永遠の卵

少女革命ウテナのはなしがしたい。

DUEL:34「薔薇の刻印」<少女革命ウテナ>

 

ごめんなさい。目、閉じちゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:34「薔薇の刻印」

放送日:1997年11月19日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ:佐藤順一
演出:桜美かつし 作画監督:門上洋子・長谷川眞也

 

本エピソードは、相反するふたつの物語によって構成されます。それは、影絵少女たちが演じる『薔薇物語』と、ウテナの夢の中の王子、ディオスが語る『薔薇の物語』。どちらも"真実"といえばそうなのですが、前者が寓話というか、より一般的なお話に帰納された物語であるとするならば、後者はもっと個人的なお話、つまりウテナとアンシーとディオスの話。

そして、そのふたつの物語によって何が明らかになるかといえば、

  1. 暁生の悲劇
  2. ウテナのみた"永遠"・"王子さま"の正体

です。また、今回新たに生まれる謎が、

  1. アンシーの信じる王子さまの正体

前々から、ウテナだけではなくアンシーにも"王子さま"がいるということはほのめかされていましたが、今回で初めて、それは彼女を救う唯一のものであると明かされました。そしてそれが誰であるのか、何であるのかということは、わかるようで、わかりません。

ゴタゴタ前置きが長いので、しゅるっと本編に入りたいと思います。それでは。レッツラまぜまぜ!(プリキュアみた)

 

『薔薇物語』

不思議だよな。新しい星を発見すると、発見した自分のものになったような気がする。でも星は星だ。誰のものでもない。誰のものでもないんだ...

暁生の語りから始まります。これもいわば『薔薇物語』の演出のひとつとも言えるでしょうか。暁生さんはこういう喩え話、寓話が大好きです。どっかのアニメーション監督みたいだね。という冗談はさておき、真面目に理解しようとすれば、この語りにおける"星"とは、そのまま暁生さんのことです。"王子さま"という概念のことでもある。光り輝く星は美しいけれど、いつも誰かに所有され、美しさを保ち続けなければならない苦しみを持つ。そしてアンシーがこのセンチメンタルな戯言に対し超テキトーに返答すると、

まだ俺を苦しめるのか?

などと意味深なことを言ってのけるあたり、ここで新しい星を発見し、本人の意思にかかわらず星を所有して苦しめる加害者は、アンシーということになります。被害者は、自分。そんな"星"に憧れるウテナ。彼女がなろうとしているのは、果たして本当にそんなものなのでしょうか。

 

 

写真

ウテナの肩に手をかけようとする暁生をそれとなく制止し、ふたりの間に割って入るアンシー。上記の語りと、影絵少女たちの演劇を踏まえれば、彼女が独占したいのは暁生であり、王子さまである兄。でも。

 

いまだ語られざる、それは『薔薇物語』。

人生はすべて芝居みたいなもの。
ただ役者と観客の2種類の人間がいるだけ。

アンシーのニコニコ笑顔が不気味。役者は彼ら。観客はわたしたち。ここでは、暁生たちは観客役の役者です。そして肝心な『薔薇物語』の内容を簡単にご説明すると、これは、「まだ世界中の女の子がお姫さまだった頃のお話」。世界はまだ完全な闇には包まれていませんでした。

なぜなら、薔薇の王子さまがいたから。

薔薇の王子さまは、怪物と戦いお姫さまを守ったり、お姫さまにクリスマスの予定がなければフランス料理の店を予約してくれたりするとってもありがたい存在。そしてその見返りは、お約束のチュー。お姫さまが王子さまに守られることで、世界は光り輝いていました

そんなある日、通りすがりの老婆が王子さまに忠告します。

この世界の光を盗み、大地を闇で覆い尽くそうと企む者がいます。
...魔女です。

"世界の光"とは、永遠のもの。輝くもの。奇跡の力。世界を革命する力。のこと。それらを盗もうとする魔女を倒すため、王子は彼女が暮らす空に浮かぶ城へと向かいます。

しかし、その"魔女"の正体は、老婆に化けた、彼の妹でした。

私だけはあなたのお姫さまにはなれないのよ!
...お姫さまになれない女の子は、魔女になるしかないんだよ!

そして魔女は王子を幽閉し、光(=王子)を封印してしまいました。世界は闇に包まれ、魔女は今もどこかで気高き若者を生贄にするべく、この世界を徘徊しているのです。。

 

この物語のいわんとするところは、説明するのも莫迦莫迦しいのですが、まあありきたりなお話です。クリスマスにひとりでいることが怪物のように恐れられる世界で、英雄だ、光だと讃えられる王子さまは、忙しい。王子さまが讃えられるには、お姫さまであり続ける女の子が必要だ。まだ世界中の女の子がお姫さまだった頃。あの頃はよかった。お互いが満足していた。でも今はそうではありません。女の子なのに、王子さまになろうとする者がいる。お姫さまから脱却しようとする者がいる。なぜなら王子さまは魔女のエゴイズムによって封印され、世界は闇に包まれてしまったから。愚かな魔女によって、みんなが不幸になる......

 

劇中にスポットライト等で示されるように、魔女(妹)=アンシー、王子(兄)=暁生です。そしてくどいほどに繰り返される"魔女"の笑顔。嫉妬に狂ったおそろしい女。暁生を苦しめ続けるアンシー。見えもしない文字が見えてくるよう。ここで『薔薇物語』は完結です。

 

目撃者による証言

ただの小娘じゃないさ。
彼女は幼い頃に、永遠を見せられた女の子だからな。

ウテナのみた"永遠"の正体とは。

 

 

劇団影絵カシラ。

今回初めて実体(?)として登場するA子とB子。そして(たぶん)友達のいないC子。なぜかお風呂に潜るC子。なぜかシャワーをひねるC子。お風呂でシャワーを浴びるA子とB子。よくわかんないので何がどうなってるのか誰か説明おねがい。

 

 

『薔薇の物語』

暁生は、前述の『薔薇物語』を全肯定するのかと思ったら、意外にも公演後に渋い顔(なんだろうか)を見せていましたし、ウテナに対しても「学生らしい芝居」とどこか見下したような感想を漏らしていましたね。学生らしさ、若さを輝くものとして懐かしがりながらも、どこかでそれを嘲笑している。"世界の果て"らしい所作です。現実が『薔薇物語』のように単純ではないことは、暁生にだってわかっている。光は光単体では存在できません。光には闇がともない、そしてその闇は誰のせいでもない、自分そのものであるというのに、彼はその現実を直視したくないためにアンシーを闇"役"にしているのです。その自覚があるからこそ、彼は何を犠牲にしても、世界を革命したがる。何を革命したかったのか、とうの昔に忘れてしまったというのにね。

 

これが暁生の悲劇の正体。自らも加害者であるという現実から目をそらすためにいつまでも被害者気取りで、悲劇のヒーローでいたら、誇りも気高さも忘れてしまった。空っぽになり、ただの利己主義・虚無主義の大人、世界の果てになってしまったのです。彼はその穴を埋めるため、"世界を革命する力"を求めるのにもかかわらず、同時にそれをあざ笑う。だって穴は穴で、もうなんにもないから、彼は永遠に思い出せないままなのだ。

 

 

いまだ語られざる、それは『薔薇の物語』。

ディオスが語る『薔薇の物語』はいたって簡単な話。王子さまシステムの闇。みんなを助けて疲弊した王子さまをかばった妹は、"魔女"に仕立て上げられました。つまり、『薔薇物語』を作ったのは、アンシーを剣で貫く大衆なのですね。こういう悪い女がいるから気をつけなさいよ、という偏見に満ちたデマ。そんなデマが、今もこの世界に蔓延っているのだからおそろしい話です。

そして、アンシーは"愛"のために自らが犠牲になりますが、その"愛"が向く先はもはや存在せず、彼女には永遠の苦しみが残されたのです。偏見によって憎悪の的となった"女なるもの"。それを目撃したのが、ウテナです。幼い頃、棺の中の少女が見たのは、王子さまではありません。素晴らしいもののように語られていた"永遠"(の幸福。王子さまとお姫さまは、いつまでも幸せに暮らしましたとさ、まる。)でもない。永遠は永遠でも、永遠に続く苦痛です。そんな苦痛にさらされたアンシーに同情したウテナは、自らが闇を照らす光になることを決意したのです

しかし、彼女のそういった"光"にも、もちろん闇はありますウテナは、女の子です。女の子は、幼い頃から多くの『薔薇物語』を見て育ちます。愚かな女は、何万本もの剣に体を貫かれることになりますよ。そういう教訓を示す物語を、延々と押し付けられる。王子さまになろうと決意した彼女の見たその光景は、まさに『薔薇物語』そのもの。そして自分は、"愚かな女"にはなるまいと決意する。"愚かな女"と定義される女を見下すようになる。そこで、大衆に混じり彼女に石を投げるか、かわいそうな彼女を別の立場から「救ってやろう」とするか。ウテナは『薔薇の物語』をディオスから聞かされていたのでまだましですが、彼女はこの時点で自分と"愚かな女"を切り離して考えているのです。ある種の逃避行動ともいえます。自分はあんな風にはならない、"男なるもの"になって"女なるもの"を救ってあげよう。悪意なく、そう思うのです。

 

ふたりのベッドルーム。

あなたの寝顔をみてたの。
あなたは、誰?

自分を救うと豪語する少女に、アンシーは何を思ったのでしょう。ディオスは、「その気高さを忘れなければ」アンシーを救えると言いました。しかし、ウテナ「やがては女性になってしまう」とも言います。これではまるで、"女性になってしま"えばアンシーを救えないという意味にもとれます。アンシーは"女なるもの"だから、同じ立場になってしまえばウテナに彼女は救えないということです。女は女を救えない。だってそういうものだから。そんな物語、この世にはないから。それでもアンシーは、ウテナの光を信じたし、愛したのだろうと思う。それと同時に、アンシーは彼女の闇をも見ていました。"女なるもの"の立場にはならないはずの、また、ならないと信じている彼女の闇を、アンシーは憎んだのかもしれません。私の信じた光か、憎んだ闇か。それとも同類か。彼女は一体誰なんだろう。

 

LA BANDE

次回は、あの虚無の悲劇。