永遠の卵

少女革命ウテナのおはなしだよ。

DUEL:39「いつか一緒に輝いて」<少女革命ウテナ>

 

 

さよなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

☞ DUEL:39「いつか一緒に輝いて」

放送日:1997年12月24日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ:橋本カツヨ
演出:高橋亨 作画監督:長谷川眞也

 

最終話です。

これはハッピーエンドなのかバッドエンドなのか?それこそ永遠の謎であり永遠の友情、はたして友情なんて本当にあるのでしょうか。あったとして、それは悪しきものかよきものか。光と影が表裏一体であるように、ウテナとアンシーが同一人物であるように、この物語はアニメか現実か。わたしたちは『鳳学園』という柩の中から抜け出せるのか。

 

☞ 届かなかった薔薇たち。

ところで、『少女革命ウテナ』という物語は、ほとんど、"届かない者たち"("届かなかった者たち")によって構成されています。なので、

 奇跡を信じて。想いは届くと。

 というメッセージは、樹璃や、彼女の恋愛に纏わる人物に限らず、この物語のすべての人々へ向けられた言葉です。この言葉は、裏を返せば(返さなくても?)、"奇跡"という突飛なことでも起きない限り想いなんて届かない、という意味にも受け取れますし。

じっさい、ウテナに敗れ、"奇跡の力"を手にすることができなかった樹璃をはじめとし、幹・梢・西園寺・七実根室教授・冬芽・若葉・茎子etc.ほとんどのデュエリストたちに"奇跡"などという突飛なことは起きなかった。

つまるとこ、"届けたかった。でも届かなかった"人たちを伏線として、いまだ"届かない"ことを知らないウテナの想いは、"届ける"をとうの昔に諦めたアンシーに届くのかっていうのが最終回の焦点になるし、そこに重きを置いて感想も書きたいなって思う(何度も言うけどこういうの自分で書いとかないとどんどん話が脱線して最終的に宇宙の話とかになっちゃうので。。)

 

 

☞ 告白のこたえについて。

前回ウテナはアンシーを救うため、

ぼくが王子さまになるってことだろ!

と幻想のシンデレラ城を崩壊させるほどの壮大な愛の告白をする。DUEL:11DUEL:12での、ウテナの想いがアンシーに届かない、というお話から、DUEL:37のわかりにくすぎる大喧嘩を経て、アンシー自殺未遂事件でふたりはお互いの罪をも曝け出しました。さすがにここまできてふたりの仲が割れるなんてことはない、あとは暁生という悪者を二人手をとりあって倒すのみ!と思いきや、やっぱりこれは"届かない"物語なので、そう一筋縄(三筋縄?)にはいきません。アンシーは暁生に王子さまの剣を差し出すため、ウテナ殺害を試みたのです。なぜ。 

でも、あなたはわたしの王子さまにはなれない。
女の子だから。

 ということです。幻想のお城で王子さまとなれるのは"男の子"だけで、"女の子"がどんなにその真似事をしたところで、王子さまにはなれっこない。だからわたしは永遠に薔薇の花嫁であり、魔女のままである。アンシーの諦念に満ち満ちた台詞です。

これもまた、薔薇の花嫁としての彼女の役割。ウテナを裏切ることで手柄は暁生へ、アンシーを憎んだウテナは"お姫さま"として"王子さま"に慰みを受ける。そうすればプラネタリウムが生み出した幻想たちは、安全に保たれたままなのです。

がっくりなウテナさま。それでも彼女はアンシーを救うことを諦めないのですが、ここで物語はいったん、"王子さまとはいかなるものか"というお話へ移ります。

 

☞ 生徒会(BBQ)

最終話の生徒会は、みんなでBBQ(あみあみ低くない?簡易のやつだから?)。薔薇の刻印を外そうとする西園寺を制する冬芽ですが、七実

わたくしはもう外しちゃったわ。
こんなこと、はやく忘れた方がいいのよ。

。それもまた真理。

こんなことは、忘れちゃった方がいい。わたしたちは安心・安全な柩の中にいる。もしどこかの誰かが、その柩に適応できない誰かが困っていても、悲しんでいても、苦しんでいても、それでも、"わたしたちは"安全だ。あえてそのバランスを崩そうとする人間がいたことなど、そんな人間の存在すら、はやく忘れてしまった方がよい。たとえそれが、ほんとうの革命者であったとしてもです。

「そういえば、あの少年の名前、忘れてしまったな。

昔、私の姉さんがまだ幼い頃、川で溺れそうになったことがあってね。その時、姉さんを助けようとして川に飛び込んだ少年がいたんだ。」

「それで?」

「姉さんは運良く、近くにいた大人に助けられたんだけど、姉さんを助けようと川に飛び込んだ少年の方は流されてしまったんだ。」

「その子、死んじゃったの?」

「その少年の名前を、姉さんはすぐに忘れてしまって、冷たい人だなと思ったんだけど、今思い返そうとしてみたら、私もいつの間にか忘れてしまっている。」

 

ねえ。
どうして今、そんな話を?

 

するのかというと、樹璃先輩の思い出話に登場するこの"少年"こそが、ウテナが憧れてやまないあの、『鳳学園』における"王子さま"の役割の真実を示すからです。

たかが他人を救い、自らが命を落としたところでいったい何になる。結局のところ世界はもちろん、救ってやった当の本人にだって忘れ去られるのがオチだ。王子さまは文字通り死にました。墓場にいて、文字通り"幻想"でしかありません。

それが暁生の知ってしまった"世界の果て"なのでしょう。彼はそんな世界に絶望をして、この世界では正義を貫く者よりも、権力のある人間だけが生き抜くことができるのだと、いつの日か考えるようになりました。そしてそんな人間だけが、"世界を革命する力"を手に入れることができる。つまり"世界を革命する力"というのは、意志や理想、誰かへの想いなどではなく、"権力"であると。まるで現実世界の"大人"です。やーね。

 

さて、ウテナさまはそんな損な役回りを引き受けるでしょうか。アンシーに裏切られるのはいったいこれで何度め??ついには命を奪われてまで、人々にその名前を忘れられてもなお、王子さまになりたいと思うのか、アンシーを救いたいなどと宣うのか。

 

 

☞ 誰からも忘れ去られたひと。

そして、物語はふたたび幻想のお城へと戻ります。

アンシーは、ウテナから奪った剣を暁生に差し出すことを躊躇っている様子。そんな彼女に暁生は、

そう、すべては俺のせいだ。
こんな俺のことは嫌いになったか。
俺がかつてのように王子さまをめざしていたら、誰も苦しまなかったのかな。
お前の傷も、苦しみも、いつもこの身に感じている。

......

俺は、お前のすべてを知った上で、愛している。

と、愛情を人質に脅しをかけます。ひとことでいってこのひとサイテーですけど大丈夫かな。そしてアンシーは、王子さま(都合のいい時ばかり王子さまになる暁生)の身代わりとして、何万本もの剣をその身に受けようとするのです。

暁生は悲劇のヒーローぶっているけれど、"誰からも忘れ去られてしまった"などと嘆いているけれど、本当に忘れ去られているのはどう見てもどう考えても、アンシーです。ほんとうに深く絶望していいのはアンシーのはずで、でも彼女にはどうやらそんな自由さえ与えられていないのです。

暗い柩の中でひとりぼっち、誰とも出会うことなく体を丸めて、重たい柩の扉を開けてくれる人なんていない。ただ"愛する彼"の身代わりとなって、人々からの憎しみを受ける。そこに喜びを感じてさえいる。だって、わたしにはそれしかない。そう思い込めば、自分を"心のない人形"にしてしまえば、これ以上傷つかなくって済む。だからその柩(という名の思い込み)が強固になればなるほど、すればするほど、彼女は安心します。扉を開けようとしてくる人は、アンシーのたったひとつの喜びさえ奪おうとする人で、愛する人とその事実を否定する人です。だからアンシーは、扉を開こうとするウテナへの裏切りを繰り返す。

 

 

☞ ディオスとウテナ

呪いの王子さま。

君には無理だ。
君は女の子じゃないか。
それに力もない。力があればなんでも出来る。彼女を運命から解放することもできる。

ディオスがウテナにかけるこの言葉は、これまでウテナが自分で自分にでかけ続けてきた"呪い"です。ウテナは、自分にずっと"王子さまであれ"と呪いをかけてきた。"女の子には無理だ""王子さまにならなくちゃ"と。それは、これまでずっと、彼女にとってある意味での"自己否定"として機能していた。

 

お姫さまの呪い。

今まで頑張ったんだから、そう自分を責めなくていいよ。
薔薇の刻印、今まで大事にしてくれてたんだね。
ご褒美にキスしてあげよう。
これは、慰みだよ。

先の言葉が、"王子さま"としての呪いであり、"自己否定"であるなら、こちらは"お姫さまの呪い"です。これはいやに、"自己肯定"じみていますが、決してそうでありません。

これまで頑張ってきたウテナは、王子さまに愛されてお姫さまとなる。"永遠の幸福"を手に入れる。手に入れる?"受け取る"ということの言い間違いではないのか。しかもオマケに"永遠の苦しみ"もついてくる。けどそんなことは、とっくの昔からわかっていた。"女の子として"の人間なら、誰もが知っていることだ。

それでも彼女が呪いに負けて"お姫さま"になってしまうことが、悪いことであるとはいえない。ディオスの言葉どおり。自分を責める必要はないし、誰も彼女を責めないでしょう。

でも、そんなことはもう関係ありません。薔薇の刻印も、王子さまも、キスもプロポーズも幻の城も、もっと言ってしまえば世界を革命する力なんてちっとも関係のないところで、ウテナはアンシーとのことを"ナシ"にはできないのでした。だからこそ、彼女は幻想も呪いもその拳で打ち消すのです。それこそが暁生の嘲笑する"直向きさ"であり、同時に彼もがもっとも欲する"世界を革命する力"であるといえます。

 

☞ 彼が望む世界。

さて、当然ながら暁生は薔薇の門を開く(="世界を革命する力"を手にする)ことができません。だって悪役だもん。

暁生は、すでに権力者です。子供ばかりの墓場において"理事長"(代理)という立場にのし上がり、それでも更なる"力"を求める。

だけど力をどう使うかは、俺が決めることさ。

という台詞からもわかるように、ウテナの剣は暁生のものになってしまいます。主人公とはいえ一学生であるウテナの力は、彼には遠く及ばない。権力を持つ暁生は、いとも簡単にそれを奪うことができた。なぜならそれはただの"形"に過ぎないからです。もっと言ってしまえば幻でしょう。ウテナの"力"にわかりやすい形を与えたものが、"王子さまの剣"なのです。心を欲しがったブリキに与えられたのはただの布切れで、でもほんとうの"心"は彼の中にあって、誰にも奪うことなどできない。あらやだおじーさん、その剣はあなたが見せた幻だったでしょ。自らが作り出した幻影に翻弄されるだけの愚かな大人です。

要は、ただの布切れになんの意味もないように、ただの剣に"世界を革命する力"はありません。暁生が世界を革命できないのはなぜか。当然のことです。彼は自分がほしいものを永遠に思い出すことはできない。"男"だから。いつも支配する側にいて、その自覚もなく悲劇の王子を気取ることしかできないのなら、大人しく柩の中におさまっていたまえよ。それがきみの望んだ世界なのだからね。

 

(暁生に関しては、あわせてこちらも読んでみて)

 

 

☞ 奇跡を信じて。

剣を奪われたウテナは、素手で薔薇の門を開こうとします。そりゃあもう"直向き"に。

だが、直向きさだけでは何も変わらない。
力がなければ所詮だれかに依存した生き方しかできないのさ。 

 でも呪いは、そう簡単に消えてはくれません。"諦め""絶望""虚無"という甘い誘惑を、すべてを搾取しようとする大人の舌を、ウテナは懸命に打ち払います。

 

姫宮、君は知らないんだ......
君と一緒にいることで、ぼくがどれだけ幸せだったか......

 

 

想いは届くと。 

すると、なんとまあ、"奇跡"は起きます。

憎悪の剣はその矛先を変え、幻想の王子はふらりと姿を消し、墓場へと戻っていく。権力を模した華やかな扉は、禍々しいひとつの柩へと姿を変えるのです。

これは、"トロフィーとしての女"(薔薇の花嫁)が、ひとりの人間として尊重されて、"姫宮アンシー"に戻ったためでしょうか。ひとりの人間などというものは、本来誰もが禍々しい柩。慈悲深い聖母も、心やさしきプリンセスも、意地悪な継母も、毒林檎のお妃も、ビッチもサークラオタサーの姫も、実在しないただの幻想だ。そこにいるのはいつも、ただひとりの罪深き人間にすぎません。

そしてその柩をこじ開ければ、それは即ち"アンシーを運命から解放する"=ウテナにアンシーの想いが届く。ということになる。

王子の身代わりに剣を受けていた薔薇の花嫁が解放されたのだから、当然剣を受けるべきは暁生です。そういうルールになっている。でも彼は誰も責めることはできないはず。そのルールを定めたのが誰にせよ(彼がいうところの"世界"であったとしても)、その彼は今まで永遠にその恩恵に与っていたからです。

 

君を助けにきたんだ。
君に会うために、ぼくはここまで来たんだ。
だから、君とぼくの出会うこの世界を恐れないで。

 

ウテナは、柩の中のアンシーをその闇から助け出そうと手を伸ばします。しかしアンシーはそれを拒否する。アンシーがウテナに救われてしまったら、ウテナは王子さまになってしまうからです。薔薇の花嫁不在の今、ウテナは剣を受けなくてはならなくなる。樹璃先輩の話のとおり、消えて、誰からも忘れ去られてしまう。

それでもふたりは相思相愛、奇跡は起きて、想いは届く。ウテナは憧れの王子さまになる。柩は壊れてアンシーは"世界"に放り出される、そして王子さまになったウテナはその罰として"剣"を受ける。と思ったのだけど、

 

やっぱり、ぼくは王子さまになれないんだ。
ごめん、姫宮。
王子さまごっこになっちゃって、 ごめんね......

 

夢やぶれたり。自己申告によると、彼女はアンシーを救えなかった。つまりウテナはアンシーの王子さまにはなれなかった。世の中、うまくいかないことは多い。奇跡なんてやっぱりめったに起きないし、友達なんていると思ってるほうがバカ。理由とかないです。なぜだか、"そういうことになってる"。

ウテナは、暁生にとってこの素晴らしき世界を崩壊させようとした魔女にすぎない。暁生は死なない。権力者だから。彼に都合のいい幻想たちが、彼を殺すはずもありません。だからウテナが受ける剣は、"魔女"への憎悪として彼女に降り注ぐ。

 

☞ 信じた奇跡の果て。

あれからまだいくらも過ぎていないのに、みんな彼女のことはすっかり忘れているようだね。
やはり彼女には革命は起こせなかった。 

そうして、物語は終わりを迎えようとします。ひとりの少女の挫折だけを結論として。

ウテナの意志は世界を革命することはせず、ただ彼女は忘れ去られました。しかしアンシーに言わせれば、

 あの人は消えてなんかいない。

 んです。"永遠"という幻想の"形"ばかり追い求めて来た暁生やわたしたちに、その姿が見えなくなっただけ。ウテナが引き起こしたアンシーの"革命"は、剣とか、城とか、もはや"愛情""友情"に置き換えられることさえなく、ただの彼女の"革命"として永遠に存在し続けます。彼女はそのことを知っている。

今度はあたしが行くから。
どこにいても必ず見つけるから。待っててね。ウテナ。 

鳳学園というアニメーションの中から放り出されたウテナは今どこにいるのか。それは新しい柩の中かもしれません。ウテナだって、もともとは悍ましい柩の中の住人だった。夢やぶれて、理想を裏切られ、柩の中に舞い戻ったとしても不思議ではありません。だから、

君とぼくの出会うこの世界を恐れないで。

 それを告げるため、アンシーはウテナを探しに旅立つのです。

 

 

 

☞ いつか、一緒に。

さて、ここまでのお話を踏まえれば、『ウテナの想いはアンシーに届いた』といって差し支えないでしょう。奇跡は起きた。でも、それはなんでなのかってことを、ほんの少し書いておきたい。

黒幕

 ウテナによって心を解放されたアンシーがかつての王子・暁生に吐いた捨て台詞はどれも名言ばかりですが、その中にこんなものがある。

あなたはこの居心地のいい柩の中で、いつまでも王子さまごっこしていてください。

 とどのつまり暁生って、"苦しみ"を知らないまま大人になったのかもしれません。誰かに何かを伝えようと、必死で扉を叩き続けたことがない。

なぜ、ひとはたった一本の薔薇を大切にするのか。ということです。その薔薇は、量産されたうちのひとつでしかないのに。地図にものらない、瑣末なものなのに。でも答えは簡単で、そのひとにとってその薔薇が"特別"だからです。自分が世話をして、会話して、育てた薔薇だからです。暁生は、そういう"特別"を知らないし、作ろうともしない。いわゆる"美しい思い出"というものを、すべて墓場にしまいこんでしまう。なぜならその方が楽だから。

古井戸を汲み上げようとするとき、井戸は軋むのです。誰かの心をすくいあげようとするとき、誰かと友達になろうとするとき、心は軋むのだ。面倒だし、傷つくし、人と関わることになんの意味がある。辛いだけだ。"目に見えないもの"なんて、"友情"なんて、あるわけない。ないってことにしとこうよ。ただの薔薇なんてそこらにたくさんあるんだから。

そこが"居心地のいい柩"。そういう虚無主義というか、楽チンな方向に逃げる性質って、誰もが持ってるはずで、いろんなことを知れば知るほど、やればやるほどその性質は本質にかわってゆく。その性質こそが暁生です。中身は空っぽなのに、なんとなくかっこうついてしまう。だから彼は登場人物や観客全員にとっていちばんの理解者で、同時に黒幕でもあるのでしょう。

真実(=現実)

さっき言ったことと反するようですが、厳密にいってしまえばウテナとアンシーの間に起こったことは、ほんとうは奇跡とは呼べない。彼女たちの間にはおそらく、"毎日"しかなかった。でもその毎日の繰り返しの中で、ふたりは"かかわり"をもち、"友情"を生み、このラストは、その結果でしかない。お互いにとってお互いは、たったひとつの特別な薔薇で、でもそれは、はじめからそうだったわけでも、"奇跡"とやらのおかげでそうなったわけでもない。ただ、彼女たちの毎日が、世話して、会話して、育てた毎日がそうさせたというだけのことです。

ねえ。困ったことがあったらなんでもぼくに相談してよ。
ぼくは、きみと友達になりたいんだ。

 

世界に革命は起きなかったし、ウテナは姿を消してしまいました。でも、すずの兵隊の心臓は、布切れではない心は、たったひとつの薔薇になって彼女の心を革命するのです。

 

ま、どうでもいいけどね。