DUEL:37「世界を革命する者」<少女革命ウテナ>
でも、これでさよならですか?
- ☞ DUEL:37「世界を革命する者」
- ☞ 世界革命前夜。
- ☞ その指輪をはずす時(➀)
- ☞ 生徒会(空漕ぎ自転車)
- プラネタリウム(車)(➁)
- ☞ ふたりのベッドルーム。(➁)
- 積み上がった死体たち。
- ☞ 大人は冗談に遊ぶ。(➂)
- ☞ 影絵少女
- ☞ 悪女たちの殺し合い。(➃)
- ☞ 決死のスーサイド。(➄)
- ☞ バカなのよ。(➅)
- ☞ LA BANDE
☞ DUEL:37「世界を革命する者」
放送日:1997年12月10日
脚本:榎戸洋司 絵コンテ:風山十五
演出:桜美かつし 作画監督:たけうちのぶゆき
今回から最終話まで、脚本を担当するのは榎戸洋司氏。
本37話では、とにかく示唆的で、含みをもたせたような言葉の応酬がこれでもかというくらい繰り返されます。これまで、そういった所謂"影"の部分、"意味深さ"みたいなものは、専らアンシーや暁生が担当するところだったのですが、今回からはそこにウテナも加わります。というより、彼女をその会話の中心とする場面が多くなる。
前回、うっかり夜の扉を開いてしまったばっかりに、ウテナの心には大きな変化が訪れます。ここに至るまで腹が立つほど真っ直ぐで、"純粋"だった彼女はどこへやら、ウテナは今回のエピソードで、嘘をつくし、言いよどむし、はぐらかすし......。そうして、彼女は初めて自分の犯してきた罪に気がつきます。
"大人になる"のって、もちろん年齢的な話ではなく、知識を増やすことでもなく、恋をすることでも、セックスをすることでもない、そして否応無しに何かを失うこととも違っていて、つまり、罪を自覚するってことなのかもしれません。今まで自分が無意識に、"純粋"に、どんなことを言い、どんなことをしてきたのか。そのことに気がついてしまうということもまた、ひとつの"世界の果て"だと思います。それじゃあ、"世界を革命する"とは、"少女革命"とは、一体なんなのでしょうか。
☞ 世界革命前夜。
今回のDUEL:37って要は、アンシーに対する信頼や友情を見失ったウテナが、どのような心情の変化を経て、"世界を革命する"決意をするのかという話ですよね。たぶん。
重要なのは、"なぜ"ではないというところ。
"なぜ"ウテナが世界を革命する決意をするのか、という明確な理由(また、上述してた彼女自身の"罪"がなんだったのか)については、次回DUEL:38でさらっと(?)言及されています。今回のわけわからない会話たちから、この"なぜ"を探し出そうとするとたちまち混乱してしまうので、自分自身に言い聞かせるため、書きました。
今回はあくまで、ウテナの心の動きを追っています(ほとんどの場合)。ちょっとまとめるとこんな感じの流れ⬇️⬇️
➀怒り、失望、落胆 etc.
➁気づき、迷い
⬇︎
➂ちょっと元気
⬇︎
➃希望
⬇︎
➄?!
⬇︎
➅決意
こうやってみるとウテナめちゃくちゃチョロいかよって感じだけど、まあフツーにチョロいね。さすが"世界を革命する者"に選ばれるだけ、ある。 暁生さんは正しかった。
では。以下からこの心の動きを細かく見てゆきたいと思います。
☞ その指輪をはずす時(➀)
前回、暁生とアンシーの関係について知ってしまったウテナは、ついにその指から薔薇の刻印をはずしてしまいます。
この指輪というのは、ウテナにとっては彼女を導く運命(=アンシーを救うこと)そのものでもあるし、過去の王子さま、つまりは美しい思い出の象徴や、理想としての自己像でもある。
そして、わたしたち観客やアンシー、暁生("世界の果て")にとっても、この指輪は大きな意味を持ちます。ウテナ以外の他者にとって、それは"ウテナの気高さ"の象徴。彼女が指輪をはめているうちは、ウテナは『少女革命ウテナ』の主人公・天上ウテナでありつづける。彼女は、世界を革命する"ための"少女です。
そんな重要アイテム・薔薇の刻印を、ウテナが自らの意思ではずすということは、美しい思い出を捨て、アンシーを救うため王子さまになると誓った自分を捨て、まあまとめると、"気高さ"を捨てる。ということにものすごく近い。では、なぜウテナはそうするに至ったのか。
それは、ウテナがアンシーに対して怒り(≒憎しみ)の感情を持った。というのがひとつ。
この時点で、アンシーは、自分の好きな男(=暁生)とセックスしていて、しかもそれを自分には内緒にしていて、しかもしかも、アンシーのことを守るってウテナは思ってたわけですよね。ウテナは過去のことを忘れてても、ずっとアンシーのために闘ってきたし、友だちだと思っていたわけです。なのに、こんな仕打ちってあるかよ!です。こいつずっと裏切ってやがった!です。
ただ、そこでウテナがアンシーに直接怒りの感情をぶつけないのは、やはりウテナが"大人"になりかけている証のような気がします。もうこんな煩わしい気高さなんて、捨てる準備はできていたっていうか、そこでアンシーに怒っても、虚しいだけだし。アンシーのためにとかいって、守るとかいっちゃって、友だちだなんだって、そういう薄ら寒さにも気がついてしまっている。
と同時に、ウテナはこんなことで、これまでずっと友だちだと思っていたアンシーを憎く思う自分自身に失望しているのでは、という風にも私は感じます。それが彼女が指輪をはずすもうひとつの理由。
要するに、ウテナはこれまでの自分の気高さを自覚したのだと思います。真っ直ぐに怒りを表明し、悪を悪と断罪し、決闘して、勝って、大事な人を"純粋"に大事だといえるということが、そういう自分が、いかに気高いかということに気がついてしまった。そして、"自らの気高さを自覚する"ということは、おそらく、"気高さを失う"ことと同義だとは思いませんか。
ふたりの喧嘩。
とはいえ、やっぱりムカつくものはムカつくし。ウテナは、親友(?)にセックスの場面(しかも兄と)を見られても飄々としているアンシーに腹が立つので、ちょっとした復讐を企てるのです。それが、暁生・アンシー・ウテナの3人での朝食の場面。
もし、時間がとれるなら...
今日の放課後でも時間がとれるなら...
ぼくと、付き合ってもらえませんか。
DUEL:30やDUEL:35では、アンシーを置いて暁生とふたりきりになることに躊躇いをみせていたウテナですが、今回に限ってはそれを"わざと"やるわけです。だからわざわざアンシーのいる席で、暁生を"デート"に誘う。アンシーが暁生のことを、恋愛的な意味で好きなのであれば、また、ウテナに対してアンシーが少しでも好意を持っているのであれば(友情でも、恋愛でも)、このウテナの明確な悪意に対して少しは心が動くだろう、ということです。しかし、アンシーの方が一枚上手です。伊達に長いこと薔薇の花嫁やってません。
ごめんなさい。
これはあなたので、わたしのじゃなかったわね。
この台詞は、表面的にはパンを取り上げたチュチュに対する謝罪ですが、実際はウテナへの挑発とも解釈できます。いや、私はあんたと違って純粋に暁生のことが好きとか別にそーゆーんじゃないんで。どーぞどーぞ、ご自由に。
アンシーは、この段階でウテナが何に傷つき、腹を立てているか、わかっているのですよね。もちろん暁生もそうですが。
話は少し逸れますが、暁生とアンシーの違いについて少し。
暁生は、ウテナには最終的に気高さという指輪を再びはめて、薔薇の門をくぐってほしい(not世界を革命してほしい)わけです。莫迦莫迦しいですが、暁生は彼女の"本当の気高さ"とやらを試しているのですね。『"薔薇の花嫁への憎しみ"をどう乗り越えるか』という試練をウテナに与えているわけです。*1
一方、アンシーはというと、表面上は暁生とまったく同じ立場です。彼女は"世界"により役割を与えられ、"世界の果て"の手助けをしているわけですから。ただ、"本当に"そう思っているかっていうと、ちょっと疑わしい。このあとも、彼女は明らかにウテナへの挑発を続けます。アンシーは、ウテナが本気で怒って世界を革命しなくても(=薔薇の花嫁である自分を救ってくれなくても)、それでいいと思っている。だってこれは全部出来レースで、ウテナが薔薇の門をくぐったが最後、どうなるかなんてことはアンシーが一番よく知っているからです。
前述したとおり、本エピソードでは、ウテナが世界を革命しようと決意するまでの心情を追っています。しかし、アンシーの視点からいえば、如何にしてウテナを思い留まらせることができるか、どうすれば赤い靴を脱がすことができるか(DUEL:30を参照)一生懸命(には見えないけれど)説得を試みる回ともいえるのです。
☞ 生徒会(空漕ぎ自転車)
今頃、彼女のもとにも手紙が届いてるだろう。
俺たちとは、違う手紙が。
冬芽と西園寺のもとには"別れの手紙"。ウテナのもとにはまた"別の手紙"。"世界を革命する者"に決まったウテナに届いた手紙は、学ラン・指輪とともにベッドの上に放置されています。そしてウテナはシャワーを浴び、"お洒落"をして暁生とのデートに向かう。何を捨て、何を求めるのか。とてもわかりやすく描かれている。そして、冬芽のこの台詞です。
だが、彼女は革命には興味がないだろう。
冬芽は、ウテナがアンシーとの友情よりも、暁生という"恋人"を選ぶと踏んでいるわけですね。ウテナは主要人物の中で唯一"世界の果て"の正体を知らないわけですから、どちらに転んでも暁生のもとにたどり着くということに気づいていないのです(ウテナはおそらくこの時点では、世界を革命するため薔薇の門をくぐる=暁生ではなく、"過去の"王子さまに会うことだと思っているからです)。
お前と自転車に乗るのは久しぶりだな。
どうでもEけど良い台詞っぽいから拾ってみました。
王子さまになれず、大人になるしかない少年たちの感傷です。幼い頃に戻ったみたいに自転車をこいでも、実際のところはもう二度と前へはすすまず、 景色も変わることはありません。ただ大事なのは、そのことを知っても気づかないようにすることだけ。そして友情。似ているふたり。(参照:DUEL:09)
ああ。どれくらいぶりだろう。
プラネタリウム(車)(➁)
"デート"の最中、指輪のことを暁生に尋ねられたウテナは、こんな風に答えます。
あの指輪、ぼくには似合わないかなって思って。
この台詞から、ウテナが親友を嫉ましく思うことの醜さをよく自覚していることがわかります。気高さの象徴であるあの指輪は、もう気高くない自分には似合わない。ということです。
その服は、とてもよく似合っているよ。
よかったら、その服に似合う指輪を、ぼくが贈ろうか。
ウテナの、"女の子らしい"赤いセーターを褒める暁生。 この言葉に彼女は反発するのか。それとも受け入れるのか。つまり暁生が提示する選択肢というのは、
(あ)"王子さま"という理想像を追い求めること(=世界を革命する)
もしくは、
(い)暁生の"お姫様"になること(=世界を革命しない)
のふたつというわけです。"男なるもの"になるか、"女なるもの"になるか、という男女二元論的なテーマについてはDUEL:01の頃からお話しているし、冬芽や西園寺も、ウテナがこのどちらかを選ぶであろうことを前提に話をしている。しかしウテナの口から出たのは、
姫宮、もう寝ちゃったかな。
という言葉であって、(あ)・(い)どちらにも属しません。ウテナが考えるのは、自分のことではなく、アンシーのことです。男とセックスをしても、ビッチや悪女と呼ばれようとも、ウテナの本質は変わらないのだ。
暁生は、ウテナがもはや自分に"恋"をしていないということに気がつきます。このデートは、もともとアンシーへのあてつけのためだったのだということを確信する。
そして、もう"憧れの王子さま"ではなくなった暁生の"種明かし"です。
本当のことを言おうか。
実は星なんか、全然興味ないんだ。
この台詞からは、"神"のような存在だった"世界の果て"もまた、"世界"によって操られ、縛られている存在であるということが窺い知れます。が、まあ別に同情はしない。共感はするけれど。
それでもって、ウテナがこのへんから"全部仕組まれていた"ってことに気づき始めたのなら、面白いなあと思います。全部出来レースかもってことに気がついた上で、アンシーを救うか・救わないかで迷っているのだとしたら。
だとしたら、アンシーのウテナに対する言動はこれから更に重要になる。ウテナは、アンシーがリスクを背負ってまで救う価値のある人間なのかっていう判断をつけなきゃいけないから。ただ、ウテナがそこまでアンシーに対してシビアになれるかっていうとそれもNOなので、アンシーはウテナを説得するのにめちゃくちゃ苦労する羽目になりますね。
☞ ふたりのベッドルーム。(➁)
「おかえりなさい、ウテナさま」
「なんだ。起きてたのか。怒ってる?」
「何をですか?」
「そう言うと思った。......ちょっと、意地悪だったかな」
エモい。*2
色々な事情はさておき、"ウテナは、ちょっとアンシーを怒らせてみたい"わけです。アンシーと暁生がふたりきりでいる間、ウテナは何も知らずに"お留守番"をしていました。そういった屈辱、悲しみ、寂しさを、アンシーにも自分と同じように感じてほしかった。否、感じているだろうと思っていたのですよね。これまでは。アンシーは友達もいなくて、ひとりで、ずっと寂しいだろうと。でも、実は逆だったのでは。仲間はずれは自分だったのでは。ウテナは、"そうじゃない"と思いたい。だから尋ねます。「怒ってる?」。
けれど、こんなことで感情を露わにするアンシーではありません。例によって彼女は上手に答えをはぐらかします。面白いのは、ウテナがそのことを想定していた(のか単なる負け惜しみか......)ことを示す「そう言うと思った。」。ウテナがした"意地悪"ってのは二重に意味があって、ひとつはアンシーへのあてつけとして暁生をデートに誘ったこと。もうひとつは、ウテナがいつもはしない"反撃"をアンシーに食らわしたってこと。
早い話がウテナはアンシーとちゃちゃっと喧嘩でもなんでもして(相手が若葉とかなら、すぐそーなる)、"わかりあいたい"のに、アンシーはその挑発にはぜったい乗らない。アンシーからするとそれをやっちゃったらウテナが自分を「本当の友達」だかなんだかいって"世界を革命"しちゃうぞっていうのがあるからです。*3だからアンシーは言います。
ウテナさま。私たち、今の関係がずっと続くといいですよね。
「女の子らしいって......どういうことなのかな」
「女の子は...女の子は結局みんな、薔薇の花嫁みたいなものですから」
従順で、素直で、いつも笑顔でおしとやかで。そういう幻想。そういう女性像に、ウテナは近づいていっている。それはそれで悲しいことですが。アンシーとしては、それでいいと思っているのかもしれません。"魔女"になるリスクを冒してまで、"王子さま"になる必要などないというものです。それなら薔薇の花嫁の方がぜんぜんまし。
「あの城にいけば、王子さまに会えますよ」
「君と出会ってから、ずいぶん色々なことがあったね。......ほんと、色々あった」
手(注目)。
取り戻せるかもしれない気高さ。それが餌。でもウテナ的にはもうそこじゃない。アンシーを捨てるか、信じるか。それが問題。わかりあわないふたり。
積み上がった死体たち。
彼女は、世界を革命する者になりたかったんじゃない。
だが、今の彼女の心はあなたにある。王子さまより、現実の男であるあなたを選んだ。
"別れの手紙"を送っときながら平気で会ってお話をする王子さまモドキズの場面。すっげー茶番。上記は冬芽の台詞ですが、生徒会の場面での言葉をさらに詳しく説明した感じになっています。
たしかにウテナは、"世界を革命する者"になりたかったわけじゃないですよね。それはたぶん今までも、これからもそうだと思う。だってこのひとたちのいう、"世界を革命する力"というのは即ち"権力"です。"世界を革命する力"によって何かを得たいのではなく、そもそもその力を手にいれることが夢であり、"目的"である。そういう観点から言って仕舞えば、そりゃあウテナは"革命に興味がない人間"でしょう。
でも、その力をあくまで"手段"と捉える人間だっているわけです。それが樹璃先輩だし、幹だし、これからのウテナなのです。
選ぶのは、彼女だ。
そしてまだ、選んでいない。
きりっ。
☞ 大人は冗談に遊ぶ。(➂)
結局、私たちは誰も君に勝てなかった。
それもそのはず。全部きまってることだからね。
バドミントンの場面でのテーマは、"冗談"。けっこう真面目なお話をしていたり、しんみりと、でも爽やかな空気感でなぜか"名シーン感"満点なのですが、その実誰もが"核心"には触れません。アンシーを助けるためにがんばれよ!とか、アンシーなんてほっといて自分の道をすすめよ!とか、アドバイスらしいアドバイスはほとんどありません。ウテナだってもちろん、これまでのように本音で話したりなんてしません。ここでの樹璃と幹、そしてウテナは終始、
自分の気持ちは、どうして自由にならないのかな。
です。
「ぼく、最近天上先輩のことがすごく気になるんです」
......「私にも、君の写真をくれないか」
ここなんて、冗談中の冗談、こんなにも冗談という言葉はが似合う冗談がこれまでありましたか?
大人は冗談を言います。辛い気持ちも、迷いも悩みも隠す、というか流すために、冗談を言う。別にそのことになんの意味もないのですが。そうすることしかできないって知っているからです。自分の気持ちは、どうしても自由にならないから。
バカじゃないの?!
まだ騙されてることに気がつかないの?
だって、気がついたところで、どうしようもありません。世界という大きな流れの中では、主人公ですら発言権はない。一介の悪役にすぎない女の子が、この"名シーン"に水を差したことは意義のあることだったでしょうが、それすら乾いたスポンジが水を吸うように、大人たちの冗談によって吸収されるのです。七実さまは、生徒会執行部の制服を脱いで、"鳳学園の女子生徒"を身にまとう。彼女の"無責任さ"と"賢さ"っていうのは、捉えようによっては"革命"だったかもしれませんが、彼女は結局のところ鳳学園に留まることになる。まさにその"無責任さ"と"賢さ"が原因で。
流されるまま生きるのか、拒否して"消える"のか、どちらにしても"負け"なら、どうすればいいのでしょう。
ところで、この場面の最後、実はすべてウテナの幻想で、最初からそこには誰も存在しませんでした。風になっているのがすごくよくないですか? いやぜんぜんそういう意味じゃないのだろうけど。ウテナの見たかった世界。ウテナしか見ることのできない世界。
君が見ている世界。
君が存在している世界。
わずかな視界の中で同じ道を彷徨い続けるだけの出口のない迷宮の世界。
本当に君が見るべきものはそこにはない。
世界の殻を破壊せよ。世界を革命するために。ウテナは今、迷宮から出ようとしています。(参照: DUEL:32)
☞ 影絵少女
ちなみにオーディションで合格するのは一人きりって、ご存知かしら?
"第37919回 世界を革命する者 オーディション"に合格するのはひとりだけ(参照: DUEL:11)。
出来レースでもコネでも枕でも、とにかく決まったものは決まってしまったのです。茶番だろうと時代遅れのハッピーエンドだろうとかまわない。とにかく『少女革命ウテナ』はもうすぐ最終回なのだから。
舐めた?
☞ 悪女たちの殺し合い。(➃)
昔、イタリアのボルジュア家が使っていた、猛毒の名前です。
...いかがですか?そのクッキー、わたしが焼いたんです。
アンシーのわかりにくすぎる怒りの表明と、
偶然だね。その紅茶も毒入りなんだ。
アンシーの醜さを自らのそれで相殺するウテナさま。これでふたりは対等です。だって毒入り"かもしれない"ものを互いに飲み食いすることを、信頼と呼ばずになんと呼ぶ。ふたりは魔女で、薔薇の花嫁で、悪女で、サークルクラッシャーで、ヤリマンクソビッチ、でも、"世界を革命する者"です。
そして世界中の醜さと憎しみと汚さと期待とを一身に背負った悪女たちにも、未来はあります。アニメが最終回を迎えても、10年経っても20年経っても未来はあり続ける。いつまでもこんな学園なんかのために存在し続けるわけにはいかないのです。
ウテナが"将来"の話をするのは、過去の"美しい思い出"という呪いから逃れようとしていることの証ではないでしょうか。根室教授や暁生のように、ウテナはならないし、なれないでしょう。
馬宮の姿が本当とは違っているのに、気がつこうともしない根室教授。彼はもはや時子たちを愛しているのではなく、やり場のない自分の気持ちを赤の他人に投影しているだけです。
そして"花嫁"が目の前で苦しんでいるのにもかかわらず、
だかお前を苦しめているのは俺じゃない......世界だ。
などといって自らの作り上げた悲劇に酔いしれる暁生。どんな悪女だって、どうしてそんな残酷な大人になれるというのだろう。"美しい思い出"は、美しい。それは自分でそう決めているからです。幻想は、永遠です。本当のところをみようとしなれければいい。
荒れた庭や、親鳥の戻らない巣箱。壊れたペンダント。進まない自転車。鳴り止まない電話。それら全部を、みようとしなければいい。なんども同じ音楽を繰り返すレコード。なんども同じ場面を繰り返すアニメーション。
それでも最後は、握り合った手のカットに行きつくのです。どうしても。
だってウテナは自分で夜の扉を開けたんです。見なかったことには、できません。なかったことにもできないのです。
☞ 決死のスーサイド。(➄)
そんなこんなでウテナとアンシーのまったくわかりにくい喧嘩は、ウテナの勝利で幕を閉じました。かと思いきや、アンシーは決死の思いで最後の抵抗に出るのです。しかしそれは図らずも、ウテナの"世界を革命する"ほとんど唯一の理由になってしまうのですが。。。
☞ バカなのよ。(➅)
知らなかったのか?
ぼくはバカなんだよ。
ウテナはふたたび指輪をはめました。
彼女が薔薇の門をくぐろうとするのは、決闘で勝利し続けたからではないし、オーディションに合格したからでも、"世界の果て"からの手紙に従ったからでもありません。 ただただ彼女は、
きっと、10年後にも、一緒に笑ってお茶を飲もう。約束だ。
ええ。きっと。
たぶん、友情のために。です。
☞ LA BANDE
ついに次回は最後の決闘です。
卒論もう提出して半年たつのにまだ卒論書いてる気分でしたが本当に最後の決闘。革命という名の決闘です。
でも、ウテナさまはまだご存知ないんです。この世の本当のことを。
この世界の本当の恐ろしさを!
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