永遠の卵

ウテナメモ

DUEL:35「冬のころ芽ばえた愛」<少女革命ウテナ>

 

これはキャラメルじゃないんだってば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☞ DUEL:35「冬のころ芽ばえた愛」

放送日:1997年11月26日

脚本:月村了衛 絵コンテ:松本淳
演出:伊達勇登 作画監督相澤昌弘

 

タイトルうまいこと言ってみました感。あと冬芽の鯉のはなし。海にいるはずのなかった恋の話です。うまいこと言ってるようで言ってない感。

 

 

 

☞ ひなげしの花。

項羽に愛された虞美人。男のために自ら死を選んだ女。

ひなげしの花言葉ってなんですか?というか、数多くある中から、暁生さんが選んだのはどの花言葉なんですか? 第35話の全体をみるに、"恋の予感"。これはこれでしっくりくる?でも、それだと暁生さんの話の文脈に沿ってないような気もする。となるとやっぱ"慰め"の方かな。彼の"恋の予感"と、叶わぬ恋への"慰め"。

それから、今回のエピソードのみではなく、『少女革命ウテナ』全体を象徴するものとして"忘却"なんてのはどうだろう。夢と理想を忘れて"世界の果て"に向かう女の子と、忘れ去られる自己犠牲たち。そんなものものに対する"いたわり"。そして"妄想"。とかね。

 

☞ 強いことは、なにもないということ。

どっか(たぶんDUEL:03)に書いたんですが、冬芽がこの物語において何を意味するってそれはやっぱり軽薄さ。幻。暁生さんが映し出す。

冬芽さまって超うすっぺらいよね。自覚があるんだかないんだかわからないけれど、まあ、あるんだから、"悲劇"がだいすきだし、甘々な虚無に浸るのもだいすきなんでしょう。そのきもちは、めっちゃわかるけどね。幸せって手に入れるの大変じゃないですか。だから偽物の不幸をその代替品にするっていうの?穴だけぽっかり空いてるよりはましですからね。そして自分以外の誰かに空いた穴を、その誰かのために埋めてやりたいと願った時、彼ははじめて"弱さ"を手にいれる。

フェミニストを自称しても本気で人を愛したことなどなく、人は利用するものとしか思っていない。それが貴様の強さだった。だが、その剣で彼女に勝てるのか?

 

☞ 生徒会(記者会見)

西園寺はこのことにはじめから気づいてたのでしょうか。とんだピエロです。でも彼はやっぱ冬芽のこと好きなんでしょうね。だってぬるいもん。事実、冬芽の虚無は、イコール"強さ"です。樹璃や幹のような"想い"がないからこそ、彼は冷酷で、手段を選ばず、厚顔無恥で、ダボハゼで。。。。 そしてだから王子さまにもっとも近い存在なんです。同じ髪型、同じ服装、台詞のほとんどない、"王子さま役"。

俺もあの人のようになりたいんだ。
あの人のような、力が欲しい。

どこまでも薄っぺらいことしか言えないこの男の強さは、けっきょくただのハリボテでしかない。強さは弱さと表裏一体です。光と闇が背中合わせのように。でも彼の強さは、ただの強さです。だから弱い。

あの子は今も棺の中にいる。いや、彼女だけじゃない。
俺たちも棺の中にいるんだ。

冬芽はウテナへの想いを自覚して弱さを手に入れましたが、それは世界を革命する鍵にはなりません。だってウテナは冬芽を必要としないから。彼が気づくべきは、誰かの穴を埋めてやる幸福ではなく、同じ穴を持った友だち。誰かの棺を開けてやる必要はないというものです。それは最大の自己犠牲で、同時に最大の傲慢。

 

☞ 影絵少女

しーっ。
コイですよ。

海に鯉はいないし、この世界に恋なんてない。

 

 

☞ LA BANDE

決闘より恐ろしいものを、あなたはご存知ですか。