永遠の卵

正しい幻想の使いかた

クリスマスの思い出〈前〉

あなたへ


今年のクリスマスをいかがお過ごしでしょうか。
この手紙をあなたに認めはじめ、およそ一年以上の月日が流れました。あなたについてうまく想像することができないというわたしの悩みについては、いまだ解決の兆しすら見せません。

あなたはこれまでの人生で、どんなクリスマスを過ごしてきたのでしょうか。そしてその上で今日という一日を、どれほど美しく優しい、愛あるものにできたのでしょうか。それともただ虚しいだけの、平凡な一日と変わらない、ひどく退屈なものにしてしまったのでしょうか。わたしには見当もつきません。

それに、わたしがもしあなたにそんなことを尋ねたとしても、きっとあなたは真剣には答えてくださらない、なぜかそんな気がするんです。時間がない、よくわからないと言って気まずそうに目を逸らし、わたしに背を向ける、まるでそんなことはわたしたちの関係に少しも影響しない、そう主張するかのように。

今、突然このように到来したイメージが、ほんとうにほんとうの、あなたの姿なのでしょうか。いえ、べつにあなたを責めるつもりだったのではありません。じっさい、今からしようとしている話がわたしとあなたの関係にどれほど影響するものか、わたしにだってわからないんですから。それは、これを読んだあなた自身に判断していただきたい、そう考えているんです。

 

 

 

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ほんの数年前のことですが、クリスマス・イブの夜に、友人と都会の夜景を見に行ったことがあります。

夜景は美しく、わたしたちははしゃいでいました。クリスマスといって思い出す楽しい記憶はいくらもありますが、中でもこの日は、これまでの人生の中で最も素晴らしいクリスマス・イブだったと、はっきり断言することができます。

高層ビルの屋上からは、地上で停滞する何台もの車たちが見えました。白と黄色とオレンジ色の、キラキラと輝きをともなって連なる光が、おそらくはその内部で起きているであろう苛立ちや焦燥、諦めと虚しさの表情をちらちらと覆い隠していました。

でも、そんなことを考えるのはすぐにやめたんです。友人との楽しい休日に、それもクリスマス・イブに、なぜそんなつまらないことを考える必要があるのでしょう? その日は本当に素晴らしい日になる予定でしたし、事実、そうでした。

予め百貨店で予約しておいたクリスマスケーキを食べて、お互い気の利いたプレゼントを交換しあって、美術館で政治的な作品を眺めて感想を言い合い、クリスマス・マーケットで雑貨やイルミネーションを見て、軽食をとって......。

そしてその日の締めくくりとして、混雑した薄暗い階段を登りきり、重たい扉を開いて美しい夜景が目の前に広がった時、わたしはふと、口の中で透き通った赤色の、甘酸っぱくて丸い飴玉が滑って転がるのを感じました。

きゃら、ころ。
あ。と思いました。飴玉の硬質さが、わたしの歯にぶつかる音です。

きゃら、ころ。
どうして今、これを思い出すんだろう。

気の利いたクリスマスプレゼント、きれいな都会の美術館と知的な会話、可愛い雑貨やぴかぴかのイルミネーション。きゃら、ころ。きゃら、ころ。

その日は、ほんとうに素晴らしい日になるはずでした。
だからわたしは、その飴玉をなんとか溶かしてしまおうと試みたんです。嘘じゃありません。わたしはいつも、あなたへの手紙にあることないこと出たら目ばかり書いていますけど、誓って、嘘をついたことだけはないんです。

それでもわたしの努力も虚しく、どれだけ舐めても口の中で飴玉が消えてしまうことはありませんでした。その日はほんとうに素晴らしい日でした。でも、帰りの電車の中で携帯電話を握りしめて、わたしは心の中でこう推測していたんです。

これから先、わたしがこの小さくも重たいブラックボックスを操って彼女にメッセージを送ることは、もうきっと、二度とないだろうと。

 

 

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わたしが小学生だった頃、わたしの母にとってこの末娘、つまりわたしの交友関係は、つねに悩みの種だったようです。というのも、わたしが家に連れてくる女の子たちには、なんていうか、少しばかり厄介な子が多かったんです。

わたしが子どもの頃にはなかった言葉ですが、たとえば「カースト上位」とか、「一軍女子」とかいえば、若い方たちには伝わりやすいのかもしれません。華やかで、自己主張が上手で、クラスのリーダータイプ、集団の役割からいえば、「ボス猿タイプ」という形容が、わたしとしてはしっくりきます。

対してわたしはというと、けっしてクラスで目立つほうではなかったはずです。明るく快活な子供ではありませんでしたし、親切だったり、愛嬌があったりしたわけでもありません。では真面目で誠実かというとそんなこともなく、正義感にあふれて信念を強く持った子供でもありませんでした。

それに加えて体を動かすのも苦手な質でしたし、音楽や絵画、作文など芸術方面でも評価されることはなかったうえ、家庭科や技術など実用的な面においても秀でた能力はありませんでした。

優しいあなたはもしかして、では、お勉強のほうがよくできたのでは、と考えてくれるかもしれません。むろん、あなたの厚意を無碍にしたいわけではありませんが、その予想は的外れです。わたしの成績はよく言っても中の下、いつも平均点ギリギリといったところで、教科によってはそれをも下回り、先生や親を失望させることが度々あったんです。

わたしはいつも、学期末の通知表を受け取るのが不安でした。成績が悪いのを恐れていたのではありません。そんなものは、普段の積み重ねからある程度予想できるものですから。

そうではなく、問題だったのは、先生がわたしの生活態度などについて自由に記述する欄でした。先生はきっと、こんなわたしについて書くことがなくて困っているんじゃないかと、いつも心配でたまらなかったんです。

事実、そこは空欄であることがよくありました。あるいは「特に問題はありません」とか「楽しく学校生活を過ごしています」「人の目を見て話をよく聞きます」などといった当たり障りのないことが書いてあるだけでした。それら記述は、いつも決してわたしの母を喜ばせることはありませんでした。むしろそういった不釣り合いこそが、彼女の不安を駆り立てていたのでしょう。

取り立てて目立ったところのない子が、クラス内でもとりわけ華やかな子たちに四六時中ひっついているわけですから、周囲からは金魚のフンとか、大きくて強い鮫のおこぼれを食べて生きるコバンザメのように思われていたとしても、なんら不思議なことはありません。

じっさい、わたしが色々な意味で彼女らの恩恵に与っていたというのは事実でした。彼女らはわたしに親切でした。不器用で鈍臭く、なにを考えているのかよくわからない、宇宙人のようなわたしの世話をいちいち焼き、外敵から守り、色々な場所へ連れ出してもくれました。

なぜ彼女らは、一時でもこんなわたしをそばに置いたりなんかしたんでしょう? 不思議なのはまさにそのことです。わたしが彼女たちから受け取っていたメリットと同じか、あるいはそれ以上の何かを、彼女たちがわたしから受け取っていたとは到底思えません。

それでも、わたしは彼女たちのことがいつでもちゃんと、好きでした。群れの意義を理論化する以前に感覚で知っていて、それを現実に作り出し、維持する能力がある。その行為自体に友情という、甘く愛らしい色付けをすることができる。

わたしは、彼女たちの作り出す群れの美しさを愛していました。わたしはそのことに、ずっと守られているのを感じていたんです。学生時代のわたしが、いじめという不当な暴力についぞ見舞われなかったのはそのおかげだったと思っていますし、たとえそういったメリットがなかったとしても、自分の不得手とすることをいとも簡単に成し遂げてしまえる彼女らは、わたしにとって不可思議な、そして憧れの存在でもありました。

けれど。

けれど、そう、飴玉の話でしたよね? 赤くて甘くて軽い、あの飴玉の話でした。

 

 

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小学校から中学校にあがると、女の子たちの作り上げる群れの仕組みは、自ずとその複雑さと美しさを増していきました。

三つの小学校からの卒業生がより集まった中学校は、単純に考えてその生徒数は三倍。構築される群れも増え、群れ同士の争いも定期的に起こるようになりました。そうするうち、群れ同士のヒエラルキーも確立されていきます。

小学校の時はもう少し曖昧だった群れ同士の境界線も濃く、はっきりとしていく一方で、群れの構成員自体は、小さな対立やいざこざを経て、増えたり減ったりと流動的でした。

また、年に一度のクラス替え毎に群れは解体されるのですから、もう大変です。一年生の時の親友と二年生の時の親友が実は犬猿の仲だったり、同じ班で仲良くなった子が前のクラスの友達と今カノ・元カノの関係になってしまったりと、厄介な(でも少しだけわくわくするような)出来事は度々起こりました。

そして相変わらず、わたしがよく行動を共にする女の子たちを、母はよく思いませんでした。あなたと彼女たちは根本から違う、合わないのだ、と母は忠告しました。決して溶け合わない、水と油のようだと。

中学の頃の思い出のほとんどは、彼女たちとした終わることのないおしゃべりです。こんな言い方はあなたにしてみれば変に感じられるかもしれませんけど、わたしは、彼女らとおしゃべりをしていたのだというよりも、ほとんど、"おしゃべりの中にいた"というような感覚を強く持っています。

能動的に何かを話し、受動的に何かを聞いたというより、狭い器の底から止まることなく湧き出て溢れ、器から流れ出ようとする水といっしょに外へ出てしまわないギリギリのところに揺蕩うのを、ゆるやかに楽しんでいたんです。

彼女たちとのおしゃべりは多岐に渡りました。流行りのファッションやメイク、アイドルやドラマについては当然のこと、ピアスはどこで開ける? 今度可愛い下着を買いに行こう、原宿の竹下通りで貰った怪しげな名刺の枚数、誰々は誰々が好きで、どう告白して付き合ったの別れたの、誰々の今カノのホームページに嫌がらせの書き込みをし続けているのは実は元カノの誰々だ、云々。あの子はうざい、この子は媚びてる、あいつは最近調子に乗ってて......

きゃら、ころ。

こういうおしゃべりを思い出すと、今もまた、口の中にあの飴玉が転がるのをわたしは感じます。

ここまでわたしのお話を聞いていただいて、ことによるとあなたは、わたしたちが共有しているものはつねにたくさんあって抱えきれない、と感じたかもしれません。いえ、わたしでさえ、実はそんなふうに感じることがあるんです。

けれどじっさいには、わたしたちの共有しているものはむしろそれだけ、赤くて甘くて丸い、その飴玉たったひとつなんです。わたしたちはそれをあっちの子からこっちの子へ、そっちの子からまたあっちの子へ、口から口へと移し合うんです。その口移しの儀式によって、わたしたちは互いの絆をたしかめ合っていました。

そんなわたしたちの口が、より秘密めいて重くなるという瞬間が、時にありました。群れでの話題が、男の子との性行為に及んだときです。

早々にそれを"済ませてしまった"女の子たちは、あからさまにならない程度の優越感を漂わせ、未経験の女の子たちに対し教訓を与え、教え諭すような態度をとりました。

しかし、たかが中学生の、性欲によるものともいえない興味本位の行為の体験談──それがどれほどもったいぶった口調で打ち明けられるにせよ──が含蓄に富んでいるはずもなく、たいていの場合は、男性器が女性器に入ってくるときにはどれほどの苦痛を伴うか、という話に終始するのが常でした。

それでもそんな毎度似たような物語を、未経験の子たちは思い切り楽しんでいるようにわたしには見えました。いつか自分の身にも起こるであろう苦痛と、もしかすると喜びを、彼女らはそれが語られる度、共に体験していたのかもしれません。幾度となく。

一方でわたしは、こういった話になるとどうも調子が狂ってしまう、とでも言えばよいのでしょうか。微妙で些細な表情や目の色やリアクションのずれ、わたしが彼女らと刺激的な体験を同じくしていないことは明らかでしたし、コミュニケーションの達人ともいえる彼女らが、それを見逃すはずもありませんでした。

彼女らは、わたしのそういったずれを、わたしの未成熟によるものと解釈しました。じっさい、それもあったと思います。でも、それ以上にわたしにとってはその体験が、どこか他人事のように思えてならなかったんです。

あなたも知ってのとおり、わたしは想像力に限っては豊かでしたし、やろうと思えばいくらでも、彼女らの語りとそれによって呼び起こされる感情を、自分ごとのように感じることができたはずです。なぜそうはできなかったのでしょうか。未成熟による遅滞、あるいは未知への恐れ、欠落、差異。どれもが当てはまっているようで、その実よくわかりませんでした。

彼女らは、そのときわたしが付き合っていた男の子との"進捗状況"を逐一たしかめ、助言をしました。それでもわたしと彼女らのずれは、どんどんと大きくなっていくばかりでした。

不思議だったのは、時として彼女らは、わたしにこんなふうに言うことがあったということです。〈でも、あんたはそのままでいてほしい〉と。

その口元にはきまって優しげな微笑がたたえられ、彼女らは、わたしの髪にそっと触れて撫で付けたり、あろうことかわたしを抱きしめることすらありました。

こういうときの彼女らの感情というのはいったい、どういった類のものだったのでしょうか。

これも大変難しい問題ですが、そのまなざしには多くの場合、優越感や見下し、憐れみが含まれていた、とわたしは考えています。良くいっても、彼女ら自身がすでに失ったかもしれないと心配していた、ある種の清らかさのようなものをわたしの内部に見ようとした、その程度でしょうか。でも、わたしはそのことにいつからか幸福を覚えるようになっていました。わたしは、彼女らの中で他者になるのを感じていました。異質なものとして嘲られながら、幻想化されていくのを感じていたんです。

これは今だからわかることですが、わたしがいつも同性の友人たちに求めていたのは、なんでも対等に、または気楽に話し合える安心感ではありませんでした。その同質性によって少なくない体験を共有でき、共感しあえる、そんな関係を、わたしは望んでいませんでした。

わたしはむしろ、彼女たちとの差異にこそ敏感に反応していたように思います。ここでいう"差異"とは、たとえば生まれ育った環境による感じ方やものの捉え方の違いなどというより、もっと性的で、本質的なものです。

おそらくわたしは、彼女たちにとって異性でありたかったのかもしれません。これは当然、男の子になりたかったという意味ではありません。わたしは、女の子たちにとって相対的に異性でありたかったし、ある種の女の子たちを、相対的に異性だと感じていました。

このことについて、あなたはどう思いますか。わたしはやっぱりきっと、どこか浮いていたんですよね。

水と油のような関係。 母のいうようにわたしは、常に美しく溢れ流れていく水の中に浮かんだ、溶け切らない一滴の油だったのかもしれません。

きゃら、ころ。

わたしは今でも時折、彼女たちの愛撫の優しさと抱擁の温もりを、ノスタルジックな感傷とともに思い出すことがあります。それでも残念ながら、これを書いているわたしは、すでに知ってもいるんです。

その行為が、わたしがその後いやおうなく経験することになった愛撫と抱擁、たとえば髪をかきわけ、耳にかける白く繊細な指先の滑らかさであるとか、そのひとの肩に顎を乗せるときのさらさらとした恍惚──たとえるならそれは、固く絡まった紐がついに解けていくときの快楽に似ています──に、けっして連続してはいかないということを。

そうですよね? あなたにもきっと、それがわかるはずですよね?

 

 

 

 

ごめんなさい。

あなたにこの手紙が届くのはクリスマス・イブの夜だというのに、少しばかり長くお話しすぎてしまったようです。

明日の朝に目を覚ました時、あなたは枕元に届くプレゼントがいったい何だったのかを、その目できちんと確かめなければならないと思います。あなたはもう大人だから、そこにはおそらく目に見えるものは何もないのでしょうし、忙しい人ですから、黄色と緑の朝日の輝きも、忙しない小走りの温もりも、感じたりする余裕はきっとないのでしょう。だからあなたは何を確かめろというのかと、おそらく戸惑うに違いありません。

それでもあなたは、確かめなければならない。届いたものが何だったのか、その目で見ようとしなければ。そのためにも、今日はもう、休んだほうがいいでしょう。

 

 

それでは、また。
わたしより