永遠の卵

ウテナメモ

DUEL:04「光さす庭・プレリュード」<少女革命ウテナ>

 

なら、調律が必要なのは僕のほうかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

DUEL:04「光さす庭・プレリュード」

放送日:1997年4月23日
脚本:榎戸洋司 絵コンテ・演出:高橋亨
作画監督:加藤裕美

 

これは幹回なのか七実さま回なのか。。?プレリュードは前奏曲という意味。この回はこれまでとは少しだけ違った構成になっていて、幹とウテナが決闘広場で向かい合うところからはじまります。

あと双眼鏡で観戦してるのが冬芽ではなく、樹璃せんぱい。樹璃せんぱい、冬芽とか西園寺には冷たいのだけど、後輩に対しては基本やさしいよね。すき。てかけっこう遠いけど、見えてる?いや見えてても聞こえてる?その距離で...

ちなみに今回の絵、とてもかわいいです。特に七実さまが。

 

 

 

☞ 薫幹と天上ウテナ。大人と子供。

ちょっと大事なことをペラペララしてるのでメモです。

  • 幹には、この曲しかピアノを弾く理由はない。
  • 幹がピアノを続けるのは、"ある人"に「光さす庭」を聴いてもらいたいから。
  • 光さす庭」は、自分の中に永遠の美しさを持っていないと弾けない曲。
  • 幹には、まだこの曲は弾けない(求める音にならない)。

薫幹という人物の大部分を占めるのは、その幼稚さです。超秀才で物腰柔らか、大人びてみえますがその実、彼はひどく"こども"なんです。

とはいえ、幹の問題は、彼だけが抱えるものではありません。これまでずっとわたしが書いてきている通り、ウテナもまた"こども"ですし、七実さまもそう。

私の中で『少女革命ウテナ』の"テーマ"というのは3つあって、一つはジェンダーフェミニズム。これは欠かせません。そしてもうひとつが「大人と子供」です。子供が子供の殻を破ろうとする時、つまり子供が大人になろうとする時、一体なにが起きているのか。"大人"になると何を失くし、何を手に入れるか。そして"子供のままでいる"という選択は何を意味するのか。

この物語に出てくる人物はたいてい"お姫さま"か"王子さま"だと1話のブログで書きましたが、"大人"と子供"でも分けることができます。"子供"が圧倒的多数ではありますが。ただその"子供"の中にもさらなる序列がみられます。それはそのまま学年(年齢)で考えていいでしょう。つまり、13歳の幹は、14歳のウテナより1歳ぶん、子供です。

わたしがウテナを「子供だ」と思うのは、その他人の背景を見ない・見ようとしないところが主な理由です。ただ彼女のそういった行動や発言の根底には、基本的に「他者(主にアンシー)のために」があります。だってアンシーに友だちができた方がいいっていうのは事実だもん。"余計なお節介"だし、"上から目線"だし、それじゃあアンシーを救うことはできない。でも、別にそれでいいはずです。ウテナがアンシーを救うことに意味なんてない。意味があるのは、ウテナがアンシーの扉を開こうと叩き続けたことなんです。簡単に思えることかもしれないけど、これがきっと案外むずかしい。こじ開けることなら子供でもできる。でも開かない扉を叩き続けるのは、むずかしい。世界を革命するのと同じくらい、子供が大人になるくらい、むずかしい。

 

幹に話を戻します。じゃあなぜわたしは幹を子供だと思うのか。ウテナとの違いはどこなのか。これは簡単。ウテナと正反対だからです。彼の根底にあるのは「自分のために」。しかも罪深いのが、それを「他者のために」という甘いお砂糖のようなものでがっちりコーティングしてしまったこと。"してあげたい"と"してほしい"の混同。これは11話への伏線にもなっているので指差しマークです。そして幹は、そういう"自分"を破ることができなかった。

第4話において、幹は自分のことで茎子たちに詰られるアンシーをかばっていますが、それはストップウォッチを止めた後なんです。彼はアンシーを助けるより先に、自分の役割を優先するんです。単なるギャグ・謎演出としてもとれるシーンですが、これは幹が世界を革命する者になれない決定的な証拠としても解釈できます。

幹にとって"光さす庭"とはいったい何を指すのでしょうか。過去の美しい思い出。輝くもの。輝いていたはずのもの。そしてそれはウテナ七実もアンシーも、ずっと心の中に持ち続けているもの。そして待ち続けているものでもあるのです。

長々と書いてしまいましたが、本当にこの4・5話って重要な回なんです。特に第一部「生徒会編」のクライマックスである11・12話を自分なりに理解する上において。幹が抱える問題は本当に普遍的なものであり、だからこそこの物語のテーマにもなってくる部分なのです。

 

 

☞ 論理的思考力を養うための数学

でもママが言ってたよ。
論理的なことはすべて男に押しつけるのがいい女だって。

これはウテナにしては非常にわかりやすいジェンダーに関する問題提起です。
こんなわかりやすい部分他にはないので、いちおう章にしてみました。

 

 

☞ 影絵少女

今回の影絵少女はおもしろいやつです。少女Bがかわいい。

少女Bは、プロレスとにんにくラーメン大盛り!を愛していることが恋人に知られ、ふられてしまいます。

恋する者よ。夢みる恋の若人よ。
本当の彼女の正体を 果たしてあなたはご存知かしら?

この"恋する者"というのは、そのまんま。アンシーに"光さす庭""輝くもの"という幻想を抱く幹のことです。ただ今回のはミスリード。だって幹はでんでん虫もマングースも生タコもかき氷も、「なんだか姫宮さんらしいなあ」という定型句で乗り越えちゃうからです。ウテナもね。

でも幹(ウテナも)には本当は、アンシーに関してどーーーしても許せないことがあるんです。それは第5話でおはなしする予定。

この”影絵少女"っていうのは、いっけんこの世の"道理"を表しているようで、じつはまったくそうではない、って時があるんですね。単なるギャグ回とは違った意味で。それの最たるものが第34話のあれなんですけど。ちゃんと"そうではない"ってことがここで示されているんです。

 

 

☞ LA BANDE

もうめちゃくちゃ書いてるつもりなんですけど、まだ4話??こんなんじゃルンルンしてられないよな。

ルン ルン ルン

どーでもいいけど、夕食はぜったいかき氷よりたこ焼きのがよい。