DUEL:33「夜を走る王子」<少女革命ウテナ>
言ったことあったっけ。
ぼくが一人っ子だったってこと。
☞ DUEL:33「夜を走る王子」
放送日:1997年11月12日
脚本:榎戸洋司 絵コンテ:橋本カツヨ
演出:高橋亨 作画監督:長谷川眞也・長濱博史
取り返しつかないっつーの?
第3部の総集編。とはいえ、今回のエピソードの核は暁生編の振り返りではなさそう。どこか怪しげな雰囲気と、巧妙な演出。実は物語は前回DUEL:32のLA BANDEから始まっています。これはウテナのお話なんです。
☞ 世界の果て。振り返り。
とはいっても、わたしはやっぱり過去に生きる人間なので、この第3部を振り返らないことには第4部・黙示録編へすすむことはできません。第1部・第2部とちがい、第3部で行われた決闘には名前がつけられていない(よね?情報求ム)ため、勝手にまとめます。
西園寺、忠誠を誓う。
<DUEL:25>
西園寺が暁生カーに乗って見せられた"世界の果て"。それは、支配と欲望と権力の世界。つまるところ、"薄汚いオトナの世界"ってやつ。彼は、最初こそその世界に染まることを拒否します。おれは社畜になんかならないぞ。権力で人を思うがままにしようだなんて、それじゃああの少女に"永遠"を見せることができないぞ。というように。
しかし、少女に"永遠"を見せたのは他でもない、その薄汚い世界の王子さまだったのです(正確には、だった"らしい"のです)。彼はそんな薄汚い"オトナ"にこそ憧れの念を抱き、彼のつくったその幻に忠誠を誓うのです。
グランドチャンピオンものまねキングに挑戦できるかな〜
幹の成長。梢の停滞。
<DUEL:26>
幹のみたもの。それは、自分の好きなひとを自分の好きなようにできる。いわば夢の世界。"オトナ"の世界に不信感を抱くという点について西園寺と変わりありませんが、西園寺はその下劣な姿をした"現実"に身を委ねたのに対し、幹はそこにもまた"夢"を見たのです。ここよりもっと進めば、壁をこわせる。いろんなものが手に入る。でもそこにあったのは、さらにさらに大きな壁でした。でもそれを知ることは、ある種の成長であったともいえるのかもしれません。
梢のみたもの。これが一番"世界の果て"らしい絶望です。彼女の周りには、"汚い"ものしかありません。梢は西園寺と違ってそれが"汚い"とわかっているのにもかかわらず、その"汚い"人間たちのモノになることでしか、自分を傷つけることでしか、自分の価値をはかれません。彼女はオトナになったように見えますが、本当はずっと自身の巣箱に停滞し、"ほんとうのじぶん"をみてくれる親鳥を待ち続けているのかも。
あの先生、ミョウバンってあだ名ついてるんだよ。
なんでミョウバンなのかよくわからんけど、その前は茶碗ってあだ名だったみたい。その前は...なんだっけ。なんだっけ?
枝織の負け。
<DUEL:28>
枝織が見ていた"世界の果て"は、樹璃よりはやく、一秒でも先にあの"お城"に飛び込むこと。できれば"樹璃の"王子さまといっしょに。そしてその夢はもうすぐつかめるはずでした。あと一歩でお城にたどり着けるはずだった。でも彼女の"毒"は、その時を待ってましたとばかりに一瞬のうちに枝織を殺してしまう。夢は夢。負けは負け。月並みな言い方だけど、枝織は枝織自身に負けたんです。彼女の敵ははなから樹璃じゃないし。
ビニール袋に入れないと、ニオイうつっちゃうんだよね。
奪われる樹璃。
<DUEL:29>
殺してやりたいほど憎んできたものに生かされること。永遠にヒーローにはなれないと自覚すること。樹璃は樹璃であることを奪われる。
あれってさ、よく本に書いてある通りにやるじゃん?
で、その通りにやってんのに、どう考えても味がちがーう!ってことあるよね。
あれってなんなんだろう。
七実を形づくるもの。
冬芽という神さまは、七実自身を形づくる大きな要素のひとつでした。というより、すべてでした。彼は七実のすべてで、七実という実体を当然のように構築し続けてきたのにもかかわらず、彼はただの無。目には見えないし、触れることもできない。七実にとってだけ、それは長いこと"有"でした。"有"であるということだけがわかっている"無"なだけに、彼女はそれを疑うことすらしなかった。というワケで、七実を形づくるものが"無"だったので、七実の存在も"無"。。なわけなくて、神さまを信じていた七実の気持ちは絶対的に"有"だから、だいじょうぶ。七実を形づくったのは、誰かをまっすぐ愛した自分のきもち。まちがってもハリボテのダボハゼ兄ではない。
あれっ。
逆転だ。
☞ 車とハイウェイ、世界の果て。
やっぱり本題は、ウテナの果ての話ですよね。これまでの登場人物たちがみなそうだったように、ウテナもまた"世界の果て"に辿りついてしまったのです。
天上ウテナの果て
別に、男と初めてセックスをすることがひとりの子供・少女を"女"にするだとか、そして"女"になってしまうことが即ち"世界の果て"につながるのだとか、そういう話がしたいんじゃあありません。
とか言ってみたかったんですが、まあ残念だけど(?)そういう話なんだと思いますね。もちろん、事実そうなんだってことじゃなくって、暁生がそう思ってるってことです。ウテナとセックスをするということはつまり、ウテナを"女なるもの"にすること(ウテナの"男"の部分を奪いとること)であり、彼女を"女なるもの"にしてしまえば、彼はウテナを永遠に自らの支配下におけると信じきっているということです。
そしてウテナの、"女なるもの"と"男なるもの"の中間をさまよう、もしくは両方になろうとする(=どちらにもなろうとしない)というこの世界では特殊ともいえる性質をも奪うことで、彼は予定調和の中に彼女を閉じ込め、永遠を手に入れようとする。彼女がここまで決闘を続けてこれたのは、その特異性があってこそだったというのに。
ともかく、ウテナは今"世界の果て"にいます。彼女がそこにいるということは、過去の美しい思い出や気高さ、王子さまの姿を忘れてしまったということを意味します。そしてその意味をアンシーは知っていますが、ウテナを快くそこに送り出しました。というか、知っていたからこそ、彼女に"用事"を言いつけたのです。
それで、じゃあウテナが世界の果てへ辿りついてしまったからには、4部からはどう物語が動いてゆくのでしょうか。ウテナは奪われた"美しい思い出"を取り戻すことができるのか。そもそもほんとうに"奪われた"のか(たかだか男とのセックスくらいで?)、奪われたんなら、どうだっていうんだろう。そのことは、人間の本質を変えてしまうのだろうか。そして、"世界の果て"は、ほんとうに"世界の果て"なのか。そういうところに指差しマークをして見てゆきたいと思います。
永遠って、なんですか。
- ダイヤモンド
- 美しい思い出
- 桃の缶詰め
止マレ
止マレ
止マレ
☞ 今夜は綺麗な星空だ。
ほんものの星は、見たくなかったんです。
そして、ウテナを"世界の果て"へと送り出したアンシーのお話も少し。
今回、本物の夜空の下で暁生とドライブするウテナとは対照的に、アンシーはプラネタリウムが見せる偽物の星空の下で彼と電話をします。彼女はみずから嘘の夜空を見たがり、幻のもとに逃げ込もうとする。それは彼女の生きる術でした。
でも、ウテナの見ている星と彼女の見ているそれにはどんな違いがある?実は"星"そのものにはさほど大きな違いはなく、あるとすれば、"ふたり"が見たいもの。が違う。アンシーは偽物を見たがるが、ウテナは本物を見たがる。星は、ふたりが見たいものを見せる。アルバイトとして。
君がその目で何をみようと、それは君の世界のことでしかない。
ふたりは出口のない迷宮から抜け出せるんだろうか。
☞ LA BANDE
これが、すべての始まりなんだ。あの日、あの出会い。封印された光。これは王子さまにもらったもの。そして、僕は僕になったんだ。悲しみの王子。これを見ると思い出すんだ。僕は気高さを忘れちゃいけないんだって。
あなたは、誰なんですか?