永遠の卵

ウテナメモ

DUEL:38「世界の果て」<少女革命ウテナ>

 

まさかほんとうにここまでくるとはね。

 

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:38「世界の果て」

放送日:1997年12月17日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ・演出:金子伸吾
作画監督林明美

 

いざ!革命という名の決闘〜〜でありながら、すべての種明かしの回。

(メモ:暁生がベラベラ喋りまくっていてウザイ)

 

☞ 懺悔

はじめに触れておきたかったのは、もちろんアンシー自殺未遂事件のその後について。ふたりは柵の向こう側(?)というめっちゃ危険な場所で、ついにお互いの罪について告白をします。たぶん、ふたりともここで初めて本音をぶつけあう。ていったら凄まじく月並みな言い方ですが、でもまさにそんな感じなんです。ぶん投げ合うというよりは、曝け出すって感じだけれども。

ただ、物理的自殺については未遂で済んだけれど、これってお互い精神的にはめちゃくちゃ自殺してるよね。だって本来、告白とか懺悔って受け止める人がいないとダメなのに、私も私も!ってお互いの罪に重なり合っていったら、それはもうどんどん傷つくしかなくない? 

ふたりが柵(門)の向こう側にいるのって、ひとつはお互いの心の柵の向こう側(同じ場所)にいる=わかりあってる、って意味も見いだせるけれど、ふたりとももう戻れない場所にいるのだって意味にもとれます。それはよくも悪くも。傷つけすぎたし、傷つきすぎたし、もう戻れないのだから、じゃあす進むしかない。みたいな。だから、ウテナは再び薔薇の刻印をその指にはめました。というわけなのです。

 

ちなみに、アンシーの告白。

わたしは薔薇の花嫁だから、心のない人形だから、体はどんなに苛まれても心なんて痛くならないと思っていたのに。

わたしの苦しみは、薔薇の花嫁としての当然の罰です。でも、ウテナさままで苦しめて... 

あなたはただ巻き込まれただけなのに。
わたしはそれを知っていたのに。
あなたの無邪気さを利用してた。
あなたの優しさに、わたしはつけこんでいた。

わたしは卑怯なんです。ずるい女なんです。ずっとあなたを裏切っていました。

心のない人形は自分のことを心のない人形だとは思いませんから、自分を心のない人形だと思いこもうとした時点でそれは、アンシーの心を傷つけるすべてのものに対する防御反応に他ならなかったはず。

自分が傷つかないために自分の苦しみは割り切って、ウテナの苦しみも知っていたけど(しかも自分のせい!)、知らないふりをしていました。しかしそれそのものが自分の苦しみとして跳ね返ってきてはじめて、アンシーは自分の苦しみを苦しみとして認識する。。。なんだコレは。。辛い。。。

 

一方ウテナの懺悔。

ぼくは君の痛みに気づかなかった。
君の苦しみに気づかなかった。
それなのに、ぼくはずっと君を守る王子さま気取りでいたんだ。
ほんとは、君を守ってやっているつもりで、いい気になっていたんだ。

そして、君と暁生さんとのことを知った時には...、ぼくは、君に裏切られたとさえ思った。

君が、こんなに苦しんでいたのに。
なんでも助け合おうってぼくは言ったくせに。
卑怯なのはぼくだ。ずるいのはぼくだ。
裏切ってたのは、僕のほうだ。

"知らんぷりをしてた"、つまり鈍感を装うことで防御・攻撃を繰り返していたアンシーに対して、ウテナはマジでなんにも知りませんでしたというマジの鈍感。無邪気ゆえにさらにアンシーを苦しめていることに気づけず、そのくせ自分の痛みには敏感で。。っていう、べつにウテナを責めてるのではなく、アンシーに比べるとかなり共感しやすい罪だとおもう。ていうか誰しもこんな感じぢゃん実際。

ただアンシーがその"無邪気さ"につけこんで利用してたっていうのもまた事実なので、それを認め合ってしまえばなんというか破れ鍋に綴じ蓋?意外とイケるんでない?十年後のお茶会。。という気分にならないわけではないけど、でもやっぱ綴じちゃダメなわけで、っていうかもう戻れないから、ふたりはこのギタギタ苦しみの世界を革命するしかない。

じゃあそんなふたりを苦しめている世界ってのは何者かっていう本題です。次。

 

☞ 理事長室(プラネタリウム

です。じつは、ウテナが決死の思いで向かった決闘広場は、じつはいつもの理事長室でしかありません。どういうことか。

映し出す幻

素晴らしいプラネタリウムだろう。
永遠のものや、奇跡の力が存在していてほしいという青臭い願望を持つ者に、この装置はおとぎ話の幻を見せてくれるんだ。

だが、この部屋よりも高いところなんてないんだ。
この部屋こそが鳳学園、そして世界の頂点さ。

シンプルに言ってしまえば、決闘広場やお城や永遠、もっと言うとこの鳳学園そのものは、理事長室にあるプラネタリウムが映し出していた幻だったというわけです。

要するにウテナや生徒会メンバーたちは、その幻想に魅せられ、その幻想を掴むために、幻想の決闘広場で、幻想の闘いを繰り広げていました。なぜそんなわけのわからんことになっているのか。

 

 

空に浮かぶ城

少女革命ウテナ』の登場人物たちは、現実に生きるわたしたちのほとんどがそうであるように、みんな何かを求めて生きているように思います。それは友情、恋の成就、家族への愛情、自分のなりたい理想像、エトセトラ。脳みそがほしい、勇気がほしい、心がほしい。大雑把にまとめちゃうとつまり、みんな幸福がほしい。でもなんか幸福ってよくわかんない。だって目に見えないし触れないしゴールもないし。

そんな幸福にわかりやすい形を与えてくれるのが、このプラネタリウムというわけ。そしてその"形"は、"空に浮かぶ城"となって彼女たちの前にあらわれる。端的に言ってしまえば、"空に浮かぶ城"が意味するのは男女の結婚。暁生が"おとぎ話の幻"というように、城は、たとえばシンデレラ城。王子さまとお姫さまは"永遠"に幸せに暮らしましたとさ。おしまい。そしてそれは"男と女"という限定された組み合わせにしか許されず、ウテナや樹璃先輩は、いわばそこから外れた人間たちです。とりわけ樹璃先輩には色濃くその特徴がでている。そしてだからこそ、より強く"幸福"に焦がれてしまう。

結婚すれば幸せになれます。よりよい男を捕まえる・よりよい女を花嫁とする、その手段として提示されるのが"決闘"。彼女たちは決闘を繰り返します。魔女を倒して、なんとか魔法使いに会いに行こうとする。魔法使いは、脳みそを、勇気を、心をつくってくれる。あの城にいけば、永遠の幸福が手に入る。

世界の果て

でも、魔法使いはただの詐欺師のおっさんでしかないのと同じように、暁生もただのおっさん。プラネタリウムが見せる幻は、なんだかんだでやっぱり幻。

しかも彼女たちが信じた"永遠の幸福"の裏側にはいつも、"永遠の苦しみ"が潜んでいる。そのことを直視せずにいられるのは、この鳳学園という柩の中にいる者たちの特権です。でもウテナや生徒会メンバーたちは知ってしまいました。幸福の裏側を知ってしまったら、幻が幻であるということに気がついてしまったら、そこが世界の果てなのです。そしてそれが、大人になるということなのかもしれない。

 

脳みそに見立てた針山と、勇気の出る薬、布で作られた心。それで喜んでいられるうちはいい。与えられた形と自分の幸福が一致するなら、それ以上の幸せはないからです。憧れの王子さまと、ドレスと、プロポーズ。ウテナはそれとは違う、それよりもっと大切な幸福を、決闘の中で知ってしまった。でもその幸福に与えられる"形"はまだありません。

 

お城の中でふたりが幸せに暮らして、
そして、姫宮はどうなるの?

 

 

ウテナの選択肢

このブログでは、最初の頃からずーっと"男なるもの"か、"女なるもの"か、ウテナはその中間にいて、でもずっとどちらかを選ばせられ続けてる、みたいなことを言ってるじゃないですか。で、どっち選んだとか忘れたとかあーだこーだわたしも言ってたんですが、そろそろ、まじでどっちか選んでもらわなくちゃなりません。だって次、最終回!

アンシーと暁生

ていうのは冗談ですけど、この"決闘広場"で常にウテナはふたつのサンプルと対峙していて、それがアンシーと暁生です。友情をとるか?恋愛をとるか?みたいな意味でのアンシー(友情)と暁生(恋愛)ではなくって。だってそれはもうどっちかっていうと完全にアンシーの方に傾いているし。

話を戻して、まあそのまんま、"大人の男"として生きる道を暁生が示していて、"大人の女"、"魔女"としてのそれはアンシーが体現します。でもそんなんどっちを選ぶってどっちも悲劇ぢゃん。ちなみに暁生を選ぶのなら、ウテナは"遊び"じゃなく、暁生を殺さなければならない。それが権力を手に入れるということ。。まじ世界の果てな。。。

 

大人と子供

どっちも選ばない手立てとして、ウテナは、(たぶん)子供を選ぶこともできる。その成れの果てがおそらく遠い昔にいたあの幽霊、根室教授です。ウテナはふたたび柩の中にこもって、"世界"から隔離された場所で"永遠の幸福"を、いつか"王子さま"か"お姫さま"になれるんだと信じて生きていくことができる。エジソンはえらいひと。そんなの常識。

 

お姫さまと王子さま

それでもなお、ウテナはアンシーを解放するといいます。つまり、

ぼくが王子さまになるってことだろ!

です。世界の果ては、世界の果てですから、もう王子も姫もないのだというのに。アンシーが魔女なら、暁生は王子さまではありません。世界の果ては、すべての墓場。

ウテナの宣言と同時に、王子さまの墓場は壊れ、プラネタリウムは暴れて、"空に浮かぶ城"、つまり画一的な"幸福の形"は崩壊をはじめます。

女の子が王子さまになって、魔女を救う。「ぼくが王子さまになる」という言葉は、"世界の果て"における"世界"を揺るがし、破壊するほどの凄まじい威力をもっているのだ。そしてそれはもちろん、革命のはじまりといえるでしょう。

 

☞ LA BANDE

薔薇の花嫁、最後の役割

それでも、ウテナは女の子です。だから、彼女は世界を革命できない。女の子が剣を振り回すものじゃない。そういうことにしておかねばなりません。だってそうじゃないと、世界は崩壊しちゃうからです。

ウテナの胸から剣が抜かれると、たちまち彼女の衣装はドレスへと変化する。剣が男性性の象徴だとするのなら、おもしろい。ウテナがアンシーによって剣で貫かれるのはなぜか。王子さまへの憧れによって作り上げた、理想の自己像に殺される現実のウテナさまです。

だって偽王子さまじゃ本当のお姫さまになれないわ。

その時、奇跡の力で本当の王子さまに。。!

「どうせアニメでしょ?それって」

馬あね。