『少女革命ウテナ』というアニメは、私にとっては少し不思議な作品。
現実に生きている時でも、アニメに限らず文学や映画などのフィクションを見ている時でも、この作品をふとした瞬間に思い出すことがあるから。
いや、というより、目の前で起きる出来事にいちいち『ウテナ』を当てはめたくなる、そうすることでそれらを──それは『ウテナ』を、なのか、あるいはその現実をなのか?──理解したくなる、と言う方が適切だと思う。
それは、私が〈なんだかよくわからないもの〉それでも〈なぜか忘れられないもの〉に出会ったのが、またそれについてきちんと考えたという初めての経験が『ウテナ』だったから。そういう個人的な事情も関わっているだろうし、またこの作品自体、とても抽象的な概念を取り扱っていることが、最も直接的な理由のひとつだとも思う。
『ウテナ』で扱われるいくつかのイメージ「永遠」「城」「王子様」と「お姫様」、「世界を革命する力」......は、それが具体的に何であるのか、わかりやすい説明がなされることは作中ではほとんどないし、なんなら「蜃気楼の一種」「手品のようなもの」とさえ突き放されてしまう。いや、それ自体がある意味ではとても本質的な説明ではある。とはいえ。
自分自身の経験やその時々の心情によって、その概念には自由になんだって代入できそうで、それはそれこそ、フィクションを読むことの意義──つまり人間の創造性の面白さそのものでもある。それでもやはり〈わたし〉とは違う〈他者〉の作品として、その他者の意図なり、意味させたかった意味についてそれらしい解を求めたくなるのも、フィクションを読むことの醍醐味だとも思う。それは、広い意味でのコミュニケーションにもなりうるのだから。
さて、私が『ウテナ』について「メモ」と称して色々なことを考えながら書いていたのがおよそ八年前のこと。自分自身がそのイメージに代入するものに、あるいはその真実味をおびた解について読み取るところに、変化はあっただろうか?
二人の王子様
久しぶりに『ウテナ』を見てみて気が付いたのは、この第一話の、ある単純な構造についてだった。というのはこれは要するに、〈良き王子様〉と〈悪しき王子様〉──二人の王子様の対決の物語なんだと。
二人の王子様の定義も単純で、西園寺が象徴する〈悪しき王子様〉は、「薔薇の花嫁」に対して支配的な態度を示し、「お姫様」(ここでは若葉のこと)に対しても冷酷きわまりない。一方でウテナ演じる〈良き王子様〉は、彼女自身の言葉を借りれば、「守られるお姫様」を守る「かっちょいい」役割のことをいう。
この二人の対決は当然、〈良き王子様〉の勝利で幕を閉じる。筋書きとしては勧善懲悪の物語として分類でき、複雑なところはほとんどない。
王子様のロールモデル
だからこの物語の面白さはそういった筋書きにではなく、ある〈ねじれ〉にあるといえるのかもしれない。誤解を恐れずにいえば、それはつまり、ウテナが女の子であるという点に。
『ウテナ』の世界──それは「鳳学園」とも言い換えられるが、そこでは女の子が「王子様」になることは、少なくとも異端ではある。それはウテナの服装をめぐる教師との問答や、男子生徒の会話から読み取ることができる。
ウテナが、「女子」であるにもかかわらず、なぜ「王子様」を目指すのかについては、冒頭で説明されているとおり。それは『ウテナ』全体を通して何度も繰り返される象徴的な劇中劇で、私の感じるところでは、この作品の重要な軸のひとつ。
この物語について言わなければいけないことはたくさんあるけれど、今回はひとつだけ。ここでも単純にこのストーリーを要約してしまえば、ウテナは、幼い頃に自分を救ってくれた王子様に憧れて、自分も王子様を目指そうとしている、それだけの話。ただ、王子様っていうのは(少なくとも『ウテナ』の世界では)女の子ではなく男の子がなるものなので、語り手は「でもいいの? 本当にそれで」と彼女の選択に水を差す。つまりこれは、既存のジェンダーロール(ここでは、役割や服装が身体的な性別と切り離されず完全に紐づいていること)に対する〈革命〉の物語なのだという意味づけは、一話の時点では的外れとはいえないはず(もちろん、1997年の放送当時ならいざ知らず、2025年の現実においてもどこまで『ウテナ』が〈革命〉としての意味を持ちうるか、それは私にはわからないけれど)。
でもいいの? 本当にそれで。
しかもこれは、単にウサギが警官を夢みる話とはちがう。劇中劇の語り手の異議には、もうひとつの意味を読み取れる。それはこの物語が、本来ならば〈ウテナをお姫様にする物語〉として機能するはずではないのか、という〈ねじれ〉の指摘だ。だってこの語り手は自身の語りの中で、ウテナが王子様から受け取ったその指輪(=「薔薇の刻印」)が、エンゲージリングであるという可能性を示唆するのだから。だから本来『ウテナ』は王子様のいうようにその「強さと気高さ」を忘れなかったお姫様としてのウテナと王子様が再会し結ばれる、そんなハッピーエンドでロマンティックなラブストーリーであってよかったはずなのだ。
それなのに、この劇中劇の外側、つまり「鳳学園」の世界でこのエンゲージリングは、なぜかウテナを「薔薇の花嫁」を奪い合う決闘へと導く役割を担うことになる。言うまでもなく、「花嫁」や「エンゲージ(リング)」といったイメージは、私たちが生きる現実でいうところの、異性愛を前提とした婚姻制度をイメージさせる。そうした決闘システムの中に、ウテナは既存のジェンダーロールをちぐはぐにしたまま放り込まれているのだ。ゆえに、私のようにそこから外れた人間の脳みそがここに、"異性愛中心主義に対する異議申し立て"としての意味を読み取ってしまうのは、無理もないことだと思う。
それでも、第一話の時点でこの物語は、形式の上ではかつての王子様を探し求める少女という軸もはっきりと提示している。決闘は、別の言い方をすれば、単に彼女と王子様を結びつける「強さと気高さ」を測る装置としても機能しているのだから。
さて、これから『少女革命ウテナ』は、2025年の今を生きる〈わたし〉を、いったいどんな場所へと連れていってくれるんだろう? 2026年は、私にとってまた、苦しくも楽しそう年になりそうな予感。