにおさるを捕まえる電子計算機のような男でした。彼っていうのは、黒薔薇会を主催する御影草時のことでもあり、とおい昔に"永遠"を手にいれるための研究をしていた、根室教授と呼ばれる人物のことでもあります。

根室教授はつまり、"世界の果て"(=暁生)が"永遠"を手にいれるための、ひとつのパーツというか、駒やロボットに過ぎなかったということですね。彼はもともとは"部外者"でしたが、千唾時子というひとには唯一心を開き、病気で余命いくばくもない彼女の弟、馬宮を助けるために永遠を手にいれようとします。

しかし研究員たちの噂を聞くに、彼らの出会いもまた"世界の果て"が用意した道のうちのひとつでした。

 

⇨大人にならない男

この回のラストに明かされるように、根室は時がとまったまま、過去の姿で鳳学園(根室記念館)を彷徨っています。これもすべて暁生と契約し、"柩"の中に入ってしまったからです。柩の中にいること、永遠を手にいれること、年をとらずロボットのように働きつづけること、これらは全然違うことのようで同じことなのですね。

 

⇨永遠を手にいれたい男

古代の生物が死んで、石油や石炭のような地下燃料が残った。そういう犠牲がなければ、今のエネルギー文明はなかった。そういう犠牲は常に要求される。

...馬宮くんのやったことは正しい。僕も永遠を手にしてみたくなった。

ここでいう古代の生物、つまり"犠牲"とは、この火事で焼け死んだ100人の少年たち(研究員)のことです。この少年たちの犠牲があってこそ、永遠を手にすることができる。具体的にいえば、彼らが死んでたくさんの"薔薇の刻印"が遺され、根室教授が年をとらず今もこの学園にいることで、DUEL:14〜DUEL:21までの黒薔薇のデュエリストたちが誕生し、永遠を手にするためにウテナと闘うことができたというわけです。

 

⇨黒薔薇を摘む男

ただ、暁生はべつにそれ(黒薔薇のデュエリストたちがもしかしたら決闘に勝利し、永遠を手にいれること)を目論んでいたわけではありません。むしろそれを狙っていたのは根室教授です。根室教授は、自分たちが作った"犠牲"によって永遠を手にすることができると考えましたが、"世界の果て"にとっては彼もまた"犠牲"に過ぎません。そしてウテナも同じです。すべてのことは、暁生が永遠を手にするための犠牲に過ぎないということです。

第2部でおなじみの水槽の中の黒薔薇を摘むカット。これは、今までは馬宮が摘んでいるように見せていましたが、実は暁生だったのですね。黒薔薇会のふたりが生徒たちを操り、決闘させていたかのように見せかけて、実はさらなる上がいたってことです。これは生徒会編の冬芽と同じ構図。

 

号外!

ロボットは、さみしくない。
とったおさる、いるから、ロボットはずーっと働きつづける。
おさる、いっぱいとれる。

今回は冒頭で、御影がチュチュを捕まえてウテナに返すという場面がありました。そのとおり、御影は永遠におさるを捕まえて、"世界の果て"に献上しつづけるロボットでしかありません。それでも彼はさみしくないと言います。電子計算機のような男だから。

でも、あなたを見てる方は、さみしくなるわ。

 

鳳学園という庭

学園という庭にいる限り、人は大人にならないのさ。

そうなのかもしれません。根室教授が御影として鳳学園に存在し続けるように、ウテナも、アンシーも、生徒会メンバーも、本当はずっと長い間この柩の中にいるのかも。それは"永遠"を手にいれるためのロボットとして。

実を結ぶために花は散るのよ。

これは、永遠を手にいれることを諦めた時子の言葉です。でもべつに、諦めたというわけでもないか。その方がいいって彼女は知ってるんですね。永遠なんて幻だと。でも暁生はそれを頑なに拒み続け、永遠を手にいれようとしつづけています。だからこそこの鳳学園という庭に存在しつづけるのです。

 

 

LA BANDE

暁生は、"永遠"を手にすることで、"世界を革命する力"が手にはいると考えているのでしょうか(もしくはその逆?)。時が経つ、実を結ぶ、大人になるということ。それを拒否しつづけることこそが"永遠"であるということの虚しさに気がつかないのですね。"永遠"という名前の美しさにとらわれて、そこにある本当のところを見ようとしていないのかもしれません。それは根室教授も同じことですが。

"永遠"に"子供"でいることは、輝きを失わないこと。暁生はそう考えていますね。"子供"の直向きさ、無邪気さを見下しながらも、それを一番欲しがっているのはいったい誰なのでしょうか。

 

さあ、わたしにはわかりません。