永遠の卵

ウテナメモ

DUEL:09「永遠があるという城」<少女革命ウテナ>

 

しっ。はじまるわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

☞ DUEL:09「永遠があるという城」

放送日:1997年5月28日

脚本:榎戸洋司 絵コンテ・演出:風山十五
作画監督門之園恵美

 

冬芽・西園寺回です。

ウテナの過去がプロローグ以外で初めて明かされる回でもあり、そちらに注目しがちではありますが。冬芽と西園寺の関係性と比較させるという形で、ウテナとアンシーのそれを考えることができる(先々ね)とっても重要な回です。

 

ちなみに絵コンテ・演出の風山十五氏は、五十嵐卓哉氏のこと。

 

☞ 桐生冬芽と西園寺莢一

対照的な王子さま

西園寺と冬芽はともに高等部2年生。主要キャラクターのうち彼らはもっとも"大人"に近く、もっとも"王子さま"に近い存在です。そしてこのふたりの持つ、というか体現する王子さま像というのは、わかりやすく対照的。"フェミニスト"(この場合、"女に優しい男"という意味で使われています)である冬芽と、支配的かつ威圧的(プラス暴力的)な西園寺。"王子さま"の持つ明の部分を冬芽、暗の部分を西園寺が表現する。

ふたりでひとつ、なんだかウテナとアンシーみたい、と思うけど、やっぱりアンシーとウテナの友情と対比させる存在として、冬芽と西園寺がいるのではとも思います。

手を伸ばすその先

対照的なふたり、とはいってもやはり西園寺は"王子さま"としては悪なわけです。暴力も振るわない、やさしいフェミニスト(この言葉を冬芽に使うのはなんかムカつくんだけど)である冬芽の方がやっぱり西園寺より一歩先をいっている。とも言い切れないのですが、今回はとりあえずそういうことに。

そして、西園寺もそれは自覚しています。これが第9話の本筋でもありますしね。

冒頭の剣道でも、生徒会の役職(会長・副会長)的にも、西園寺にとって最も近くにいながら絶対に届かない存在である冬芽。それでも、彼が怪我の手当てをしてくれるうちは、まだふたりの間に"友情"はあったのでしょう。しかし包帯がほどけたその時、西園寺は心に中に燻っていた嫉妬なるものを自覚するのです。

西園寺は、薔薇の花嫁・アンシーを手にいれたいというよりも、自分の醜い感情によって失った友情、届きそうで絶対に届かない"何か"を冬芽の中に見ている。そしてそれこそが、西園寺にとってもっとも欲しいものでした。"永遠のもの"を柩の中のあの少女に見せることができたなら、冬芽にもきっと手が届くはず。彼はその思いで手を伸ばし続けるのです。彼の見ている先には、いつも冬芽がいるのかもしれない。そしてそのすべてを知ったうえで、アンシーは彼が望むとおりの言葉を言ってのけるのです。

 

いつかあの空に浮かぶお城に行きたいの。
あそこには、永遠があるの。

 

わかりあわないふたり

このふたりの友情って、さっきから何回か書いていますが、いったいなんだと思います?口ではそうじゃないと言っておきながら激しい(机の上に冬芽とのツーショットをかざっておくぐらいには)憧憬の念を冬芽に抱く西園寺と、

 

本当に友だちがいると思っている奴は、バカですよ。

 

などと平然と言い放つ冬芽。ふたりは絶対にわかりあおうとしません。わかりあえないのではなく。"もっとも王子さまに近い"冬芽ですが、彼もまだまだ"王子さまに憧れる""こども"。こどもらしい冬芽のニヒリズムと、こどもらしい西園寺の嫉妬によって、ふたりの友情は成立しません。再び彼らの間に何かが生まれるとすれば、それは幻想が壊された時でしょう。

世界の果て、大人、永遠、王子さま。それらを手に入れることはできないと知ったとき、はじめて彼らは隣にいたもうひとりの"自分"の正体に気がつくのかもしれません。

 

☞ 天上ウテナと桐生冬芽

西園寺(アホ)と違って、冬芽は柩の中の少女がウテナだということにしっかり気がついていますね。そして彼もまたなんとかして、あの日見せることのできなかった"永遠"をウテナに見せようとします。

西園寺は冬芽に憧れていますが、冬芽は"世界の果て"、つまりあの日ウテナを柩から救い出した本当の"王子さま"に憧れています。

そしてウテナウテナ(アホ)であの日のことぜんぜん覚えてないもんだから冬芽が王子さまなのでは...?とかって勘違いしてます。チョロ...。

 

影絵少女

でもいいの。わかってるの。
魔法使いも、妖精さんも、白馬の王子さまも、
心やさしい友だちも、みーんなファンタジーの中にしか存在しないのよね。

でもいいの。わかってるの。

この「でもいいの、わかってるの」という口調は、過去のウテナが言った

だから、もういいの。あたしはこの柩からでないの。

とか、

永遠のものなんて、あるわけないのにね。

とかって台詞と重なるものがありますね。先にも述べましたが、冬芽の虚無的な発言にも。まあ、幼くして両親を亡くしたウテナの絶望と、思春期の段階で陥りがちな冬芽の思想を並べて語るのはちょっと辛いけどね。

それにしても、白馬の王子さまも、心やさしい友だちも信じられないというのに、UFOだけは信じることができる、いや、ただの流れ星をUFOと信じることでしかもう救われない、そういうエセの絶望みたいなものが、冬芽や西園寺が"世界を革命する者"になれない理由のひとつなのですね。"子供"と呼ぶには、"大人"すぎた。

 

それでもいるのですよね。"おとな"であり"こども"であり、"お姫さま"で"王子さま"、そして"ほんもののUFOを見たことがある"。そんなひとが。

 

☞ 天上ウテナと姫宮アンシー

対照的なお姫さま

このふたりについて、まだあまり多くを語る必要はないとは思うのですが。なぜこの第9話で、柩の中にいるのはウテナではなくアンシーなのか。という疑問について。

それは西園寺を退学に陥れるため彼に幻想を見せなくてはならないからという答えがひとつ。もうひとつは、アンシーとウテナの同一性と対称性の提示。

ウテナはかつて王子さまによって柩から救い出されたお姫さまであり、しかしまた現在も、柩から救い出してくれる"王子さま"を追い求める("待つ"ではなく)"柩の中の少女"です。そして今回、幻想としてのアンシーを柩の中から救い出すのは、そのウテナでした。

棺の中の女の子

あの時、教会で柩の中にいたのは本当は誰だったのでしょうか。やはりたぶん、ウテナだったのでしょう。あんな髪の毛がピンクな子、他にいませんから。

ただ、彼女を助け出したのは、いったい誰だった?王子さま?永遠のもの?それらは今回、一度も姿を見せません。西園寺が見ていないのだから、その回想に登場しないのも当然といえばその通りですが。

 

☞ LA BANDE

グッバイ、ワカメ。

今回は、書くことがいっぱいだあと思って臨んだのですが、この先の展開に向けて謎がちりばめられてる回だったのですね。実はあんまり書くことがなかった。

さて次回は、

桐生先輩、お誕生日おめでとうございます。

ですね。